北朝鮮東部・元山で開幕した「元山国際友好航空祝典」で、展示飛行を行うヒューズ社製のヘリコプターMD500を見る兵士(2016年9月24日撮影)〔AFPBB News〕

 今年9月9日、北朝鮮は5回目の核実験を強行した。今年に入り北朝鮮は20回以上も各種ミサイルの発射試験を繰り返している。

 明らかに北朝鮮の核兵器とミサイルの開発は加速している。国際的な制裁が強まり、体制内での相次ぐ粛清、経済困難が伝えられるなか、金正恩指導部はなぜこのように核とミサイルの開発配備を急ぐのか?

 その背景には、金正恩独裁体制の存続と国内外での威信の確立、対米・対中交渉材料など、様々の政治的外交的な思惑があるとみられる。しかし、最も本質的な動機として、核戦力の軍事戦略上からみた他に代えがたい価値を北朝鮮指導部が極めて深刻に認識しているということがある。

 核戦力は、北朝鮮の自主独立路線を安全保障面から担保する決定的手段である。核保有国が採り得る核戦略にはそのレベルに応じていくつかの段階がある。現在の北朝鮮の核戦力のレベルはどの段階にあり、またどのような核戦力の水準を目指しているのであろうか。

1 核実験に成功する以前の段階

 核戦力のレベルとして最も低い水準は、まだ核実験には成功していないが、潜在的には核兵器開発の能力を持っているとみなされている段階がある。それにも2通りのケースがある。

 まず、核開発の潜在的能力はあるが、核開発の兆候もなく、政治的な意思決定もされていないとみられている段階である。現在の日本はこのような国に該当する。

 この段階では、国際的には警戒されても、核開発疑惑を招くには至らず、制裁を受けることはない。ただし、核兵器開発の意思はなくても潜在能力があれば、相応の外交的、政治的な抑止力にはなり得る。

 軍事的には即時に有効な抑止力として機能はしないが、数か月から数年以内に核保有が可能とみなされていれば、開発能力はないとみなされているよりも、全般的な抑止効果は作用する。

 北朝鮮の場合、朝鮮戦争中に米国から核恫喝を受けた経験を契機として、核関連技術の蓄積に乗り出している。戦争中の1952年に、中国は北朝鮮に放射性物質を手渡し、中ソ両国は北朝鮮の兵器開発を含む核技術研究に協力している。

 この頃は、東西両陣営内部の核拡散が密かに進行しており、まだ核拡散阻止に向けての国際的な圧力は希薄であった。

 ソ連のドブナの連合核研究所では、1950年代初期に950人の中国人とともに数十名の北朝鮮の科学者と技術者が派遣され、核研究のための学術と実務の訓練を受けていた。

 朝鮮戦争休戦後フルシチョフが登場し、ソ連は核ミサイルを重視する戦略を明確にし、米ソの核ミサイル戦力拡張競争がし烈になった。キューバ危機で屈辱をなめたソ連はブレジネフ体制のもとで、戦略核ミサイルの本格的増強に乗り出した。

 他方では1968年に核不拡散条約(NPT)が署名開放され、五核大国以外への核拡散阻止の国際レジームが固まった。

 同年、金日成は、「米本土を攻撃する手段として、核兵器と長距離ミサイルを自力生産せよ」との内部指示を出している。金独裁体制のもと、核ミサイル開発の意思はNPTに抗うように北朝鮮内部では明確に示されていた。

 北朝鮮の潜在的な能力は、明確な政治的意思のもと、1950年代初期から人材の育成、技術の蓄積など、着実に高まっていた。

 1975年頃から核兵器やミサイルの開発に不可欠の「磁気測定装置」が、数度にわたり日本から北朝鮮に不正に輸出された。この頃から、核とミサイルの開発が本格化したとみられる。