これからのメンタルヘルス対策:ワーク・エンゲイジメントに注目した組織と個人の活性化


島津明人  しまず あきひと
東京大学大学院医学系研究科精神保健学分野 准教授

早稲田大学大学院文学研究科心理学専攻 博士後期課程修了、博士(文学)。臨床心理士。2007年4月より東京大学大学院医学系研究科精神保健学分野・准教授(現職)。主な著書に「ワーク・エンゲイジメント――ポジティブ・メンタルヘルスで活力ある毎日を」(労働調査会、2014年)など。日本行動医学会(理事長)、日本産業ストレス学会(理事、編集幹事)、人を大切にする経営学会(常任理事)などを務める。

 

労働力人口が減少し、組織の在り方が大きく変化している現在、多様な労働力の活用とともに、労働力の質の向上が求められています。こうした中、職場のメンタルヘルスでは、精神的不調者を対象とした医療・福祉・福利厚生としての活動だけでなく、健康度の高い労働者による生産性の高い職場づくりを目的とした、経営の一部としての活動にも視野の拡大が求められています。

本稿では、これまでのメンタルヘルス対策の在り方を振り返り、今後のメンタルヘルス対策の方向性について、特にポジティブな面から組織と個人を活性化する視点に言及したいと思います。

これまでのメンタルヘルス対策

職場におけるメンタルヘルス対策では、うつ病などのメンタルヘルス不調の未然防止(第1次予防)、早期発見・早期対応(第2次予防)、メンタルヘルス不調により休業した従業員の適切な復職支援・再発予防(第3次予防)が行われています。事業所の中にも、厚生労働省の「労働者の心の健康保持増進のための指針」などに基づいて、従業員や管理監督者への教育・研修、相談体制の整備、職場復帰支援体制の整備など、メンタルヘルス対策に取り組む企業が増えてきました。特に、従業員数1000人以上の事業所では、約98%で何らかのメンタルヘルス活動が行われていることが厚生労働省の調査で明らかになっています。

また、バブル経済崩壊後、わが国の社会経済状況は大きく変化しています。例えば、失業率は3〜5%台の間で推移し、労働者の雇用不安も増加しています。さらに、産業構造の変化(サービス業の増加)、働き方の変化(裁量労働制など)、情報技術の進歩により、仕事と私生活との境界があいまいになっているほか、共働き世帯数も増加し続けています。こうした変化を受け、職場のメンタルヘルス活動においても、メンタルヘルス不調への対応やその予防にとどまらず、個人や組織の活性化を視野に入れた対策を行うことが、広い意味での労働者の「こころの健康」を支援する上で重要になってきました。

視点の転換が必要に

従業員一人ひとりが健康でいきいきと仕事に取り組むことは、従業員の幸せ(well-being)にとっても、組織全体の生産性にとっても重要ですが、これまではメンタルヘルス対策と組織マネジメントとが相互に協調することなく展開されてきました。ところが、上述したような社会経済状況の変化に伴い、従業員一人ひとりが健康で、「かつ」いきいきと仕事に取り組むことが重要になってきました。つまり、産業保健にとっても組織マネジメントにとっても、発想の転換が求められるようになったのです。

ここで強調したいのは、こころの「不調」への対策が重要ではない、ということではありません。こころの不調と同じ程度に、こころの活力にも注目し、メンタルヘルス対策の活動範囲を広げる必要があるのです。そうでなければ、メンタルヘルス対策の対象は、一部の不調者を対象とした活動にとどまってしまい、事業所や企業全体、さらには社会全体でメンタルヘルスに取り組もうという動きにはつながりません。なお、こころの健康のポジティブな側面に注目した活動は、近年、国内外で活発に展開されており、世界保健機関(WHO)では「従業員の健康なくしてビジネスの繁栄なし」として「健康職場モデル The WHO healthy workplace model」※を提唱しています。

※WHO. 2010. Healthy workplaces: a model for action

これからのメンタルヘルス対策

働く人びとを取り巻く社会経済状況の変化は、労働者の弱みを支えることに注目してきた従来のメンタルヘルス対策から視野を拡大する必要性を意味しています。例えば、従業員のメンタルヘルスを支える産業保健では、従業員の弱みを支える活動だけでは十分ではなくなりました。これまで以上に第1次予防(未然防止)対策を推進するとともに、労働者一人ひとりの強み、成長、ポジティブな側面(ワーク・エンゲイジメントなど)を促す対策や、職場外要因(睡眠、ワーク・ライフ・バランスなど)に注目した対策も併せて行う必要が出てきています。経営者にとっても、従業員一人ひとりのこころの健康を重要な経営資源ととらえ、こころの健康対策をコストではなく、投資の対象として考えることが重要になってきました。一人ひとりの従業員においても、自分自身の生活を守るために、主体的・自律的に働くこと、自らの働き方、さらには休み方に留意しながら自分の健康を自分で守ることの重要性が増しています。

キーワードはワーク・エンゲイジメント

このように新しい形でのメンタルヘルス対策を進めるには、それぞれの関係者に共通する目標が必要です。この共通目標としては「いきいき」「活性化」などさまざまなキーワードが考えられますが、近年では、学術的な研究が進展している「ワーク・エンゲイジメント」が注目を集めています。ワーク・エンゲイジメントとは「仕事に誇りややりがいを感じている」(熱意)、「仕事に熱心に取り組んでいる」(没頭)、「仕事から活力を得ていきいきとしている」(活力)の三つがそろった状態であり、「バーンアウト(燃え尽き)」の対概念として位置づけられています。バーンアウトした従業員は、疲弊し仕事への熱意が低下しているのに対して、ワーク・エンゲイジメントの高い従業員は、心身の健康が良好で、活力にあふれ、仕事に積極的に関与し、生産性も高いことが分かっています。今後、ワーク・エンゲイジメントに注目した組織や個人の活性化について、具体的な実践事例の集積が求められています。

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