熊本地震で崩落した熊本城(熊本市中央区)の石垣から見つかった「人形[ひとがた]」の線刻画は現在、城彩苑(同区)の湧々座[わくわくざ]2階に展示されている。熊本城で初めて見つかった人形。全国でも例がないという。

 線刻画が彫られた石材は、県立美術館西側の石垣に積んであった。熊本城調査研究センターによると、石垣の隅の部分が「算木積み」と呼ばれる方法で積まれていることや、ほかの絵図史料から推測すると、築造は慶長後半。城主・加藤清正の晩年、もしくは2代目忠広の時代にあたる。

 画は丸顔に長方形の胴体。石材の側面に彫られ、天地が逆さにならないよう胴体が下になっていた。美術的表現は見られないことから、仏師などではなく石工の作とされる。

 「自分が関わる石積みが成功し、将来にわたって保たれるよう祈念したと考えるのが自然。もしくは発注者側からの要請かも」と同センターの鶴嶋俊彦さん(61)。「遊びで彫っていたら親方から怒られますよ」と笑う。

 鶴嶋さんがこの人形と「似ている」と見るのが、天守の東北側にある国重要文化財・平櫓[ひらやぐら]の礎石下から出土した人柱形の人形。高さ11センチの木製で、画と同様に手足はない。

 鶴嶋さんによると、人柱の伝説を持つ城郭は多数ある。一方で、大分県の日出[ひじ]城では石垣下に老年の侍が埋葬されていた。人柱によって城を鎮護する習俗は実在していたのだ。ただ実際に確認できた人柱は少なく、人形で代用した祭祀[さいし]に移行したとみられる。

 「いまで言う地鎮祭でしょう」と鶴嶋さん。数百年前の呪術的なしきたりの名残をいま見られるのは、皮肉にも熊本地震が起こったからでもある。(飛松佐和子)=次回は10月1日付