第二次大戦後に旧ソ連に抑留されて死亡したがその経緯が分からなかった愛媛県大洲市出身の元陸軍大佐が、戦犯とされて有罪判決を受けた後、1947年5月に61歳で病死した記録がロシアに残っていることが確認された。孫の男性が今月、現地を訪問して記録の提供を受けた。シベリア抑留の際に戦犯とされた日本軍幹部や公務員らは一般の抑留者と別扱いされており、死亡記録が日本側に伝えられるのは珍しい。【青島顕】

 記録が確認されたのは大洲市出身の築山敬太郎さん。中国・大連で終戦を迎えた後、ソ連に抑留され、47年にロシア北極圏コミ共和国ボルクタで死亡したことが、帰還した元日本兵の伝言で知らされていたが、これまでにロシア政府から日本政府に提供された抑留者の記録に名前はなかった。

 8月末から9月初めにかけ、孫で医師の巌さん(71)がボルクタを訪問したところ、現地関係者からソ連政府作成の記録が存在することを伝えられた。

 内容を確認したところ、敬太郎さんは46年7月に中国・大連でソ連に逮捕されてロシア刑法の「国際ブルジョアジーほう助罪」に問われ、同年10月に大連で開かれた軍事法廷で自由剥奪10年の判決を受けた。47年4月に4000キロ以上離れたボルクタに連行されたが、間もなく病気で入院し、5月14日に61歳で死亡したことが分かった。

 北緯67度の炭鉱の街ボルクタは最北の抑留地の一つとされ、矯正労働収容所にソ連の受刑者や外国の捕虜が集められていた。

 巌さんは終戦前年に大連に隣接する旅順で生まれ、敬太郎さんと一緒に暮らしていたが、記憶はほとんどないといい「写真でしか知らなかった祖父の記録が残っていたことで、心に一つの区切りがついた。できるなら現地の埋葬地を整備してもらい、遺骨を収集したい」と話す。

 厚生労働省によると、戦犯などとされて有罪判決を受けた後、死亡したと見られる抑留者の記録は、秘密警察の流れをくむロシア連邦保安庁などが管理している。日本側には97年以降、約50人分の死者の記録が提供されただけで、身元が判明したのは約20人にとどまるという。

 ◇国は開示求め交渉を

 第二次大戦終結後のシベリア抑留では、旧満州(現中国東北部)、朝鮮半島などにいた元日本兵ら約60万人が、シベリアを中心とする旧ソ連全域、モンゴルに連行され、最長11年間、木材伐採や鉄道建設などのインフラ整備に使役された。抑留中に約6万人が死亡したとされる。一般の収容所では個人別の管理記録が作られ約47万人分が日本側に提供されたが、戦犯とされた人の記録の多くは別に作られたとみられている。

 厚生労働省によると、帰還者から「旧ソ連で死亡した」との情報を得たものの、ロシア側からは記録が届いていない人の数は1万4353人に上る。同省はこのうち一定数が戦犯などとして有罪判決を受けた人だとみている。

 シベリア抑留の記録に詳しく、築山巌さんとボルクタに同行した富田武・成蹊大名誉教授(日ソ関係史)は「抑留中に服役した人の記録が明らかになったことは少なく、遺族の熱意と地元の協力で記録が得られたことに驚いている。ロシア政府がほかにも持っている可能性があり、日本政府は開示を求める交渉に本腰を入れるべきだ」と話している。【青島顕】