敬老の日に合わせて国が発表する全国統計などで、大分県民は平均寿命と、健康寿命(健康に過ごせる期間)との差が大きいと指摘されている。それでも地域を明るくしようと元気に活動する高齢者は大勢いる。81歳の2人を紹介する。

 ◇創刊200号達成 手作りで編集から配達まで 荻本光さん=中津市

 継続は力なり−−。中津市の「タウンマガジンなかつ」が今月で創刊200号を迎えた。バブル経済華やかなりし1990年前後、雨後の竹の子のようにあふれたタウン誌は、今では希少な存在となったが、手作り感あふれる同誌は根強い人気を保ち続ける。

 編集発行人はスポーツニッポン新聞社の編集マンだった荻本光さん(81)。家庭の事情で新聞社を辞め、故郷・中津に帰って化粧品の代理店をしているころ、母校の豊陽中が不審火で全焼。市では同中の移転問題が持ち上がった。

 荻本さんは「昔取った杵柄(きねづか)」と、新聞を手作り。メインの見出しを「いざ、豊陽中再建へ あなたも私も出番です」として、母校の焼失に沈む地区住民を鼓舞した。こうした努力もあって地元の人たちの意思が大筋でまとまり、近くの市営球場跡地への移転が実現した。

 「タウンマガジンなかつ」は、この新聞発行の経験を生かして1983年に創刊した。1冊300円で隔月刊は今も同じ。地元の人々や催しを取り上げ、政治色を排した軟らかめの編集方針は当初から一貫している。

 創刊号は、地元の中津工高(現中津東)を特集。その年の夏の甲子園初出場をピタリと言い当てて読者の度肝を抜いた。それを受け、創刊2号は初出場を決めて歓喜する中津工の記事であふれた。

 今もパソコンに頼らず、原稿は手書き。編集作業から、印刷会社への原稿渡し、冊子の配達まで1人で担っている。2400部刷った時期もあったが、現在は1700部で落ち着いているという。

 荻本さんは「これからは一号一号を大切に作っていきたい。残りの人生、少し自分の主張も入れようと思っています」とほほ笑んだ。【大漉実知朗】

 ◇エイジレス章 童謡や唱歌でリハビリ指導 堀義孝さん=日出町

 音楽療法士として高齢者のリハビリを支えている日出町藤原の堀義孝さん(81)が、内閣府の「エイジレス章」を受章した。同町役場で20日、本田博文町長から伝達された。同章は、高齢者の模範になるような生活を送る人(エイジレス・ライフ実践者)を顕彰するため、1989年に創設。今年度は全国で55の個人・団体が受章し、県内からは堀さん1人が選ばれた。

 長年、小中学校の音楽教諭を務めた堀さんは、同町立豊岡小校長を最後に、95年に定年退職。町内の特別養護老人ホームでリハビリの指導を始めた。

 音楽療法を本格的に勉強して、98年に音楽療法士の資格を取得。入所の高齢者らを広間に集め、懐かしい童謡や唱歌などの合唱を通じて、脳を活性化させるリハビリを実践している。気持ちよく歌うことでホルモンの分泌を促し、心身全体のバランスを整えるという。

 毎月、県内5カ所の高齢者施設を巡回し、3カ所で健康教室を開くほか、不定期に講師に呼ばれ、県内の全市町村を回ったという。

 堀さんは県内ではむしろ、大分県民オペラ協会の創作オペラ「吉四六昇天」の主演歌手として知られている。95年の引退までの約20年間、同オペラでは100回以上もステージで歌ったという。

 現在も、毎年同町で開く滝廉太郎音楽会を企画・構成し、コーラスグループを指導し、杵築市立山香小などの校歌を作曲するなど音楽活動に積極的だ。

 元気を保つ秘訣(ひけつ)について、堀さんは「退職後も、なるべく現役時代と同じ生活リズムを保とうとしてきた。指導する音楽療法が、私自身にも効いているのではないか。音楽を通じた健康教室をさらに県内全域へ広げていきます」と語っている。【大島透】