年末年始についつい食べ過ぎ、体重もちょっと気になるこのごろ。正月の楽しみは「おせち料理」だが、青森では年明けを待たず、年末に食べてしまう風習もある。全国的にも珍しいとされるこの歳末のおせち事情を探った。【宮城裕也】

 青森の大みそかは慌ただしい。2016年12月31日、つがる市車力町の工藤みどりさん(57)は早朝からおせち料理の支度を始めた。神棚を整え、自宅の大掃除をしながらの調理。夜までに県外で過ごす子どもたちも久しぶりに顔を見せ、家族6人で食卓に並ぶ料理に舌鼓を打った。取り寄せたおせちの重箱にもはしが伸び、宴会は夜遅くまで続く。30年前に埼玉県から嫁いだ工藤さんは「大みそかにおせちなんてちょっと変わっていますが、守るべき大切な伝統行事。長年いると慣れました」と話す。

 おせちを「年内」に食べる風習は今も東北や北海道の一部に残る。青森ではもともと多くのごちそうを膳に並べる「年取り膳」が由来だ。中身は、煮しめ、酢の物、焼き魚と一般的なおせちとほぼ同じだが、青森特有のものもある。煮しめはフキやワラビなどの山菜にコンニャクやニンジン、ゴボウを混ぜたもの。焼き魚は太平洋、日本海、陸奥湾と三つの海に囲まれた県内各地で取れたマス、タラ、カレイなど。酢の物はナマコやホヤを食べる。また、アンコウの肝あえやタラと野菜を使った郷土料理「じゃっぱ汁」などを食べるところもある。

 昔は新年を迎えると一つ年をとる「数え年」の考え方で、年取り膳は「年神(としがみ)さま」に供え、食べて1年の幸せを祈った。年取り膳が始まった時期は定かではないが、県の県史編さんグループなどによると、文献には江戸時代後期の記述も確認され、もともと全国的に大みそかに食べられていたという。月の満ち欠けで1日を数えていた太陰暦が使われていた時代は、日没を1日の始まりとし、大みそかの夜を「元旦」として年取り膳を食べる風習があったようだ。

 日本では明治時代に太陽暦を導入し、元旦に食べる風習に移ったとされるが、青森など一部地域では太陰暦の名残が今も残るというのが有力な説だ。県立郷土館(青森市)の古川実・学芸課長は「元旦は来客を迎え、2日は嫁の実家を訪ねる『姑礼(しゅうとれい)』で男が不在になる。県外で働く人が多い青森では、人の出入りが激しい三が日より、大みそかに家族が集まりやすい事情もあるのでは」と分析する。

 とはいえ、最近はスーパーの正月料理セットや西洋料理のオードブルを楽しむ人が増えている。元県立郷土館学芸課長の成田敏・県立保健大講師は「一品一品作るのは手間で、年中行事の風習は時代に合わせて変わっていく」と話している。