太平洋戦争中の1945年に起きた三河地震から72年を迎えた13日、多くの死者が出た西尾市の二つの寺で法要が営まれ、遺族や地域の人たちが改めて犠牲者の冥福を祈った。【太田敦子】

 ◇写真や資料展示「次代に語り継ぐ」

 疎開中の児童8人が亡くなった安楽寺(同市小島町)では約50人が法要に集まった。地震で父と妹を失った新美智江さん(85)は「裸足で外に走り出たが、家の前にあったかめの水がこぼれて足が滑り、うまく走れなかった。二人が思い出されて涙が出ます」と手を合わせた。本堂では地震直後の様子を撮影した写真など約40点の資料が展示され、がれきを前に立ち尽くす防空ずきんの女性や、家を失い野外で食事をする家族の姿などが記録されている。伊奈祐諦住職は「経験者が高齢化しており、次代に語り継いでいかなければならない」と話した。

 また児童12人と引率の教員1人が亡くなった妙喜寺(同市江原町)には約20人が集まった。両親と妹、弟ら計5人を失った三輪賢伍さん(84)は「音もせず家が崩れて砂煙が立ち上り、空の星が見えなくなった。まだ小学生なのに、突然両親がいなくなったショックは言い表せない」と当時を振り返った。参加者は汁粉などの振る舞いを受けて当時をしのび、佐久間桂祥住職は「近所が仲良くすることがいざという時に役に立ちます」と話していた。

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 ■ことば

 ◇三河地震

 1945年1月13日午前3時38分、三河湾を震源とする直下型地震で震度7を記録、2306人が死亡した。戦争末期で西尾市や周辺地域にあった寺には名古屋などから大勢の児童や教員が疎開しており、犠牲となった。戦況が悪化していた当時、国民の戦意喪失の恐れがあるとして報道管制が敷かれたため被害は正しく伝えられず、「隠された地震」ともいわれている。