昨年9月のリオデジャネイロ・パラリンピック車いすテニス男子ダブルスで4強入りした出雲市出身の三木拓也選手(27)が、2020年の東京大会で金メダル獲得を目指してトレーニングを続けている。県立出雲高校3年の時、「骨のがん」ともいわれる骨肉腫を発症。テニスのコーチになる夢を奪われ、挫折を経験した。前を向くきっかけは、心に響く言葉をかけてくれた人たちとの出会いだった。【山田英之】

 三木選手は現在、埼玉県内に住み、東京都内のトレーニングセンターを拠点に、練習を続けている。

 小さい頃から体を動かすことが好きで、出雲高でもテニス部で活躍した。高校3年の時、骨肉腫と診断され、医師に「スポーツはあきらめてほしい。普通の人と同じようには、もう走れない」と告げられた。

 「心の準備がなく、なぜ自分が病気になるのか、葛藤があった。生きてきた中で一番の挫折だった」と三木選手は振り返る。

 抗がん剤治療で髪が抜け、眠れない、食べられない、外出できないのが苦痛だった。62キロの体重が47キロまで減少。人工関節を左足に入れる手術後、思うように動かない左足に「自分は本当に障害者になったんだと突きつけられた」。

 将来が見えない状況の中、リハビリを担当する理学療法士の言葉で、新たな目標が見つかった。「障害を持ったからこそ、大人になってから、同じ体験をした人の支えになれる」。自分も理学療法士になりたいと思えた。

 病室で見た動画は、さらに人生を変えた。2008年の北京大会男子シングルスで金メダルを獲得した国枝慎吾選手の試合に「車いすテニスで、ここまでのプレーができるんだ」と感銘を受けた。もう一度頑張る活力になり、大学入学後に車いすテニスを始めた。

 ロンドン大会出場に向けて、理学療法士になる夢と車いすテニスの両立に悩んだ時期もあった。大学の恩師は「本当の気持ちに素直になることが一番重要。パラリンピックに出るのは今しかできない」と背中を押した。「救われた命。思うように使ったらいい」と母親も応援してくれた。

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 昨年12月10日、地元の出雲市役所で開かれたトークイベントで、三木選手は車いすを回転させるトレーニングや、車いすテニスを実演。参加者との記念撮影やサインに応じた。

 将来の夢を聞かれた三木選手は「東京大会に出場するチャンスがある。これを機にテニスだけでなく、障害者スポーツを知ってもらいたい。メダルを取ることで、障害のある子どもたちの力になりたい」と語った。

 生まれつき全身の骨がもろい骨形成不全症の米山修二さん(41)=出雲市=は、三木選手の絵を筆ペンで描き、パソコンで着色して贈った。「自分の障害を見つめることは、なかなかできることではない。重圧もある中で、志が高く、考え方がしっかりしている」と感心していた。

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 出場するだけで精いっぱいだったというロンドン大会はダブルスで8強進出。リオ大会はシングルスも8強入りした。ダブルス3位決定戦は、車いすテニスを始めるきっかけになった国枝選手のペアに敗れた。国枝選手に対する気持ちは憧れから、「超えなくてはいけない存在」に変わった。