ようやく会えたレコード会社のディレクターが言った。「ずいぶん泣くんだなあ。山のカケスまで泣いているんだね」「遠い、遠い、思い出しても遠い空…とあるが、君の田舎まで2時間もあれば行けるでしょう」。隣にいた相棒は答えた。「いや、心の中では遠いんです。ふるさとを捨てた者にふるさとは遠いんです」。60年余り前に生まれた船村徹さん作曲の「別れの一本杉」にまつわる逸話である。船村さんは栃木、相棒と呼んだ作詞家の高野公男さんは茨城の生まれ。ディレクターは「おれも群馬だから分かる。曲もいい」と言った。歌った春日八郎さんは福島出身だ。地方出身の4人の思いが込もった船村演歌の名作といえよう。ヒットの翌年、高野さんを結核で亡くす。2人で過ごした時間は8年にすぎない。だが、親友の「そうだっぺで何が悪い」というひと言にずっと支えられた。「私の曲は栃木弁のメロディー」と胸を張っていたという。皮肉なもので、ふるさとを捨てなければ相棒とは出会えなかった。ギター一本で東京の酒場を流す青春の苦労なしには、大衆の郷愁を誘う曲も生まれなかったはずだ。昨日の葬儀では「別れの一本杉」「王将」などの代表曲が演奏された。もうすぐ3月。多くの若者がふるさとを離れる季節である。どんな別れの涙を流すのだろう。時代は移り変わっても、望郷の念は変わらない。