近藤史人のノンフィクション『藤田嗣治「異邦人」の生涯』には、天才画家・藤田嗣治がなぜ当時の日本では脚光を浴びなかったのかが描かれています。ピカソも認めた藤田嗣治とはどんな人物なのか、『藤田嗣治「異邦人」の生涯』から探ってみましょう。

髪型が超個性的。フランスで最も有名な日本人天才画家 藤田嗣治

藤田嗣治はレオナール・フジタとして、フランス政府よりシュバリエの称号を贈られたフランスで最も有名な日本人画家です。髪型がとても個性的なマッシュルームカットの藤田嗣治は、日本では異質な存在であると酷評を受け、その生涯をフランスで閉じました。その背景にあったのは、二度の世界大戦。「時代の先を常に歩いてゆくべき」という信念のもとフランスに渡り、世界から多くの注目を集める中、日本だけはそれを異質と捉えました。NHKのディレクターだった著者である近藤史人は、そんな藤田嗣治にスポットを当て、彼の残した手記や妻による協力のもとノンフィクションで「藤田嗣治「異邦人」の生涯」を書いています。

藤田嗣治とはどんな人物なのか?

藤田嗣治の才能はフランスで爆発を見せました。「普通の人が考えているような事でもなく、もう一つ先のことを考えねばならぬ」という考えのもと、1913年フランスに渡った藤田嗣治はそこで多くの有名画家達の作品に触れ、学び、その才能を花開かせました。
パリ画壇が最も注目したのは彼の「すばらしき乳白色」にありました。多くの画家が悩んでいた、まるで生きているような人の肌を表現する色の表現が、オリジナリティーに溢れていたのです。
「総皆の友人の成す事と正反対の行動をとった」と言う彼は、一躍パリで有名になった天才画家の道を着々と上ってゆきました。しかし、その活躍とは裏腹に日本での評価は高くなく、その秀逸な彼の作風を妬んだ人達によって、時代と共にどん底へと引きずりこみます。『藤田嗣治「異邦人」の生涯』でも日本とフランスの温度差、日本の美術への関心のなさ、時代の流れなどが描かれています。

ピカソに認められた!? 藤田嗣治の「寝室の裸婦キキ」

藤田嗣治は、エコール・ド・パリを代表する唯一の日本人画家です。フランスで彼の名前を知らない人はいないでしょう。彼の作品は様々ですが、その代表作ともいえる作品は「寝室の裸婦キキ」です。この作品はあのピカソにも注目されました。「寝室の裸婦キキ」がなぜ注目を集めたか、それは彼の描く裸婦の肌色にありました。当時多くの画家が悩んでいた人間の輝くような肌色を、見事に表現したのです。「すばらしき乳白色」として多くの称賛を集めたこの作品は後に、「使われていたのはベビーパウダーだった!」と分析まで行われました。それほど彼の描いた裸体の乳白色はずば抜けていたのです。

藤田嗣治の生涯を映画化した作品「FOUJITA」は、2015年10月に東京映画祭で上映、11月に全国公開されました。小栗康平監督のメガホンで髪型と風貌がそっくりなオダギリジョーが熱演し、二つの国、そして戦争という時代に多くの苦悩を抱いて生きた天才画家藤田嗣治を見事に映像化し話題になりました。