4月から放送されてきたNHK朝の連続ドラマ「とと姉ちゃん」も、9月26日週(朝8時から放送)「花山、常子に礼を言う」が最終週です。幼い頃にとと・竹蔵(西島秀俊)と死に別れ、その時の約束で自分がととの代わりの「とと姉ちゃん」になると誓った小橋常子(高畑充希)。すでに常子自身、父親の年齢を越え還暦を過ぎています。ある時、自分が手塩にかけて作り上げた「あなたの暮し出版」の一室で、常子は亡きととに再会。ととは常子の頭をなで、「よく頑張ったね」と言うのでした。

「25週目(常子、大きな家を建てる)」のおさらい(145話〜150話)

アカバネ電器製造の社長・赤羽根憲宗(古田新太)のたび重なるいやがらせに屈せず、公開の商品試験によって正当性を認められた「あなたの暮し」。ついに発行部数80万部に成長しました。
そして昭和39年。オリンピックの年に、常子は大きな我が家を建てたのです。
水田正平(伊藤淳史)・鞠子(相楽樹)と長女たまき(蒔田彩珠)、長男・潤(山下心煌)の家族。南大昭(上杉柊平)・美子(杉咲花)と長女・真由美(上杉美風)の家族も加わり、9人の大所帯となりました。
ようやく小橋家にも落ち着いた日々が訪れようとしています。
ところが、かか・君子(木村多江)がガンに侵され、自宅療養の中、死去するという出来事がありました。落胆する小橋家三姉妹。
小橋家の毎朝の食卓で、いつもニコニコと孫の世話を焼いていた君子の座る場所は、ポッカリと空いたまま。常子はとと亡きあと、母親が優しく自分をかばってくれた様々な思い出を「小さな幸せ」と題して1冊の本にまとめ、あらためて母に感謝するのでした。

いっぽう水田家の長女・たまき(吉本実憂)が大学を卒業し、「あなたの暮し出版」に入社します。若い人材が次々と「あなたの暮し」に携わり、編集長の花山伊佐次(唐沢寿明)もわずかながら荷が軽くなってきたようです。ところがその花山が、数年前に罹った心筋梗塞を悪化させて…。

「151話」主婦が働きやすい職場環境を提案

働く女性の生活に役立つ雑誌をテーマに発行し続けてきた「あなたの暮し」では、社内にも大勢の女子社員が働いています。その中の一人、大塚寿美子(趣里)が子育てのため退職することを考えていたので、常子は、これからは主婦が働きやすい環境も必要と考えるようになりました。
昭和49年4月。常子は、通勤せず自宅で作業を行うことを認める制度を発表します。当時としては、一般社会でもまだそこまで社員の職場環境を刷新する企業は見当たらず、革新的な考えでした。
その日の夜、大塚寿美子が残業している時、常子は会社にとってあなたが必要だから退職を考え直してほしいと告げます。寿美子も、今朝がたの常子の「働く女性」をテーマにした職場環境の在り方に感銘し、「主人とも一度話し合ってみます」と答えるのでした。

そのころ花山は、身体のこともあり職場を定時に帰ることを日課としていましたが、思うことがあり、今後の「あなたの暮し」に必要なものを考えていました。
そして突然、広島への取材を思いつき…。

「152話」取材中に倒れた花山に家族も心配

花山が広島へ取材に行ってから4日目。編集部の花山のデスクの上は、最終チェックを受ける原稿が山積み。常子や美子も花山が帰ってくるのを待ち望んでいます。
そこに花山の妻・三枝子(奥貫薫)から電話が入り、花山が東京駅で倒れたと知らせが入ったのです。
あわてて病院に駆けつける常子と美子。するとベッドの上で花山が、何事もなかったかのように、「やあ、おふたりさん」と原稿を書いていました。
花山の顔を見て少し安心する二人。花山は今度の広島取材の目的を話しはじめます。
それは、戦争の中の人々の暮らしを記録として残したいというものでした。
終戦のバラック建ての喫茶店で、常子と再会したときからずっと考えていたことだと言います。
そして身体の状態が良ければ、来週にでもまた広島へ取材に行くと言いだしました。
ところがこれには花山の娘である茜(水谷果穂)が怒り出しました。「いい加減にしてよ、お父さん!」。三枝子も花山の身体を心配して反対します。すると花山は、「死んでもかまわん! 現役の編集者でありたいんだ」と怒鳴り返しました。
花山の気性を知っている常子はあえて反対することもせず、後日、「あなたの暮し」の読者に戦争体験記事を募集したらどうです、と花山に提案します。
これなら花山の身体への負担も軽くなり、家族の心配も軽減します。花山はその提案を受け入れることにしました。

「153話」全国各地から送られてきた戦争体験記事

「たいへんです!」と社員の島倉勝(内野謙太)が「あなたの暮し出版」の2階から降りてきました。常子が上がっていくと、なんと病院で安静にしていなければならないはずの花山が、編集長室で仕事を始めているのです。常子もたまらず一喝します。「いいかげんになさってください!」。みんな花山さんのことを心配しているのですよ。それを…!
その剣幕に押された花山は押し黙ります。常子はその花山の前に、全国各地から投稿してくれた戦時中の体験を記した手紙を差し出します。その数は100通以上。その山と積まれた体験記を見つめる花山。
ここにある「体験記」をすべて掲載したいと花山は言い出します。それなら「あなたの暮し」一冊まるごと“戦争体験記事”特集にしたらと常子。
そこまで言われたら花山もさすがに無理を言うことも出来ず、自宅療養を受け入れ、自宅で原稿のチェックをすることになりました。
こうして生活情報誌である「あなたの暮し」は戦争特集号に向けて、全社員、総力を傾けて取り組むことになったのです。

花山のほうは心臓病がおもわしくなく、雑誌の完成間近に病院に入院していましたが、また自宅療養に戻りました。「まだまだ、自分がいなければ…」と意気だけは軒昂で、自宅に運ばれてくる原稿類を見てはせっせと赤字を入れるのでした。
その日の夜、花山から戻されてきた訂正原稿を抱えて美子が自宅に戻ってきました。常子はその修正の赤入れが多いのにびっくりしますが、でも「元気そうで安心したわ」と喜ぶのでした。

「154話」花山はめずらしく常子に「ありがとう」と…

特集記事を「戦争中の暮し」と銘打って発行した「あなたの暮し」はついに100万部を突破したのです。
花山は読者からの手紙を読みながら、「ありがたいね」としみじみ感想を述べます。でも、これが最終地点ではなく、まだまだ「あなたの暮し」の通過地点。「次号があるだろう。準備を始めんと…」と常子や美子にハッパをかけるのでした。

昭和50年1月。凍てつく冬の寒さの中、社員たちは花山編集長の原稿チェックを受けに会社と花山の自宅を行き来します。
相変わらず怒鳴りまくられています。でも、社員たちは花山に怒鳴られることが嬉しくてたまらない様子です。
今日は鞠子の長女・たまきが花山の元へ原稿を届けに行きました。浮かない顔です。
会社に戻ってきたたまきは、「怒鳴られたほうがましです…」と哀しい表情を浮かべます。花山の病状は日に日に重くなり、近頃ペンを握る力も辛そうで、社員がチェック内容を原稿に代筆するほど身体が弱ってきていました。

ある雪の日のこと、常子が花山の代筆をしています。原稿のチェックが終わった後、花山はあとがきの口述筆記を常子に頼みます。その内容はまるで遺言のようでした。常子は、花山さんが死んだら私はどうなるの、と泣きだしました。
花山は、「大丈夫。常子さんが迷ったら、常子さんの肩に宿って常子さんを導くから」と言うのでした。
帰り際、妻・三枝子に挨拶して帰ろうとした常子に、花山が次号の表紙の絵を差し出します。そしてめずらしく、「ありがとう」と言いながら、常子が立ち去るまで、何度も何度も手を振りながら見送るのでした。

「155話」花山が死ぬ前に残した三姉妹へのメッセージ

それから2日後のことです。花山の妻・三枝子から常子に電話が入りました。花山は、ただ今亡くなりましたと。
常子はなぜか遠くで声を聞いていたような感覚で、すぐに花山宅へ行くことを三枝子に伝えます。
花山宅では、花山が安らかな顔をしてベッドに横たわっています。三枝子は涙ながらに、花山の様態が急変し連絡が取れなかったことを常子に謝ります。
そして三枝子から、先日常子さんが帰った後、「常子さんに任せておけば大丈夫だ」と花山が語っていたことを伝えます。常子は、「そんなふうに褒めてくださったのは初めてですね」と涙ながらに喜ぶのでした。

小橋家に戻って来てから三姉妹は、それぞれが花山との別れを惜しんでいます。最後の花山の修正原稿を読んでいると、中に、三姉妹に向けてメッセージが挟みこまれていました。美子には、広告掲載に怒って花山が会社を辞めることになった時、情熱を持って自分を引き止めてくれたことの感謝が書き留めてあります。鞠子には編集者から主婦へと人生を変え、立派に子供を育て上げたことへの喜びが書かれています。そして最後に常子には、「常子さん、君に感謝を伝えるには、原稿用紙が何枚必要だろうね。君がいなければ、今の私はいなかった。ありがとう」とお礼の言葉が書かれていたのです。
そしておまけとして、社員全員の似顔絵も添えられていました。

それから2ヵ月後。「あなたの暮し」は長年の功績を認められ、雑誌の最高栄誉である「日本出版文化賞」を受賞します。その模様がテレビで放送されることになり、当日、「あなたの暮し出版」では社員一同が社内のテレビの前に。
鞠子はとと(西島秀俊)と、かか(木村多江)の写真を持ち出して、テレビの前にくぎ付けになります。
当の常子はそんな家族の様子を知ることもなく、撮影に挑み、あがらないように自分自身の肩を叩き、花山と語らっていたのです。

「156話」父親と夢で再会。頑張ったねと褒められる

テレビに出演した後に小橋家、水田家、南家で受賞の祝宴が始まりました。
思い出に花が咲きます。深川の森田屋で仕出し弁当を運んでいた戦時中の出来事。食糧難で米を手に入れるために常子と君子が町内の運動会に出ようとしていた時、君子が足を挫き、代わりに運動音痴の鞠子が出場した二人三脚の話。過ぎてしまえば楽しい思い出ばかりです。
その日の夜、常子は夢を見ます。
夜、社内で原稿整理をしていると、突然社員が誰もいなくなっています。不審に思って1階に下りて行くと誰かが…。男の人です。
恐怖感はなく近づいて行くと、その男が「やあ、常子…」と呼びかけるのです。
その男は、幼い頃に死に別れた時のままの、とと・竹蔵だったのです。
二人は近づきます。そして竹蔵は常子に出版社の中を案内してくれと頼みます。
常子は編集室や商品試験室を案内。150名近い社員やテスター達に協力してもらい「あなたの暮し」を作っていることを竹蔵に説明します。
竹蔵は常子の頭をなでます。幼かった頃の常子にしてやったように、優しく頭をなでながら、「常子、よく頑張ったね」と褒めてくれました。
そんな父親の姿に接して、常子は泣きそうな顔をしながらも、「わたし、とと姉ちゃんでいられて幸せでした」と答えるのでした。

目が覚めて庭を見ると家族が集まり木の実を摘んでいます。とと姉ちゃんこと常子は、机の前に座ると戦時中から肌身離さず持っていた“家族を守る”、“鞠子と美子を結婚させる”、“家を建てる”の3枚の短冊をそっと引出しにしまいました。
とと姉ちゃんはとうとうやり遂げたのです。

そしてラストシーン。
時は流れ小橋常子は68歳になっています。まだ現役の編集者です。社員の一人がミスを起こし謝りの電話を入れようとしています。すると常子が、「電話じゃダメ。ちゃんとお会いしてお伝えしないと」と言いながら、社員が止める間もなく、階段を駆け下りています。
猪突猛進、昔とちっとも変らないとと姉ちゃん。常子は今日も街中を元気に駆け出して行くのでした。

連続テレビ小説「とと姉ちゃん」公式サイト(http://www.nhk.or.jp/totone-chan/)