私たちはこの世に暮らす限り、税から逃れることはできない。長い歴史の中で、為政者たちはひげを生やす権利から衣服を着る権利に至るまで、あらゆるものに課税してきた。なかには、「現代に存在しなくてよかった」と思う税も数多い。税が生まれた歴史を振り返りつつ、いくつか紹介しよう。

始まりの時代(古代エジプト)

 課税システムを最初に整備した文明の1つが古代エジプトだった。課税の仕組みが整えられていったのは紀元前3000年頃から。ナルメルが下エジプトと上エジプトを統一し、エジプト第1王朝を創始した直後のことだ。

 古代エジプト黎明期の支配者たちは、税に個人的にも強い関心を寄せていた。彼らは自ら側近を連れて毎年国中を回り、油、ビール、陶磁器、家畜、農作物など課税対象者の資産を評価した上で税を課した。古王国時代、税収はギザのピラミッド建設などの巨大プロジェクトに投じられた。

 古代エジプト3000年の歴史を通じて、課税システムはより洗練されたものとなっていく。

 新王国時代(紀元前1539年頃〜紀元前1075年頃)には、収入が発生する前に収入額を予測し課税する方法も編み出された。これは「ナイロメーター」が考案されたおかげで可能になった。毎年氾濫が起こる時期にナイル川の水位を測定する設備だ。

 もし水位が低過ぎれば、干ばつで作物が枯れてしまうことが予測される。逆に水位が十分であれば、豊かな実りが期待でき、課税額も高く設定できるという計算だ。

遺体税(古代メソポタミア)

 税の歴史は鋳造貨幣の歴史よりも古い。どんな物でも課税対象になる可能性があり、納税方法もバラエティーに富んでいた。

 なかでも、古代メソポタミアではずいぶん奇妙な納税方法が生まれていた。「例えば、ある遺体を墓地に埋葬する際にはビール7たる、パン420個、大麦2ブッシェル、羊毛の外套1枚、ヤギ1頭、ベッド1台が課税されたと考えられます。1人の遺体にです」と、米オクラホマ州立大学の歴史学者トーニャ・シャラーチ氏は言う。「紀元前約2000年〜1800年には、ある男性がほうき1万8880本と丸太6本で税を払ったという記録があります」

 物納という納税方法を独創的に利用して、収税吏をだます者も現れた。「ある男は非常に重いひきうす石以外は何も持っていないと主張し、収税吏にそれを税の代わりに持っていかせました」

トイレ税(ローマ帝国)

 ローマ皇帝ウェスパシアヌス(在位69年〜79年)は、アウグストゥスやマルクス・アウレリウスのように誰でもが知る人物ではない。しかし彼は混乱期にあったローマ帝国に安定をもたらした。その方法の1つが尿への課税だった。

 古代ローマ人は、小便(尿)を重宝した。アンモニアが含まれるからだ。彼らは、この液体がほこりや油分を落とし、衣服の洗濯や、果ては歯のホワイトニングにも使えることを発見した。公衆トイレにたまった尿の取引が行われるようになると、ウェスパシアヌスはこれに課税し、かなりの税収を得た。

 だが、これを不快に思う人々もいた。歴史家スエトニウスは、紀元120年ごろの著書『ローマ皇帝伝』にこう記している。「尿にまで課税することをウェスパシアヌスの息子ティトゥスがとがめた。すると、ウェスパシアヌスは初回の徴税で得られたコインの1枚を息子の鼻先に突き付け、『臭うか』と尋ねた。息子が否と答えると、ウェスパシアヌスは言った。『だが、小便から得たんだぞ』」

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