128年前の9月22日、ナショナル ジオグラフィック協会は会員誌の第1号を発行した。「地理知識の向上と普及」をめざすために協会が設立されてからわずか8カ月後のことだった。

 第1巻1号は米コネティカット州ニューヘイブンで印刷され、表示価格は50セント。見た目は相当に堅苦しい。栗色の表紙には目を引く黄色い枠がないし(黄色い枠が初めて現れるのは1910年)、98ページ中、写真は1枚もない。

 創刊号に掲載された6本の記事はもともと、1888年2月から5月にかけて協会が2週間に1度開いていた会合で発表された論文だった。会場は初めニューヨークのコロンビア大学で、後にワシントンD.C.のコスモス・クラブに移った。

 できたての会員制刊行物にありがちなように、内容の大半はいわば「仲間うち」で書かれ、協会の設立メンバー33人のうち5人と、当時または後の会長3人が第1巻第1号に執筆している。執筆陣は学術的な調子をしっかりと保ちつつ、それでもなお科学と探検への情熱を伝えていた。この熱意は、128年経った現在も変わらず大切にされている。

 ナショナル ジオグラフィック第1巻第1号には何が書かれていたのか。主な記事を紹介しよう。

●3ページ:「巻頭言」(ガーディナー・グリーン・ハバード)

 巻頭言のまさしく1行目で、自分が「科学界の人間ではない」ことをナショナル ジオグラフィック協会の初代会長ガーディナー・グリーン・ハバードは告白している。そして、こう続ける。「教育を受けた者なら誰でも感じているはずの一般的な関心を地理に対して持っているにすぎません」

●11ページ:「地質調査における地理学的方法」(W.M.デービス)

 アメリカ地理学の父とされる会員、ウィリアム・モーリス・デービスが、地形が侵食により「幼年期」から「老年期」へと変化していく「地形輪廻」に関する有力な学説を紹介している。デービスの詳しい説明はナショナル ジオグラフィック初の特集記事だった。

 デービスはまた、一般市民の間に地理学の知識が乏しいことを行数を割いて嘆いている。「この点における教育の誤りのため、精神的な楽しみの機会が失われることを考えると、とても悲しくなる」

●27ページ:「地理的形態の生成要因による分類」(W・J・マッギー)

 後に会長を務めるウィリアム・ジョン・マッギー(在任1904-1905)は、米地質調査所(USGS)の地質学者であり、アメリカ民族学局(Bureau of American Ethnology)の主任民族学者も務めた人物だ。

 マッギーがナショナル ジオグラフィックに寄せた最初の記事は、地理的現象をどう分類するかという学術論文だった。見たところ、マッギーは事象を長々と列挙することに大きな喜びを覚えていたらしい。「火山、クレーター、カルデラ、溶岩原、凝灰岩原、石灰華の絶壁、メサ」そして「モレーン、氷堆丘、ケイム、羊背岩、岩床、釜状凹地、湖成平野、河岸氷河段丘、黄土の丘陵や平原、等々」

●37ページ:「1888年3月11日〜14日の“グレート・ブリザード”」(アドルファス・グリーリー)

 1888年の大嵐は「最も破壊的で、最も多くの雪を降らせ、アメリカの観測史上最も異常な冬の暴風雪」だったと考えられている。ニューヨークの一部では積雪が1.5メートルを超えたところもあり、400人以上が死亡した。

 しかし協会の設立メンバー、アドルファス・グリーリーは、3ページにわたって大まかな見解を述べるのに先立ち「これまでに米国東部で起こった危険な嵐に匹敵するものでは決してない」と断言する。その後には、米国で嵐が発達する過程についてのオーソドックスな説明が続く。

 陸軍准将でもあったグリーリーは、はるかに過酷な状況を経験済みだった。1881年にカナダのレディ・フランクリン湾探検を率いたグリーリーは、補給隊が2度失敗する中、3年にわたって北極海で生き抜いたが、隊員の3分の2を失い、人肉食の非難にさらされた。

●40ページ:「1888年3月11日から14日にかけての米国大西洋岸沖の大嵐」(エベレット・ヘイデン)

 やはり協会設立メンバーのヘイデンは、米国海軍水路部の海洋気象学部門を率いていた。彼が記す大嵐の様子は、創刊号の中で最も臨場感がある。

「漁業用のスクーナーや水先案内船から、大きな大西洋航路定期船に至るまで、どの船上でも、乗組員たちが死ぬか生きるかの戦いを遂行していた。自分自身を守るためだからといってその英雄的な行為の価値は損なわれず、大惨事は必ずしも回避できるとは限らないからといって賞賛が与えられないこともなかった」

●59ページ:「海岸の測量」(ハーバート・G・オグデン)

 ナショナル ジオグラフィック協会設立メンバーのうち、「最も知名度が低い1人」がオグデンだ。彼が働いていた米国海岸測量局(U.S. Coast and Geodetic Survey)は現在、米国測地局(National Geodetic Survey)となり、米国の領土を定義する一連の座標系を維持している。

 オグデンの記事は米国海岸測量局の歴史を要約したもので、彼がこの機関をいかに高く評価していたかが分かる。記事の締めくくりにはこうある。「歴史がアメリカ国民への裁定を記録するとき、米国科学の精神にささげ物をした者たち以上に栄誉を与えられる集団はないだろう。すなわち、海岸測量局の業績だ」

●78ページ:「マサチューセッツの測量と地図作成」(ヘンリー・ギャネット)

 協会の設立メンバーであり、後に会長となるヘンリー・ギャネット(在任1910-1914)は「レポートマン」にして「文字通りのトリップハンマー(連続的にハンマーを打ちつけるだけの単調な機械)」と言われ、「その文章には、個性を感じさせる味わいがなかった」と評される。

 地形図作成の父とされるギャネットは、マサチューセッツ州の地形図作成過程について執筆している。その論文は、まさにレポートマンの仕事だ。地形図作成にあたって記載したもの(郵便局、公共の運河など)、省略したもの(フェンス、種々の穀物など)、記録の方法(形の違う数種類の平板)を知ることができ、さらには1平方マイル当たりの平均測量費用(13ドル)まで書かれていた。