アフリカに暮らすマサイが「神の山」と呼ぶ火山から15キロほど離れた地点に、人類の足跡が状態よく大量に残されている。これまで謎とされてきたその年代が、1万9000年前から5000年前のものであることが9月28日付けの学術誌「Palaeogeography, Palaeoclimatology, Palaeoecology」に発表された。

 400を超える足跡は、テニスコートよりも若干広い程度の範囲に散らばっている。場所はタンザニア、ナトロン湖南岸のエンガレ・セロにある泥地。これほど多くのホモ・サピエンスの足跡が残っている遺跡は、アフリカには他にない。

 なかには、時速8キロ以上という小走りほどの速さで泥の上を複数の人間が駆け抜けたことを示唆する足跡があった。また親指の形がやや変わったものもあり、これはおそらく指に怪我をしていたのではないかと推測される。

 その他、主に女性や子供からなる12人ほどのグループが、一斉に南西の方角に向かって歩いたような足跡も見られる。エンガレ・セロの泥の上には、彼らが一歩踏み出すごとにその足から落ちた泥のしずくの跡までがくっきりと残されている。

「初めて現地を訪れて車から降りたとき、私は涙ぐんでしまいました」と語るのは、調査チームのリーダーを務めた米アパラチアン州立大学の地質学者、シンシア・リウトカス・ピアース氏だ。

「私は人類の起源、つまり我々はどこから来たのか、我々が現在の我々であるのはなぜなのかといった問題に強く惹かれます。足跡の遺跡に私たち人類の歴史を見るのはとても感動的でした」

 エンガレ・セロの他にも、長い年月を越えて残ってきた人類の足跡は存在する。たとえばオーストラリアのウィランドラ湖遺跡には、およそ2万年前に付けられた700個の足跡化石がある。また南アフリカの海岸沿いの2つの遺跡には、12万年前に生きていたホモ・サピエンスの足跡が残っている。

 エンガレ・セロから南西へおよそ100キロの位置にあるタンザニアのラエトリ遺跡には、はるか360万年前の足跡があり、これは人類の祖先であるアウストラロピテクス・アファレンシスのものではないかと考えられている。

 エンガレ・セロの遺跡で特筆すべきは、足跡の数の多さと多様さだ。こうした特徴が、アフリカにいた人類の祖先がどのような暮らしを送っていたのか、その一端を非常に具体的に推測することを可能にしてくれる。

「この遺跡はきわめて複雑です」と、米ニューヨーク市立大学の古人類学者で、今回の調査チームに参加しているウィリアム・ハーコート・スミス氏は言う。「特に多くの足跡が付いている場所が1カ所あり、我々はそこを『ダンスホール』と名付けました。これほどたくさんの足跡が1カ所に固まって残っている例は見たことがありません」

足跡が発見されるまで

 エンガレ・セロ遺跡は、ナトロン湖畔にそびえるオル・ドイニョ・レンガイ火山と深い関わりがある。標高およそ2300メートルのこの山は、薄く広がる銀色がかった奇怪な溶岩が見られることで知られており、牧畜民のマサイはこの山に登り、神エンガイに雨や牛、子供を授けてもらうために祈りを捧げる。

 調査チームは、足跡が残されていた火山灰をたっぷりと含んだ泥は、オル・ドイニョ・レンガイ山の斜面から流れてきたもので、それが麓に広がって泥地を形成したのだろうと推測している。

 泥の表面は数時間から数日のうちに乾いて固くひび割れ、そこに付けられた足跡が消えずに残された。その後、少なくとも1万年から1万2000年前にまた別の泥が流れてきて一帯を覆い尽くし、それ以降、数千年間にわたって足跡は地中に埋もれたままの状態で保たれることになった。

 地元の村に住むコンゴ・サッカエ氏は、2006年には足跡の存在を知っていたが、これが専門家の目に止まったのは2008年のことだ。きっかけは、ペンシルベニア州の自然保護活動家であるジム・ブレット氏が、現場から数百メートルの距離にあるナトロン湖のキャンプ場に偶然滞在したことであった。

 そこで見たものに衝撃を受けたブレット氏は、できる限り多くの写真を撮影し、以前から知り合いだったリウトカス=ピアース氏に見せることにした。

 ブレット氏の写真を見たリウトカス=ピアース氏は、足跡の保存状態のよさに驚き、すぐさまざまな分野の専門家からなる調査チームを結成した。そのひとりが、彼女の旧友で、米スミソニアン協会の人類起源プログラムに所属する古人類学者、ブリアナ・ポビナー氏だ。

「すべてがほぼ同時期に付けられた足跡が数多く残っているおかげで、古代人類の暮らしの社会的な側面を直接的に研究できます」と彼女は述べている。

火山灰ではなく泥だった

 しかしエンガレ・セロの謎――特に人類が泥の上を歩いた正確な時期――を解き明かすのは、容易なことではなかった。調査チームは、学術誌「Palaeogeography, Palaeoclimatology, Palaeoecology」に発表した論文で、その経緯について明かしている。

 彼らは最初、足跡の付いた泥の由来は、オル・ドイニョ・レンガイ山が噴火した後に一帯に降り注いだ灰であろうと考えていた。そうであれば、灰と足跡はほぼ同じ古さ、つまりは12万年前のものということになる。

 しかしその後、灰がエンガレ・セロまで水によって運ばれてきたものであることが判明すると、足跡の年代を特定するためには、泥の中から最も新しい結晶体を見つけ出すという、恐ろしく手間のかかる作業が必要となった。

 足跡の上にある泥から見つかったひとつの貝殻が、これ以上時代が新しいことはあり得ないという限界を特定する決め手となり、足跡が付けられた年代は最終的に、1万9100年前から5000年前であるという結論が導かれた。

 遺跡の年代を特定する作業の遅れによってチームは大いに疲弊させられ、年代の範囲は絞られたものの、人類学的な分析作業は今も立ち往生を余儀なくされている。

3Dスキャン画像で保存も

 エンガレ・セロ遺跡の難解な地質についての論文発表がようやく終わったことで、ポビナー氏とハーコート・スミス氏はこの先、古人類学的な分析が進むだろうと期待している。その内容についてふたりは、2012年に結果が公表された、小走りをする人々や一斉に移動する12人超のグループなど、少なくとも24の足跡についてその特徴が解明された初期調査と似たものになるだろうと述べている。

 リウトカス=ピアース氏はまた、エンガレ・セロを長期間保存する方法についても検討を進めている。

 現在はタンザニア政府が仮の対策として、現場の周囲に有刺鉄線を張って立ち入りを禁止している。しかし万が一最悪の事態が起こったとしても、未来の研究者たちには、8年前にリウトカス=ピアース氏が目にしたのと同じ光景を見る手段が残されている。調査チームがスミソニアン協会の協力の元に作成した、エンガレ・セロ遺跡全体の3Dスキャン画像があるからだ。

 リウトカス=ピアース氏は言う。「たとえ遺跡への立ち入りや調査が禁止されたとしても、我々には3Dプリンターで遺跡の複製を作ることも可能です」