国立航空宇宙博物館や国立自然史博物館など、スミソニアン協会が運営する博物館は米国が誇る知の殿堂だ。そして2016年9月には、アフリカ系米国人の視点から米国の歴史を見直すという使命を帯びた「アフリカ系米国人歴史文化博物館」が新設された。来館者は年間500万人と予測されている。

忘れられていた祖父の勲章

 この博物館には、ジーナ・マクベイの祖父がフランス政府からもらった勲章も展示されている。マクベイが祖父の勲章のことを知ったのは、偶然の成り行きからだった。車の販売店で制服姿の一人の兵士に出会わなかったら、彼女は自分の祖父が第一次世界大戦で果たした役割を知ることもなかったかもしれない。

 店の待合室での何気ない雑談で、自分の祖父が第一次世界大戦に行った話をすると、その兵士は「おじいさまの任務は何でした? 任地は?」と矢継ぎ早に質問を浴びせた。

 彼女の祖父ローレンス・レスリー・マクベイ Sr.は、マクベイがまだ10歳のときに亡くなった。彼女はこの祖父と2回しか会ったことがなく、フランス政府から立派な勲章を授与されたことぐらいしか知らなかった。

「勲章の話をすると兵士は顔を輝かせ、祖父は黒人だったのかと尋ねてきました」。マクベイがアフリカ系だったので、そう推測するのは当然だった。彼は、勲章の名前は『クロワ・ド・ゲール(戦功十字章)』ではないかと言い、「祖父が本当にその勲章を授与されたのか知りたがりました」。次にその兵士が口にした言葉を、マクベイは今でも覚えている。「その勲章がどれほど重要なものかご存じですか? 歴史的に貴重なものですよ」

 1時間後、マクベイはパソコンで第一次世界大戦中の黒人兵士について調べていた。1カ月後には自宅のあるサクラメントからロサンゼルスの母親の家へ行き、祖父が亡くなった1968年以来、しまったままになっていた金属製の箱を調べた。そして4カ月後に首都ワシントンを訪れ、開設準備中の国立アフリカ系米国人歴史文化博物館の学芸員に箱の中身を託した。

「学芸員たちはそれを見て驚いていました」とマクベイは語る。箱の中には、祖父の軍功を詳細に伝える勲章や表彰状、写真、新聞の切り抜きが入っていた。彼が所属した第369歩兵連隊は全員が黒人で、その勇猛ぶりから「ハーレム・ヘルファイターズ」と呼ばれていた。白人の兵士と一緒に戦闘に参加することを禁じられていた彼らは、炊事や荷役を担当したが、その後、兵士の不足したフランス軍の戦力を補うため前線に送られた。今ではほとんど忘れ去られているが、この黒人兵士たちの勇敢な戦いぶりは当時、世界中に知られていた。

「こうしたことを学校ではまったく教えてくれませんでした。誰かが『これは貴重な記録だ。世に広めなくては』と言うまで、箱の中に眠っていたのです」とマクベイは語る。

封印されてきた屈辱の過去

 この博物館の学芸員たちは、マクベイの祖父の遺品のような発見をことのほか喜ぶ。10年前に展示品の収集作業を開始したとき、市場価値のない遺品や史料の多くは地下室や屋根裏部屋、車庫、収納用のトランクにひっそりとしまわれていると考えていたからだ。

 だが彼らは、今も黒人の歴史の多くが埋もれたままであるという確信を裏付ける、もう一つ別の現実に気づいた。黒人の家族は往々にして、苦難に満ちた一族の過去を掘り起こしたがらない。非人間的で屈辱的な人種隔離の制度がまかり通った時代を生き延びた人々の多くが、前進するためには、過去について口をつぐむことが最良の方法だと判断したのだ。

 そのためには封印するほかないものがあった。マクベイが見つけた祖父の箱の中には、クロワ・ド・ゲール勲章のほか、祖国から授与された勲章二つ、フランス政府からの感謝状、米国陸軍の制服姿の祖父の写真も収められていた。「なかに1枚、上の方に祖母が“英雄”と書いた写真があり、感動しました。祖父は本当に勲章をもらっていたのです。私はその場に座り込み、泣いてしまいました」とマクベイは語る。
 こうした思い出を、どうして家族が忘れることができるだろう。

 ニューヨーク市に戻った黒人兵士たちは英雄として迎えられた。だが凱旋パレードが終われば、彼らが戻ってきたこの国は、相変わらず黒人を対等とは見なさない場所だった。兵士たちが帰国した1919年、「赤い夏(レッドサマー)」と呼ばれる人種暴動事件が各地で起き、数百人ものアフリカ系米国人が白人の暴徒に殺害された。

「当時の状況を知れば知るほど、祖父の過去が一切封印されてきた理由がわかりました。それほどつらかったのです」とマクベイは語る。

(ナショナル ジオグラフィック2016年10月号特集「未来へ伝える アフリカ系米国人の足跡」より)