■本日の言葉「quadruple」(四重の、四倍の)■

肩の力を抜いたゆるい「暇ダネ」英語をご紹介する金曜コラム、今週は肩に力を入れまくって観ていたオリンピックの男子フィギュアについてです。今日の高橋大輔選手、感動的でした。織田信成選手は残念でしたが、小塚崇彦選手と共に4年後に期待が持てる演技でした。そうしてそういう日本人観客としての関心事とはよそに、アメリカのメディアでは「To quad or not to quad?(四回転を跳ぶべきか跳ばざるべきか)」という議論が沸騰していました。(gooニュース 加藤祐子)

○跳ぶべきか跳ぶざるべきか

「四回転がなくても勝った」「ロシアのプルシェンコに勝った」。エヴァン・ライサチェック選手の逆転金メダルに、アメリカのメディアは、当然ですが、大騒ぎです。「アメリカがスケートでロシアに勝った」というその喜びぶりは少し、冷戦時代のメダル争いをも彷彿とさせます。冷戦終結から20年程度では、因縁のライバル関係が意識から消えるはずもないというか(個人的にはライサチェック選手の、ウォール街にいそうな銀行マン的風貌と、あの「白鳥の湖」のロットバルトのような衣装とのミスマッチが実に興味深いのですが、それはどうでもいい話です)。

「プルシェンコか、ライサチェックか」でハラハラしていた米メディアとファンは、このところ「男子フィギュアは四回転ジャンプ(quadruple jump=quad)がないと勝てないのか」と議論していました。たとえばスポーツメディアのESPNでは「To quad or not to quad? (四回転を跳ぶべきか跳ばざるべきか?)」と。ちなみにこれは、「ハムレット」の有名な独白「To be or not to be? (生きるべきか死ぬべきか)」をもじった表現です。

この記事にもあるように、「To quad or not to quad?」議論についてロシアのプルシェンコ選手は16日のショートプログラムの後、「フィギュアスケートの将来は四回転ジャンプにかかっている(The future of figure skating is in the quad jumps)」と発言。「ほかのことに注力すべきか議論してもいいが、それは時間を逆戻りするようなものだ。(中略)将来的には、四回転サルコウも四回転フリップも四回転ルッツも必要になるだろう。もちろんトランジションもスピードもステップも必要だが。ほかの競技ではみんな技術革新している。スケートは停滞してしまったようだ」と。

こう言うプルシェンコ選手の横で高橋選手も、自分の求めるパフォーマンスとスケートの未来に四回転は必要だと言い、それにプルシェンコ選手がうなずき「ありがとう」と感謝する、そういうやりとりもあったと。

男子フィギュアはジャンプ能力だけが高ければいいのか、それとも表現力も必要なのかという、これは競技の本質にも迫る議論です。ある意味で、これは速ければいいとか高ければいいだけでは済まされない、表現力が問われてしまう採点競技が本質的に抱えているアンビバレンスでもあるのでしょう。

しかし結局は、四回転を跳ばなかったライサチェック選手が勝ち、四回転を成功させたプルシェンコ選手が順位を落として銀、そして四回転を失敗した高橋選手が銅メダルを獲得(ちなみに初成功させた小塚選手はSPと同じ8位)。

これを受けてニューヨーク・タイムズは競技が終わるや否やの素早さで、「Dispute Settled: Quad not Needed to Win(議論終了、勝ちに四回転は必要ない)」という記事を掲載していました(その右にはかねてから載せていた、主要男子選手の四回転比較。選手の名前を押すとそれぞれの四回転ジャンプが比較できて面白いです)。

記事いわく、「四回転ジャンプは挑戦するメリットよりリスクが大きすぎるという考えが、今回の五輪競技の結果で改めて強調された」「過去4季の主要国際大会で選手たちが試みた全ての四回転ジャンプを検討した結果、トリプル・ルッツよりも四回転をやった方が高得点につながったというケースは3割しかない。トリプル・ルッツは四回転よりも難易度はずっと低いが、見事に決めれば四回転ジャンプと同じぐらいの高得点を獲得するからだ」と。

回ればいいってものじゃない。跳べばいいってものじゃない。それは私もそう思います。たとえば高橋選手の演技には、優れたアスリートの身体能力に加えて、優れたダンサーの表現力がほとばしっていました(彼の顔や体の表情ときたら! 審査員席へのアピールぶりときたら!)。まるでバレエのプリンシパルとかエトワールのような身体表現力と演技力です。特に19日のフリープログラムはただうまいだけではなく、観る側の感情を掻き立てる、表現者の演技でした。

けれども「ジャンプこそ男子フィギュアの未来」というプルシェンコ発言も分かる気がします。もともとフィギュアスケートとは、スポーツなのか身体芸術なのかの境界線が曖昧な競技なので、跳ばなくてもいいとなったら益々「スポーツ」から遠ざかっていくのではないかと、私でさえそんなことを思います。

たとえばAP通信は「金はライサチェックが勝ったが、議論はプルシェンコの勝ち」と書いています。そして、元カナダ代表でリレハンメル五輪と長野五輪の銀メダリスト、エルヴィス・ストイコ氏は「フィギュア・スケートが殺された夜」という記事で、「四回転に挑戦もしない選手がどうして五輪チャンピオンになれるんだ?」と審判団の点の付け方を批判し、「おかげでフィギュア競技は一歩後退してしまった」と嘆いているのです。

ちなみにストイコ氏は高橋選手の演技について「awesome (すごい)」と思ったとのこと。「四回転に挑戦するだけのガッツがあった。その分だけでも、ライサチェックの上を行くべきだった」と。