■本日の言葉「just war」 (正しい戦争、正当な戦争)■


いつもはゆるい「暇ダネ」の英語をご紹介する金曜コラムですが、日本時間の木曜夜(10日夜)にオバマ米大統領のノーベル平和賞演説を観ていて、感動…というか、色々な意味で心揺さぶられたので、今週はちょっと真面目な話をします。「オバマが平和賞に値する何をした」という批判はつくづく最もだと思う一方で、「正しい現実主義」あるいは「正義を胸に抱いたプラグマティズム」のお手本のような演説を聞きながら、アフガニスタン3万人増派を決断したばかりのこの国家指導者こそ、ダイナマイトの発明者が創設した「ノーベル賞」にふさわしいのではないかと、その何ともいえないアイロニーに感服したからです。(gooニュース 加藤祐子)

○オバマ氏らしいきっぱりした曖昧さ

こんなに物議をかもしたノーベル平和賞は珍しいというくらいの平和賞を受賞し、オバマ氏は、受賞演説で「Just War(正当な戦争、正義の戦争)」という言葉を繰り返しました。大統領選中にはおそらく(ブッシュ政権を批判するためもあって)決して口にしなかっただろう「正当な戦争」の概念を、あの(ヒラリー・クリントンやジョン・マケインいわく)「世間知らずな理想主義者」が口にしたという、その驚きたるや。「理想主義か現実主義か単純に二分しようとする考えを私は拒絶する」と、きっぱりと述べたオバマ氏。いかにも、「赤い州だけでもなければ青い州だけでもない」つまり保守だけでもリベラルだけでもない、そして黒人であると同時に白人でもあるオバマ氏らしい、全てを包含した「理想主義でもあり現実主義でもある」というある意味で曖昧な在り方を、なんともきっぱり堂々と宣言したものです。

そしてもう一つ、オバマ氏はもう大統領候補ではなく、すでに1年近く大統領であり続けた人なのだという、その変化が如実に出ていた演説でもありました。「head of state (国家元首)」として、イラクとアフガニスタンで2つの戦争を同時に戦う国の「commander in chief (最高司令官)」として、1年近くを過ごしてきたからには、もはやただ理想主義であることは許されず、こうして「正しい戦争」を語るようになったのかという。何の具体的な責任もなかった時はいくらでも理想論を口にできるけれども、いざ国を守る全軍の最高司令官となったなら、どんな理想主義者でもこれくらいには現実主義者になるのかと、その変遷をまざまざと見る思いというか。

○「正当な戦争はあるのか」という巨大テーマ

理想主義者だと思っていたオバマ氏が「Just War」という熟語を口にした。それに驚いた私はいきなり私事ですが、「Just Warと言うものはあり得るのか」というテーマを学生時代ずっと考えていました。「正義の戦争」とも訳される「Just War」というのは、歴史学や国際政治学における大テーマなのです。マイケル・ウォルツァーの「Just and Unjust Wars(正しい戦争と不正な戦争)」という古典的名著などがあります。

人類が何百年、何千年も議論してきたこの巨大テーマに、オバマ大統領がひとつの演説でカタをつけたわけもありません。けれども、ノーベル平和賞授賞式という舞台でなされたこの演説は、もしかしたら、おそらく、今後何年にもわたり学生や学者たちが「正当な戦争とは」と議論するにあたっての基本材料になるだろう、あるいはもっと巨視的に「戦争と平和」そのものを議論するにあたっての基本材料になるだろうと、そんなことを思いました。この演説を下敷きに、何十本もの論文が執筆されるだろうと。それくらいのインパクトがある、なんというか「food for thought(考える材料)」に満ち満ちていた演説でした。

そして冒頭で触れたように、この演説が「ノーベル」平和賞の授賞式でなされたものだったという見事さ。あるいはふさわしさ。つまり、ダイナマイトという(当時の)大量破壊兵器を発明してしまったアルフレッド・ノーベルが、自分のなしたことへの後悔ゆえに創設した賞を得るには、もしかしたら「世界の平和を確保するための戦争」を戦っている「最高司令官」こそがふさわしかったのではないかと。

つまり、オバマ氏も演説で指摘したように、非暴力の抵抗運動ではヒットラーは倒せなかっただろうし、平和的な交渉でアルカイダを国際社会に取り込めるはずもない。国を守ると誓った国家元首としては、非暴力や恒久平和を主張していればそれで済むという、ある意味で恵まれた立場にはないのだと。選挙戦中にはなかったそういう厳しさが、授賞式のオバマ氏にはありました。若者を戦地に送り込むという厳しい選択をしなくてはならない立場に立つことを、彼は自ら選んだ。その人が、ダイナマイトの発明者が悔恨の念から創設した平和賞を受賞し、そして平和獲得のための方策を語った。その「ふさわしさ」は、これまでの数多の批判や皮肉をうけとめて尚、なかなかにアイロニーに満ち満ちていて、かつ感動的だったと思います。

○非暴力が通用しない時の「正しい戦争」

演説の全文は色々な媒体が訳すでしょうから、ここでは私が「おお…」と唸った部分だけ急ぎピックアップします。演説の英語全文はこちらで

「私がこの賞を受けるにあたって何より大きな問題となっているのは、私がまさに、二つの戦争を戦う国の、最高司令官であることでしょう」

「我々は戦争を戦っている最中です。そして私は、何千人もの若いアメリカ人を遠い国の戦地に派遣する、その責任を負っています。私が戦地に送る若いアメリカ人の何人かは人を殺すでしょうし、何人かは殺されるでしょう」

「なので私は、武力紛争の代償について深く感じ入りながら、ここへ参りました。戦争と平和の関係、片方でもう片方を置き換えるにはどれほど努力しなくてはならないのか、そういう難問でいっぱいになりながら、私はここへやってきたのです」

「人類は長い時をかけて、人間集団内の暴力を法律で抑制しようとしました。同様に哲学者や宗教者、そして政治家たちは、戦争の破壊力をなんとか規制しようと努力してきました。その中から『正しい戦争』という概念が登場し、一定の前提条件を満たす場合に限って戦争は正当化されるという考え方が生まれました。いわく戦争とは、最終手段として、あるいは自衛行為としてのみ容認されると。かつ行使される力の規模が適正で、かつ可能な限り民間人は暴力にさらされないなら、と」

「けれども歴史の大半において、この正しい戦争と言う概念が守られたことは、めったにありません」

「軍隊同士の戦いは、国家間の戦争へと発展しました。つまり戦闘員と民間人の区別がもはや曖昧な、全面戦争の到来です。そしてこの(欧州)大陸は30年間で2度も、そうした悲惨な戦渦に覆われました。(ナチスの)第三帝国と枢軸勢力の打倒ほど正当な大義はめったにないでしょう。しかしその一方で、第二次世界大戦というのは民間人の死者数が兵士の死者数を上回った戦争でもありました」

「それほどの破壊を経て、核時代の到来と共に、世界は次の世界大戦を防がなくてはならないのだと、戦勝国も敗戦国もはっきりと認識したました」

「色々な意味で、こうした努力は功を奏しました。確かに悲惨な戦争は戦われたし、残虐行為もあった。しかし第三次世界戦争はなかったのです(中略) 自由と自決権と平等と法の支配という概念は、つまづきながらも前進してきました」

「しかし今や、国家間の戦争が減る一方で国家内の戦争はどんどん増えています。民族紛争、宗教紛争が再び増え始め、分離独立運動や反政府運動や破綻国家の増加によって、ますます多くの民間人が絶え間ない混乱の渦中に捕われています。今日の戦争では、兵士よりも多くの民間人が殺されています」

「私は今日、戦争という問題について決定的な解決策を携えて来た訳ではありません。ただ現在のこうした挑戦に立ち向かうには、何十年も前に果敢に戦った先人たちと同じような先見性と努力としぶとさが必要だと言うことは分かっています。そしてそのためには私たちは、正しい戦争の概念について、そして正しい平和の要請について、今までとは違う形で考えなくてはなりません(And it will require us to think in new ways about the notions of just war and the imperatives of a just peace)」

「 私たちはまず、自分たちが生きている間に暴力的な紛争をなくすことはできないのだという、辛い真実を受け入れなくてはなりません(We must begin by acknowledging the hard truth that we will not eradicate violent conflict in our lifetimes)。個別の国家による武力行使、あるいは国家集団による武力行使が必要だという事態、必要なだけでなく道徳的にも正当化できるという事態は、今後も必ず起きるはずです」

「何年も前にこの同じ式典で、マーティン・ルーサー・キング牧師が述べた言葉を念頭におきながら、私はこうしたことを言っているのです。キング牧師はかつてここで『暴力は決して恒久平和をもたらさない。暴力は何の社会問題も解決しない。暴力はただ単に、さらに複雑な別の問題を作り出すだけだ』(Violence never brings permanent peace. It solves no social problem: it merely creates new and more complicated ones)と言いました。私は、キング牧師の功績のおかげで、ここに立っている人間です。私は、非暴力抵抗運動のもつ道義的な力の、生き証人です。ガンジーやキングが掲げた信条と、あの2人の人生には、弱いところなど全くないし、受け身なところも、能天気なところも何ひとつない。私はそれを承知しています」

「しかし自分の国を守り防衛すると誓った国家元首として、私はガンジーやキングの先例にばかり倣っているわけにはいきません。私は、ありのままの世界に直面している。そしてアメリカ人を脅かす危険を前にして手をこまねいているわけにもいかないのです。なぜなら、この世に悪は存在するからです。この点を、決して誤ってはなりません」

「非暴力の抵抗運動ではヒットラーの軍隊を食い止めることはできなかった。交渉では、アルカイダの指導者たちに武器を捨てるよう説得することはできません。時には武力も必要だと言うのは、決してシニシズムの呼びかけではありません。武力は必要だというのは、歴史を認識した上でそう言うのです。人間が不完全な存在であり、人間の理性には限界があると、認識した上でそう言うのです」

「第2次世界大戦後の世界に安定をもたらしたのは、国際機関だけではなく、条約や宣言だけではありません。世界はそれを忘れてはならない。我々はいくつか間違いを犯したかもしれない。しかしアメリカ合衆国が60年以上にわたり、自国民の血と武力でもって、世界の安全を裏書きしてきたことは、これは厳然とした事実なのです」

「我々がこの負担を担ってきたのは、自分たちの意志をゴリ押ししようとするからではない。私たちは、英明なる自己利益のためにそうしていたのです。なぜなら私たちは、自分の子どもや孫たちによりよい将来を願っているから。そしてそのためには、ほかの国々の子どもや孫たちが自由で豊かな生活を送れるようになった方が良いだろうと考えるからです」

「なので確かに、戦争のための道具には、平和を守るための役割があります。しかしその真実の横には、いかに正当な戦争であっても、戦争は人間に悲劇をもたらすのだという真実も、常に並存しているのです。兵士の果敢な犠牲は、国への献身、大儀への献身、戦友たちへの献身に溢れ、栄光に充ち満ちています。しかし戦争そのものに決して栄光などなく、決して戦争をそのように持ち上げてはなりません」

○実現可能な正しい平和のためには

「なので私たちに与えられた課題は、この二つの相容れなさそうな真実を、何とか相容れさせ調和させることです。つまり戦争は時には必要であり、戦争はある意味で人間感情の表現なのだと(So part of our challenge is reconciling these two seemingly irreconcilable truths – that war is sometimes necessary, and war is at some level an expression of human feelings)。具体的には、私たちはかつて遠い昔にケネディ大統領が呼びかけた作業に向けて努力しなくてはなりません。ケネディ大統領は『より現実的で、より実現可能な平和に意識を向けましょう。人間の本性が何かいきなり革命的な変化を遂げるなど期待するのではなく、人間集団の在り方が徐々に進化していくよう努力するのです』と言いました」

「私は、人道的な見地から武力行使が正当化されることもあると考えます。たとえばバルカン半島でそうだったように。あるいはほかにも、戦争で傷ついた場所でそうだったように。何もしないでいることは私たちの良心を引き裂き、遅すぎる介入はより大きな犠牲につながることもあります。だからこそ、国民の明確な信託を受けた軍隊は平和維持に貢献できるのだと、全ての責任ある国家はその役割を受け入れなくてはなりません」

「武力が必要な場合、私たちは一定の行動規範で自分たちを縛らなくてはなりません。それは道徳的な要請、かつ戦略的な要請です。何のルールにも従わない凶悪な敵と対決する時でさえ、アメリカ合衆国は、戦争遂行のふるまいにおいて世界の手本にならなくてはならないと考えます。それこそが自分たちと敵を分け隔てるものなのだと。それこそが私たちの力の源泉なのだと。だからこそ私は、グアンタナモ収容所の閉鎖を命令しました。だからこそ私は、アメリカはジュネーブ諸条約を遵守すると改めて確認したのです」

「自分たちの理想を守るために戦っているのに、その戦いにおいて自分たちの理想を曲げてしまっては、自分自身を失うことになります(We lose ourselves when we compromise the very ideals that we fight to defend)。理想を掲げるのが楽な時だけそうするのではなく、そうするのが辛い時に掲げてこそ、自分たちの理想を守ることになります」

——ではどうしたらいいのか。オバマ氏は3つのポイントを提言しました。
1.核拡散や大量虐殺など、法律やルールを守らない国々と相対する時は、武力以外で行動を変えさせることのできる、強制力のある方法が必要。それには具体的に相手国に負担を強いる制裁措置の発動が必要で、そのためには国際社会が一致団結しなくてはならない。

2.どういう平和を求めるのか。平和とは単に、目に見える紛争がない状態ではない。アメリカでは昔から、現実主義と理想主義の対立があり、自分たちの狭い利益を追求するか、それとも自分たちの価値観をひたすら押しつけるしかないと言われていた。しかし私はこの選択肢を拒否する。市民が自由に発言できない、自由に信仰できない、指導者を自由に選び自由に集会できない状態は、不満を抑圧しているだけのきわめて不安定な平和でしかない。アメリカはかつて一度も、民主国家と戦争したことはない。人間の希望を否定することは、決してアメリカの、そして世界の利益にならない。

3.正しい平和とは、市民的および政治的権利のみが保障されている状態ではなく、経済的安全と経済機会の確保も必要だ。真の平和とは、恐怖から自由であることのみならず、不足から自由であることも意味する。国家間の合意、強い国際機関、人権の後押し、開発への投資——。ケネディ大統領の言う進化を遂げるには、どれも不可欠な材料だ。しかしそれだけでは足りない。自分たちの道徳的な想像力を絶え間なく拡大し続けなければ、平和実現の事業はなしえない。

○旅路を導く北極星

そして演説の最後にこういう希望の言葉がありました。

「この世界をより良い場所にするという理想を実現するのは、別に理想的な世界に住んでいなくてもできることです。ガンジーやキングといった人々が実践した非暴力主義は、あらゆる全ての状況で実効性があったわけではないけれども、彼らが唱えた愛と、そして人類は絶え間なく進歩するものだという彼らの信念は、常に私たちの旅路を導く北極星でなくてはなりません(the love that they preached – their faith in human progress – must always be the North Star that guides us on our journey)」

「キング牧師は何年も前にやはりこの場でこう言いました。『曖昧なる歴史への最終回答が絶望だなど、そんなことを私は受け入れない。人類が『今こう』だから、人類の前に常にある永遠の『かくあるべし』という道徳の高みに手を伸ばすことすらできないなど、そんな考えは私は受け入れない』と("I refuse to accept despair as the final response to the ambiguities of history. I refuse to accept the idea that the 'isness' of man's present nature makes him morally incapable of reaching up for the eternal 'oughtness' that forever confronts him.")」

「なので私たちも、あるべき世界の姿に向かって手を伸ばしましょう。それは私たち一人一人の魂の中で未だうごめく、神々しい欠片のきらめきなのです(So let us reach for the world that ought to be – that spark of the divine that still stirs within each of our souls)」

「この世に戦争はあるのだと理解しながらも、平和を求めて働くことはできる。私たちにはできます。それこそが人類の進歩の歴史なので。それこそが世界全ての希望なので。そして大きな課題に直面するこの時、それこそがこの地上における私たちの仕事なのです(We can understand that there will be war, and still strive for peace. We can do that – for that is the story of human progress; that is the hope of all the world; and at this moment of challenge, that must be our work here on Earth)」

 


◇本日の言葉いろいろ

just war= 正しい戦争、正当な戦争
head of state = 国家元首
・commander in chief = 全軍の最高司令官
・food for thought = 考える材料、思考の糧

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◇筆者について…加藤祐子 東京生まれ。シブがき隊と同い年。8歳からニューヨーク英語を話すも、「ビートルズ」と「モンティ・パイソン」の洗礼を受け、イギリス英語も体得。怪しい関西弁も少しできる。オックスフォード大学、全国紙社会部と経済部、国際機関本部を経て、CNN日本語版サイトで米大統領選の日本語報道を担当。2006年2月よりgooニュース編集者。米大統領選コラム、「オバマのアメリカ」コラムフィナンシャル・タイムズ翻訳も担当。英語屋のニュース屋。