どの選手の表情も、幸せそうだった。うれしそうに、かみしめるように、揺さぶっていた。

 リオデジャネイロ・パラリンピックでは、リオ大会ならではの印象的な場面がしばしば観られた。表彰台に上がった選手が、耳元でメダルを振って耳を傾けたのである。たくさんの選手が耳を傾けては、笑顔を浮かべた。

「選手村に帰った後も音を聞くとうれしくて、ずっと鳴らしています。すごく落ち着きます」

 リオデジャネイロ・パラリンピック柔道女子57kg級で銅メダルを獲得した廣瀬順子の言葉が象徴的だ。

 リオ大会でのメダルは、これまでの大会にはない工夫がなされていた。

「RIO 2016 Paralympic Games」と点字の入ったメダルの中には、小さな金属球が入っている。振ることで、その金属球によって音が鳴る仕組みになっていたのだ。

 メダルの色によって、音は異なっている。金メダルは28、銀メダルは20、銅メダルは16個、入っている球の数を変えることで、音色を変えている。

音が鳴るメダルは、これまで存在しなかった。

 点字はこれまでもあった。でも、音が鳴る仕組みはなかった。

 メダルのデザインチームがどのようなメダルがよいかを議論しているさなか、デザイナーのクラウディア・ガンボアが音を出すという案を出したのが、誕生のきっかけだったという。即座にチャレンジを決めると、数カ月をかけて完成にこぎつけた。

 大会を前にメダルの仕様はアナウンスされていたが、いざ開幕して獲得した選手は、メダルを振ると音が鳴り、金銀銅で異なる音が鳴ることを実感とともに広めていった。

 表彰台で、あるいは表彰式を終えて引き上げていく途中で、選手がメダルを振りながら耳を傾けて歩いている。それはリオ大会の風景となった。

 9月18日、リオデジャネイロ・パラリンピックは幕を閉じた。

 オリンピック、パラリンピックの開催を前に、治安をはじめいくつもの懸念材料が浮上していた。心配されたような出来事が、パラリンピックの期間中に実際に起きたのも事実だ。

5回目のパラリンピックの成田は「いちばん」と。

 一方で、リオ・パラリンピックは選手から高い評価を得た。

 それはメダルに限った話ではない。競泳日本代表の成田真由美は、過去4回パラリンピックに出場した経験と照らし合わせ、こう語る。

「今まででいちばん、よかったと思います。食堂にも1人で行けるし、どこにでも1人で行ける作りになっていました。エレベーターも多かったですし、私が経験している中では、なかったことです」

 他の選手の話でも、施設の作りが動きやすさに配慮されており、ストレスがなかったことが伝わってきた。

 施設や設備面に加え、評価が高かったのは、「人」だ。競技会場、あるいはその周辺で、有償、無償を問わず多くのスタッフが働いていた。

 彼らの姿勢が、選手やメディアに強い印象を与えた。何のてらいもなく、笑顔でサポートをする。それもまた、大会への評価へとつながっている。

困った人を自然に助け合う空気が大会を覆っていた。

 そしてそれは、運営に携わるスタッフばかりではなかった。

 施設の作りに配慮がなされてはいても、競技場の周囲も含め、段差など車いすでは簡単に進めない場所はもちろんある。

 パラリンピックでは、来場者の中にも、車いすを利用している人が少なからずいた。しかし、彼らがうまく進めずに困っていれば、通りがかりの人々であったり、みかけた人たちが手を差し伸べていた。あまりにも自然な光景だった。

 別れ際には、手を差し伸べた人たちが、ごくごく自然な笑顔で親指を立てて去っていった。手を差し伸べた人、差し伸べられた人、その間に楽しそうな空気すら感じられた。

 競技施設内外の、そうした情景もまた、大会の空気となっていただろう。

 振ると音が鳴るメダル。選手にストレスのない施設設計。何よりも、人々の姿。

 リオ・パラリンピックが残した選手たちへの、大会をさまざまな形で体験した人たちへの記憶と情景。それは、4年後、2020年の東京大会へと思いを至らせる。

 それらは大会を成功へと導くものは何かを、示唆してもいる。

 いや、4年後のみの話ではない。日常の光景への問いかけでもある。

文=松原孝臣

photograph by AFLO