真っ赤な輪が一瞬、ほどけた。その中心で黒田博樹と新井貴浩が涙を流しながら抱き合っている。テレビで、繰り返し放送された広島の優勝シーンだ。

 阪神の球団関係者は、なすすべなく敗北を重ねる自軍の窮状に忸怩たる思いを抱きながら、こう述懐する。

「広島で、よかった。他の球団だったら、うちも出していなかっただろう」

 2年前の秋だった。

 ソフトバンクとの日本シリーズに1勝4敗で敗れた翌日、ネクタイを締め、スーツ姿の新井は球団側と話し合った。広島からFA宣言して、阪神に移籍して7シーズンが過ぎた37歳は、覚悟を胸に秘めていた。

「阪神を出してください」

 そして、こんな言葉もあったという。

「ゴメスはすごくいいヤツなんです。打ったら拍手して喜んでしまう自分がいます。このままなら埋没してしまう。自分がダメになってしまうと思います」

 悔しさ、もどかしさをオブラートに包んだ物言いだろう。日々の戦いに心身を焦がしながらも実直な人柄がにじみ出る。だが、言葉の柔らかさとは裏腹に置かれている立場に強い危機感を抱いていた。高年齢、そして出場機会激減……。引退に追い込まれるベテランがたどる道だった。

 '14年は94試合出場にとどまり、43安打はプロ2年目の'00年より少ない。瀬戸際に追い詰められ、そのまま立ち尽くすのか、それとも、次の1歩を踏み出すのか。新井は立ち止まらない人だった。

チーム改革のあおりを受け、出場機会は激減。

 確かに、不遇な1年だった。

 長打力不足を解消すべく、チームは新外国人のマウロ・ゴメスを補強した。だが、同じ一塁のポジションを競うライバルは来日が遅れ、2月のキャンプインに間に合わない。調整不足は否めず、オープン戦で充実の打撃を見せつける新井とは対照的だった。それでも、開幕スタメンはゴメスの手中へ。

 交流戦で先発を重ねた以外、おもに代打として過ごし、悔しいシーズンだった。たえず前に進もうとするチーム事情のあおりをモロに食った。

 当時、指揮を執っていた和田豊監督(現阪神オーナー付シニアアドバイザー)も新井の覚悟に触れ、退団の報告も受けた。

野球人生の最後を求めて、古巣広島に復帰。

「シーズン中から葛藤はあったと思う。大切な戦力だったし、ゴメスの絡みはあったけど、新井がチームにいる、いないでは、ベンチを含めて、すべての面でめちゃくちゃ痛かった。でも、新井の野球人生だからね。一番、試合に出られる機会を求めて野球人生の最後をどこで過ごすか。そこは新井の決断だから」

 和田は同じグラウンドに立つ者として、野球に向き合う姿を見ていた。

「ウオーミングアップから手抜きしない。ダッシュで最後は流してしまうものだけど、新井は最後まで抜かない」

 全体練習後、いつまでも打っている姿が脳裏に焼きつく。

「もう休めよ、というくらいに、突き詰めるんだよな」

 それくらい、一途になる男の決心だった。

 阪神を自由契約になり、広島が手を差し伸べ、まとまった移籍だったという。FAで球団を移った選手が、かつてのチームに戻るのは珍しい。新井自身も広島の入団会見で「想像していなかった。そこに帰っていいものか」と偽らざる心境を明かしている。阪神の理解、広島の愛情あってこそ実現した古巣復帰だろう。

人的補償で移籍した赤松も広島で花開いた。

 25年ぶりの優勝を遂げ、赤ヘル軍団はビールかけで喜びを分かち合う。そのなかには、俊足で鳴らすプロ12年目の赤松真人もいた。

 新井がいなければ、あるいは、広島でプレーすることはなかったかもしれない。

 阪神に'04年のドラフト6位で入団。転機になったのは8年前だ。FA宣言した新井が阪神に加入したのに伴って、人的補償で広島に移籍した。当時を思い起こし、いつものように、あっけらかんとした声で言う。

「自分の意思でカープに行ったわけじゃないけど、カープからは来てほしいということですから。阪神にいたら、どうなっていたか分からない。カープで運良く試合に出させてもらい、大きな舞台でプレーするのは重要だと感じました。野球選手として(移籍は)当たり前のこと。自分次第だと思っていましたから」

 赤松は広島で花開いた。

 移籍1年目の'08年から一軍に定着。'09年は開幕スタメンを果たし、規定打席に達するなど活躍した。'10年には外野フェンスによじ登り、本塁打性の打球をつかむ「ザ・キャッチ」の離れ業も演じた。運命のように導かれた新天地で、持ち味を発揮。入団当初、こんな気持ちがあったのだという。

「トレードではなく、FAの人的補償。対等というレベルではないけど一般的に見れば『新井さんの代わりに赤松が来た』となる。話題にはなりますからね」

一度はすれ違った2人が歓喜を分かち合った。

 心の張りをエネルギーに変えて、いまがある。

 赤松には印象に残っている光景がある。

 広島に移籍直後の'08年3月、オープン戦で対戦したときだ。試合前に阪神新井が歩み寄ってきた。

「ごめんな。何と言っていいか分からんけど……」と声を掛けられたのだという。

 あれから歳月がたち、不思議な縁は交錯する。2人は同じユニホームを着て頂点に達した。

 赤松は「このチームで優勝したい気持ちがあった」と笑う。

 FA移籍という決断で、他者の人生も大きく揺れ動く。とてつもない重みもまた、新井が背負ってきたものだろう。

「間合いが全然、違う」と恩師は目を細める。

 '16年9月10日、優勝を確信した東京ドームは赤く揺れた。

 この1年間、ポイントゲッターとして貢献し、39歳にして見違える躍動ぶりだ。ベテランの「変化」に気づいていた人は敵陣にいた。かつて広島で長らく指導し、新井にも手ほどきした、巨人の内田順三打撃コーチだ。プロ47年目、69歳の名伯楽は感心する。

「間合いが全然、違う。ゆったり構えて右方向にも大きいのを打てるようになっている。アイツがさ、本塁打王をとったときくらいかな。『大きいのばかり狙うんじゃなく、打率も考えて逆方向にも打てるようになれ』と言ったのを覚えてるよ。それがさ、いまは、できているんだよね」

 酸いも甘いも味わい尽くし、円熟の域に達した。その道のりを思い、内田は冗談交じりに付け加えた。

「まるで、ツキものが全部、取れたみたいだよな」

 広島復帰という人生の大勝負だった。無数の余話には、さまざまなものを背負いながらも競争を勝ち抜く男の姿があった。

Sports Graphic Number 911

<広島優勝 特別編集>
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文=酒井俊作

photograph by Hideki Sugiyama