9月13日の北海道日本ハム対オリックス戦で、日本ハムの大谷翔平が日本最速の164キロをたたき出した。

 ただ、そこには「しかし」が続く。

「しかしその164キロは、オリックスの糸井嘉男に右前に打ち返され、先制の2点タイムリーとなった」と。

 天井知らずの大谷のことだから、近いうちにまた記録を更新するかもしれないが、164キロが最速記録であり続ける限り、糸井のすごさも同時に語られることになる。

 このエピソードは、今季の糸井の好調ぶりを物語っている。

 日本ハムに入団後、投手から外野手に転向した糸井は、2009年から'14年まで6年連続で打率3割以上を残した。オリックスに移籍2年目の'14年には.331で首位打者に輝いた。

 ところが昨年は一転、不振に陥った。打率は.262に下がり、7月には一時期、登録抹消になるなど怪我にも苦しんだ。

 しかし今年は本来の姿を取り戻し、特に盗塁は、9月22日時点で自己最高の33個を大きく上回る53個で、盗塁王争いのトップに立っている。35歳の糸井がこのまま逃げ切れば、歴代最年長の盗塁王となる。

「盗塁王が2人いるんで、コーチに」

「盗塁王が2人いるんで、コーチに」と糸井は言う。

 今季からチームに加わった西村徳文ヘッドコーチ、高橋慶彦打撃コーチに刺激を受け、盗塁への意識が変わったという。

 まず塁に出なければ盗塁はできないが、打率も昨年とはうって変わって.312でリーグ3位につけており、出塁率も4割を超える。復活した打撃が、盗塁王のタイトル獲りを後押ししてきた。

「今年は活躍できるように、昨年のオフからしっかり目標もたててやってきた。それに、昨年はちょっと故障もあったけど、それをしっかり治せたから」

 不本意な結果に終わった昨シーズン後、復活を期した糸井は、悩まされていた左膝の治療に全力を注ぎ、断食を決行したり、トレーニングも見直した。さらに、探求心は“目”の分野にも及んだ。

イチローも通ったスポーツビジョントレーナー。

 昨年12月、糸井は大阪府吹田市にある「視覚情報センター」の田村知則氏のもとを訪れた。田村氏は長年オリックスをはじめ多くのプロ野球選手と関わってきたスポーツビジョントレーナーで、マーリンズのイチローもオリックス在籍時は通ったという。

 そこで田村氏に受けたアドバイスを、糸井はこう表現した。

「(1点を)グワーッと見るより、全体をボーッと見る方がいい、と言われました」

 この意味について、田村氏は次のように解説してくれた。

「必死になってボールをにらみにいくと、悪いモードになって体が動かなくなり、そして遅れる。気持ちとしてはめちゃくちゃ集中して、ボールをしっかり見ているという気になるんでしょうが、現実は遅れるんです。力むという表現に近いかもしれません。

 そうなると、時間の先を見なくなる。『今だ』と思って手が動いた時にはもう遅い。その“今”はもう“過去”だから。ボールが動いている時は“未来”を見ないと。予測するということです。でも1点に集中しすぎると、“今”ばかり見てしまうんです」

普通、言葉だけで理解するのは難しいが糸井は……。

 昨年、糸井にこの話をした時「あー、今年自分もそうしてました。一生懸命ボールを見にいってました」としきりに納得していたという。

「だから、『ボールを狭く見るんじゃなく、広げて見なきゃあかんで』と言ったら、彼はすぐにピンときたようでした。本来は、『ボーッと広く見る』など言葉で説明して理解してもらうのは難しいんです。1、2回話を聞いただけで体の中に落とし込みができるのは、よほど感度のいい選手。糸井君はもともと広く見るという感覚を持っていたから、『あ、こういうことやな』とピンときたんじゃないでしょうか。

 たぶん以前は天然でそれができていたけど、意識せずにやっていたから、知らないうちに変な道に入り込んでしまった時、戻れなくなった。でもここで話を聞いて、『あー』と気づいたんじゃないかな」

 ボールが速ければ速いほど、打者の広く見る、先を予測する力が問われる。164キロを打ち返せたのは、その“見る力”の影響もあったのではないか。

「“超人”と言われますけど、確かにそうだな」

 そうした目の使い方は、盗塁にもおおいに役立っていると糸井は言う。

「やっぱり1点を真剣に見ていたら、体がこう、固まっちゃうから」

 投手の動きを広く見ることで、体が固まらずスムーズにスタートを切ることができる。

 また、糸井は「ランナーコーチャーの風岡さんや佐竹さんにもアドバイスをもらっているので、だいぶ助かってます」と感謝する。

 風岡尚幸内野守備走塁コーチ、佐竹学外野守備走塁コーチが、相手投手はどのカウント時に変化球が多いかなどの傾向や癖を細かく分析して伝えている。風岡コーチは言う。

「あの年齢で、あれだけマークがきつくなって帰塁もバンバン頭から帰って、体の疲労は相当なものだと思うけど、その中で走れるのが彼のすごさ。日頃の鍛える努力のたまものだと思う。

 35歳で50の大台というだけですごいけど、正直、シーズン前半からとばしていたら、70ぐらいは行けたのかなと思うので、もったいない。それぐらい嘉男の能力、体はすごい。よく“超人”と言われますけど、確かにそうだなと思いますね」

 9月22日現在、盗塁数2位の埼玉西武・金子侑司との差はわずかに1と、猛追を受けているが、残り7試合、数字を積み上げて逃げ切れば、今オフのFAの目玉でもある糸井の超人伝説に新たな1ページが加わることになる。

文=米虫紀子

photograph by Kiichi Matsumoto