パ・リーグ3連覇に黄信号だ。ホークスは天王山を連敗した。

 9月21日、首位陥落。翌22日には自力V消滅。

 ついにファイターズにM6点灯を許してしまった。

 試合終了直後のベンチ裏。工藤公康監督はいつも勝っても負けても一息ついてから会見に臨むのだが、この日はかなり早めに報道陣の前に姿を現した。

 その顔は真っ赤だった。「あー」と力なく息を吐いた後に、少し沈黙の時間が流れた。そして「一番痛かったのは点を取った後に取られたことかな」とつぶやくように言葉を継いだ。それでも「1つも負けないつもりで戦うしかない。選手みんながそう理解している」とファイティングポーズは崩さなかった。

 松田宣浩も「負けたのは事実。でも諦めたくない。勝つだけ。強いチームが勝つからね、最後には。それを信じて頑張ります」と必死に前を向いた。

 どんな状況に置かれても、熱い闘志だけは絶やさない。昨シーズンに引き続いて「熱男」というスローガンを掲げたチームだ。どんな苦境でも、勝負は下駄を履くまでわからないのだ。

2点ビハインドの無死満塁も「絶対にゼロで抑える」。

 敗れこそしたが、この大一番の中でホークスの執念を体現したシーンを目の当たりにした。

 22日、第2戦の6回表のことだった。先発の武田翔太が追加点を許して1対3とリードを広げられた。痛恨の失点に動揺したのか、なおも四球を与えて、ノーアウト満塁の大ピンチを招いた。ここでベンチが動く。ブルペンから飛び出したのは小柄な左腕、森福允彦だった。

「しんどい場面だけど頼む」

 佐藤義則投手コーチからそのように言葉をかけられた。1点も与えてはいけない場面だ。森福の腹の中は、いつも決まっている。

「マウンドに上がったら、絶対にゼロで抑える。それしか考えていない」

勝負球スライダーを生かし切る配球で併殺、三振。

 まず対するは、球界一いやらしい打者の中島卓也だ。この日の第1打席では10球粘ってフォアボールを選び、次打者の逆転タイムリーの呼び水となった。早めに追い込みたいところで、初球は外角へのストレートでファウルを打たせた。その後も4球目まで直球勝負。2ボール2ストライクの平行カウントとした。

 そして勝負球はスライダーだった。外へ逃げていくボールに、中島は打ちに行ったが、バットの先っぽだ。投手ゴロになった。森福は冷静に打球を処理してホームに送球し「1−2−3」の併殺打を完成させた。

 しかし、まだピンチは終わっていない。2アウト二、三塁。続く1番西川遥輝はこの試合の2回にタイムリーを放ち、連続出塁試合数も「42」まで伸ばしていた。好調のリードオフマンに対しても、森福は直球中心で勝負を挑んだ。森福のストレートは130キロそこそこだ。それでも、西川のバットを押し込んで、ファウルを打たせてカウントを整えた。

「西川に関しては前の対戦でも、その前もスライダーを打たれていた」

 そして8球目、勝負球にはスライダーを選んだ。それでも、相手に直球を意識させていた分だけタイミングを完全に外すことに成功。空振り三振に仕留めた。

「配球勝ちでしたね。いい配球だったと思います」

 左拳をぐっと握り、吠えた。計13球で満塁のピンチを乗り切ったのだ。

'11年の日本シリーズ第4戦でもまったく同じ状況に。

 「森福の13球」だ――。

 思わずそう声に出した。5年前を思い出させる快投だったからだ。

 '11年の日本シリーズ。第7戦までもつれ込み、最後はホークスがドラゴンズを4勝3敗で振り切ったのだが、勝負の分かれ目はホークス1勝2敗で迎えた第4戦にあった。2対1とリードした6回ノーアウト満塁でマウンドに送り出されたのだ。

 捕手の細川亨からは「先発のホールトンが調子が悪い。早めに準備をしとけよ」と促されていた。森福自身も「この年はホールトンの次に自分が投げるケースが多かった。行くなら2番手だろうと思っていた。だからランナーが出た時点で準備は始めていました」と万全ではあった。

「何というか、いい緊張感だったと思います」

「それでも、まさかノーアウト満塁とは思いませんでしたけど」

 敵地ナゴヤドームの声援が大音量で耳に入ってきた。

「集中していたけど、聞こえていました。でも、何というか、いい緊張感だったと思います」

 代打の小池正晃をシュートで空振り三振にとり、ブレイクしたばかりの平田良介を浅いレフトフライに打ち取った。そして最後は大ベテラン谷繁元信に「困ったら低めに投げる」と自分に言い聞かせて外角低めへシュートを投げ込んだ。力のないショートゴロ。川崎宗則が優しくトスをして3つ目のアウトを取った。

 無死満塁をしのいだ球数は計11球。'79年の日本シリーズを舞台にした奇跡的な「江夏の21球」になぞらえて、「森福の11球」として現在も語り継がれているのだ。

 森福は'11年から4年連続50試合以上登板を果たし、ブルペン陣の中心的存在として活躍した。'13年には侍ジャパンの一員に選ばれ、第3回ワールド・ベースボール・クラシックにも出場した。だが'11年と'12年は1点台を誇った防御率が'14年には3.02と悪化。'15年は32試合登板で5.82と低迷した。

「左キラー」としての役回りを遂行する。

 今シーズン(9月22日まで)は47試合で2.08。

「昨年は体をひねって投げることを意識していましたが、今年は股関節をしっかり使って、シンプルに投げることを心がけました」

 しっかりと体重を乗せ、スムーズに体重移動をする。本来の球のキレを取り戻した。しかし、信頼を取り戻すのは簡単ではない。役回りは「左キラー」。今季92人と対戦したが、右打者は4人だけだ。だが、今は与えられた仕事を全うするだけと心に決めている。

「残り試合が少なくなって、もう先が見えている状態です。チームは総力戦。1つでも多く、勝利に貢献したい」

 逆転優勝という大きな奇跡を起こすためには、劇的な何かを少しずつでもいいから積み重ねていくしかない。奇跡が、奇跡を呼ぶ。

 森福の13球が、第一歩となる。それを信じて。

文=田尻耕太郎

photograph by Hideki Sugiyama