たくさんの人たちから、思いを託される男である。

 FC東京に関わる人々にとって、石川直宏という選手は特別な存在だ。サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』で14年からFC東京担当を務めてきて、今年で3年目。直接、日々の石川の姿を目にする中で、彼が愛される理由がわかってきた。

 誰にでも分け隔てなく接する好感。雨の日も風の日も、練習場にかけつけたサポーターに対してファンサービスを行う実直さ。そして視線を合わせる誰に対しても、爽やかな笑顔を見せるのである。

 それでいて、一度ピッチに立てば思い切り疾走し、相手ゴールに向かって行く迫力。柔和な素顔と、気持ちが前面に出るプレー。この最高のマッチングこそが、石川が愛される理由なのである。

石川の頭によぎった、引退の二文字。

 その石川が昨年8月、34歳にして選手生命を左右する大ケガを負った。遠征先のドイツ・フランクフルトで試合中に負傷。左膝前十字靭帯断裂という、最悪の事態に見舞われたのだ。

 これまでも、ケガに泣いてきた過去を持つ。'09年には得点を量産し、J1ベストイレブンに選出。この年には約5年半ぶりに日本代表にも復帰し、翌年に控えた南アフリカW杯を戦うチームの切り札として期待もされた。しかし、好調のさなかで負傷離脱。代表でのアピールの機会も失ってしまい、W杯では予備登録メンバー止まりとなってしまった。

 そんな辛苦を経験し尽くしてきた石川にとっても、今回のケガは重たい出来事だった。

「若い時にケガをして、また治してということとはわけが違う。あと、ここ数年は連続して試合出場できたシーズンが少なかったけど、去年は久しぶりにシーズン初めから試合に絡んでゴールも取っていた。ここからという時のケガで、靭帯を断裂。自分の中でダメージが大きかったし、一度は辞めることも考えました」

 一瞬頭をよぎった、引退の二文字。その迷いを何とか掻き消し、再起への一歩を踏み出す。

 長いリハビリが始まった。練習場で汗を流す仲間を横目に、室内での苦しい作業が続く。それでも印象的だったのは、我々の前に顔を出せば、いつだってスマイルで応えてくれたこと。

決断は自分の意地、しかし支えになったのは周囲の助け。

 何より前を向き続けていたのは、石川の意地だった。

「現役を続けると決めたのは、自分の意志であり、意地。結局、決断は自分が中心の話になってしまうけど、ただ、苦しい時や乗り越えどころで何を考えたかというと、それはもう一度ピッチに立つ姿を見たいと真っ直ぐに言ってくれるサポーターや家族、友人のことだった。ありきたりかもしれないけど、支えてくれる人たちがいたから。自分1人では、正直今回は乗り越えられなかった。

 選手がピッチを離れるということは、存在を忘れ去られることと同じ。でも、みんな自分のことを忘れず待っていてくれた。本音を言えば、プレッシャーにもなった。こんなに期待されて、自分が復帰できなかったらどうしようと。その怖さは、ピッチに立つまであった」

 石川の趣味はサーフィンである。

「復帰までの間は、コンディションが上がって、下がってと行ったり来たり。まるで大きな波に乗るように時間を過ごしてきた」

 この苦しい1年を振り返る時でさえも、彼は笑いながらジョークを交えて話してくれる。力みのない自然体の態度も、多くの人を惹きつける理由の1つに付け加えたい。

J3で復帰した石川のもとに駆け寄った若い選手たち。

 待望の復帰は、ドイツでのケガから1年と1カ月が過ぎた今年9月になった。

 今年からクラブが参戦するJ3のリーグ戦。FC東京U-23の一員として、後半途中からピッチに足を踏み入れた。ホーム・味の素スタジアムに集まったサポーターからの大歓声を背に、帰ってきた背番号18はプレーを楽しんでいた。ロスタイムにはGKを強襲するシュートや、あと少しでアシストにつながりそうなパスも繰り出した。勝利のホイッスルが鳴ると、周りの若い選手たちが石川のもとに駆け寄ってきた。

「意外にすんなり入れたのかなと。でもピッチに立つ前と、立ってからではやっぱり違った。怖さは自然となくなり、完全にスイッチが入った。ここがやっぱり自分の生きる場所なんだなと、あらためて思った。いろいろ考えていた不安も、すべてリセットされた。

 こういう空気を久しぶりに体感して、みんなも期待して集まってくれて。自分がサッカー選手としてピッチに立ち続ける理由が、そこにあると思った。もちろん、昔に比べたらプレーの質も時間も低下していっている。それでも、自分らしさ、俺にしか出来ないプレー姿を感じて欲しい。それはサポーターにだけ向けたものではなくて、チームメートやスタッフにも示して戦っていきたい」

水沼も、室屋も、石川の存在を支えにしていた。

 そんな石川の復帰を、自分のことのようにうれしそうに喜ぶ男がいた。この試合の終了間際に決勝点を挙げた、水沼宏太。

「自分が苦しい時に、ナオさんにいろんな言葉をかけてもらった。そのナオさんの復帰戦を勝たせることが出来てうれしい」

 今季途中までは主力としてJ1の試合に出場していた水沼だったが、夏場以降はメンバーを外れることが増え始め、最近は若い選手とともにJ3の舞台でプレーしている。試合感覚は保たれるが、今季勝負をかけて鳥栖から移籍してきた立場としては、苦しい心内がある。

 水沼だけでなく、今季のFC東京はさまざまな理由で試合から遠ざかる選手がいた。もちろん石川と同じように負傷で離脱を余儀なくされ、心身のバランスを保つことの難しさを痛感した者もいた。

 今夏、リオデジャネイロ五輪に出場した、室屋成もその1人だ。

 2月初頭のキャンプ初日に足の甲を骨折。懸命なリハビリに励んでいたが、一時は五輪出場も危ぶまれた。結局大会直前に復帰し、ブラジルの地を踏むことができた。その復帰の際に、室屋はこんな言葉を残していた。

「いろんな人たちの助けがあった。ナオさんの言葉には感謝しているし、それによって前を向けた」

他人の苦しみに寄り添うことで、自分も奮い立たせる。

 35歳。ベテランであり、クラブ最古参の選手。石川は自らがケガで苦闘する間も、チームと仲間を注視し、気を配っていった。

「ケガの間も、もちろんピッチでプレーする選手の表情は常に見ていたけど、自然と室内でリハビリや練習をする選手との会話が長くなっていった。同じ境遇の選手たちが考えていることも気になった。

 辛い経験は自分もこれまでもしてきた。流れが良い時は、別に他の人間が何も言わなくても良いもの。でも苦しい時だけど、むしろこれをきっかけにグンと成長できるタイミングなんだぞということを伝えたかった。もちろん本人にとっては一番しんどい時期だけど、そこが逆にチャンス。そこで、何を積み上げられるかがその先に絶対につながるということを、わかってほしかった。そう言いながら、自分自身も奮い立たせていました。

 今回もそうだけど、サッカー人生の中で結果的に苦しい時が自分が変化する分岐点になってきた。プレーできないのはフラストレーションが溜まるけど、同時にエネルギーを溜め込める時でもある。いかにプラスに過ごしてきたか、それを復帰してから選手は証明していくもの。こういう意識を伝えることは、個人的な成長もそうだけど、ひいてはチームがひとつになるためには欠かせないことだと感じています」

血気盛んな「ナオ」が「ナオさん」と呼ばれるように。

 冷静に言葉を紡ぐ石川も、昔は血気盛んな選手だった。試合となれば、右サイドから敵に向かって真っ先に飛び掛かるように、突破を仕掛けていった。

 青赤(FC東京の愛称)の急先鋒だった「ナオ」。そんな若きアタッカーも、今ではチーム内では「ナオさん」と“さん”付けされる存在になった。

 本人も言うとおり、プレーの質や時間と、年々失っていくものはある。しかし、あの頃には気づけなかった、ベテランとしての矜持を抱き始めている。

「リハビリで、1つ感じたことがありました。本当に長い期間の中で、先の目標を目掛けてやっていくのはなかなかしんどい作業。ある意味、大きな目標をあえて持たないことで、自分のモチベーションを上げられると感じた。無心に励む。

(室屋)成なんかにも話したのは、先を見ると長すぎるので、一日一日の目標をとにかくクリアしていくこと。ひとつひとつの手応えを噛み締めながら進めていく。これはきっと、リハビリだけではなくて復帰してからのスタイルにもなっていくはずだってね」

試合に出てないベテランに当時は疑問を持っていた。

「大きな目標にがむしゃらに向かう自分、というのはプロとしてはもちろん大事。若い時なんかは、その塊だった。

 例えば試合に出ていないフジさん(藤山竜仁)やサリさん(浅利悟)、ケガで長く離脱した文さん(三浦文丈)や土肥(洋一)さんもそうだったけど、みんなベテランは感情を表に出さずに黙々と続けていた。

 俺からしたらおかしかった。何で大人しくしているのか。チャンスなんて掴みに行かないといけないのに……って。

 当時の自分はエネルギーが溢れすぎていて、ちょっとでもうまくいかなかったら感情を爆発させていた。そういう熱いものがこの人たちにはないのか、と疑ったこともあった。

 だけど、今の立場になって思うことは、そんなエネルギーはどの歳になってもあって当たり前で。いかにそれを自分でコントロールしながら、来るべき瞬間のため準備できるかなんだなと。それに、ピッチに立ったらコントロールしていた感情のリミッターは勝手に解除される。それを、1年以上ぶりの復帰戦で実感できたんです」

選手でいるうちに勝ち得たい、絶対的な成功体験。

 石川は、長年FC東京に在籍しながら未だリーグ制覇に到達できていないことに、「自分の力の無さだと痛感している」と話す。以前はひたすら自分をアピールし、自分を磨くことでチームの力になることを目指したが、ケガやリハビリを通じて、選手としての自分と向き合い、冷静にチーム全体を見つめることができた。

 苦しい経験をしてきた人間には、その人間なりのアプローチがある。

「自分だけではない視野で物事を見られるようになってきた。ピッチの内外で、いろんな人たちから刺激を受け、刺激を与えられる存在でいたい。それを、自分の生き様につなげていく。やればやるだけ、モチベーションも課題も出てくる。新たなものが湧き出てくる。いろんな競争も、勝利への責任もある。すべて、自分の力に得られるもの。その得たものを、どう結果に変えるか。そこがまだ自分の中では達成できていない。それを、選手でいる間に、絶対に成功体験として勝ち得たい」

 30代中盤。落ち着きと安定感は石川、そして男の魅力である。一方、彼と同じ世代の選手を見てみると、阿部勇樹はまだまだ浦和を牽引し、1つ歳下の大久保嘉人もゴールを量産している。あの闘莉王もJリーグに帰還し、再び熱を帯びている。

 まだまだ、ピッチでは感情を爆発させたっていい。石川直宏。大人になった、急先鋒。これもまた、愛されるべき最高のマッチングである。

文=西川結城

photograph by J.LEAGUE PHOTOS