長年バルサ幹部たちを悩ませてきたダニ・アウベスの後継者探しが、こんな形で落ち着くとは思わなかった。

 2008年に加入してほどなく、右サイドでメッシと阿吽のコンビネーションを築いたアウベスは、バルサにとって替えのきかない唯一無二のピースであり続けてきた。

 ピッチ外での正直すぎる発言により度々フロントの不信感を買っていたにもかかわらず、近年は毎夏のように移籍を匂わせ、クラブに望み通りの契約更新の条件を飲ませることができていたのも、彼の代役となり得る人材が見つからなかったからに他ならない。

 しかもシーズンを通してほぼ全試合にフル出場してしまう鉄人だったため、実戦で代役候補を育てることもままならなかった。トップチームに昇格した2011年夏より、4シーズンにわたって飼い殺し状態が続いたマルティン・モントーヤはその犠牲者だったと言える。

“外れ新戦力”よりセルジ・ロベルトのコンバート。

 結局アウベスは、昨夏に取り付けた契約条件により移籍金ゼロでユベントスへ去っていった。世界最高の右サイドバックを無償で放出したバルサの交渉下手さ加減には呆れる他ないが、少なくとも後継者の目処がついていたことは救いだった。

 バルサは昨夏、いつ出て行くか分からないアウベスの代役として、セビージャからアレイクス・ビダルを獲得した。一昨季にブラジルから連れてきたドウグラス・ペレイラはろくに試合に出ていないのに負傷離脱を繰り返しており、戦力として全く当てにならなかったからだ。

 しかし当時はまだFIFAから課された補強禁止処分のさなかにあったため、ビダルの選手登録は年明けまで待たなければならなかった。そこでルイス・エンリケが考えたのが、出場機会に飢えていたMFセルジ・ロベルトのコンバートである。

不遇のカンテラーノにようやく巡ってきたチャンス。

 1年目は27試合。2年目は18試合。2013年夏にトップチームに昇格したラ・マシア期待のインテリオールは、それまで他のカンテラーノたちと同様に十分なプレー機会を与えられず、伸び悩んでいた。

 昨夏にルイス・エンリケから右サイドバックでのプレーを提案されたのは、他クラブへ移籍することでクラブと話を進めていた矢先のことだ。はじめセルジはこの話を前向きには捉えられなかったという。クラブからは翌年1月に放出する意向を伝えられており、つまりは補強解禁となるまでのつなぎとして残されたようなものだったからだ。

 それでも14歳からラ・マシアで過ごしてきたカンテラーノは、バルサから出て行くことはしなかった。そんな彼にサッカーの神様は微笑んだ。プレシーズン中の負傷でアドリアーノとドウグラスを欠く中、アスレティック・ビルバオとの開幕戦でアウベスが負傷離脱し、いきなり右サイドバックでのプレー機会が巡ってきたのである。

 リーガ有数の馬力を誇るオスカル・デマルコスにも走り負けしない縦へのスピードと走力。複数の選手に囲まれても確実にボールをつなげるキープ力と技術。スペースに攻め上がるタイミングを見極める戦術眼。この試合を見るだけで、彼のサイドバックとしての適性ははっきりと見て取れた。

スペイン代表でもW杯予選のレギュラーに抜擢。

 以降、右サイドバックとしてめきめきと頭角を現し始めたセルジは、アウベスの復帰後も本職のインテリオールに加えてピボーテ、中盤の右サイドなどで頻繁にプレー。最終的に49試合に出場して2019年までの契約延長条件をクリアし、クラブの評価を覆して残留を勝ち取ったのである。

 そしてアウベスが去った今季、ルイス・エンリケは代役の補強すら必要とせず、セルジを右サイドバックのファーストチョイスに据えることを決断した。

 セルジもそんな指揮官の期待に応え、2アシストを記録したスポルティング・ヒホン戦をはじめ好プレーを連発。今やリーガ有数のサイドバックとして認知されるまでに至った24歳は、本職のMFではなくサイドバックとしてフル代表に選出され、ダニ・カルバハルを差し置いてワールドカップ予選のピッチにも立った。

 補強禁止や相次ぐ負傷離脱といった偶然に導かれ、放出要員として燻っていたカンテラーノは、唯一無二の存在だったアウベスの後継者として欠かせない戦力へと豹変した。それもプロになるまでやったことのないポジションで。

 事実は小説より奇なりと言うが、フットボールほど先が読めない世界はなかなかない。

文=工藤拓

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