10月2日。フェルティンス・アレナが歓喜に揺れた。

 今季は開幕5連敗。最下位で迎えたこの日の対ボルシアMG戦、4−0の完勝に6万人を越えるサポーターの熱狂は、スタジアムから中央駅へ向かうトラムのなかでも続いていた。乗車調整でトラムに乗るまでにも数十分を要し、乗ってからも先を行くトラムが長い列を作るので、ほとんど進まない。しかしそんな時間をものともせず、歌い続け、叫び続けていた。

「ウッシー! ウッシー!」

 日本人サポーターの存在に気づいたのか、「ウッシーコール」が車内でも響き渡った。

 2010年にシャルケへやってきてから7シーズン。選手の出入りが激しい欧州でこんなに長くひとつのチームに所属できる選手はそれほど多くない。'10-'11シーズンにはチャンピオンズリーグベスト4、ドイツカップ優勝。シャルケの栄光の歴史にウッシー、内田篤人の名はしっかりと刻まれている。

 しかし2015年3月7日以来、彼はフェルティンス・アレナでプレーしていない。敵地でレアル・マドリーに勝利した3月10日以降、シャルケのユニホームを着て内田は戦っていない。1年半にも及ぶ長い不在。だというのに、以前と変わらない「ウッシーコール」がジンと胸に染みた。

故障が発覚したのは2014年2月。

 2014年2月に右ももを痛め、右ひざ裏、膝蓋腱の問題が発覚。手術を回避してW杯ブラジル大会に間に合わせて奮闘したが、その後再発。夏のシーズン開幕には出遅れたもの、9月下旬には戦列に復帰し、ベストイレブンに選ばれるほどの活躍もみせ、チャンピオンズリーググループリーグ突破にも貢献。シャルケとの契約を2018年まで延長し、次のW杯、新しい挑戦へのスタートを切ったかに思われた。

 しかしその年末、アジアカップを戦う日本代表メンバーに選ばれながらも、負傷を理由に辞退する。「無理をさせたくない」というクラブの判断という情報もあったが、後に「内田はチームを離れて、ドイツ南部の治療施設でリハビリを行う」ことが発表された。

監督に初めて伝えた「100%じゃない」。

 2015年3月のレアル・マドリー戦後、内田は右足をひきずるようにミックスゾーンに現れた。

「俺の怪我は治らないからさ、痛みが無くなることもないし」と悔しさを滲ませながら語った。

「根性でなんとかしようと思っていたけど、もうごまかせない。痛いのはもう諦めているけど、動かなくなったのは困る。初めて監督に『100%じゃない』というふうに話した。今までは『大丈夫です』って言ってきたのに。それもできなかった」

 チームバスへと向かう内田の、歩くのもやっという後ろ姿。痛々しいという言葉すらふさわしくないような気がしたことを覚えている。

 その後、ベンチ入りはしても起用されることはなく、プレーできる状態ではないことをうかがわせた。

鹿島時代から、右ひざ半月板の故障を抱えていた。

 シーズンを終えた2015年6月10日、シャルケは内田が日本で手術を受けたことを発表した。クラブは保存療法を勧めたが、内田が手術を決断した。

 そして7月、ドイツへ向かう内田は「(初めて手術をして)これでサッカー選手っぽくなったかな。今までは痛みを我慢しながらだましだましやっていたからね。リハビリは長いけれど、僕はただでは起き上がらない性格だから」と語っている。

「いい友達ができました。うまく付き合っていきます」とも。

 そんなやっかいな相棒とのつきあいを考えると、2009年にまでさかのぼる。

 Jリーグ3連覇をめざす鹿島アントラーズで、内田は右ひざ半月板の故障を抱えながら試合出場を続けていた。その時点で内田の故障は公にされていなかったが、「内田のパフォーマンスが低下」と強く指摘する記者に、たまらずといった気配で鈴木満強化部長が初めて公の場で故障について話した。そして12月5日、内田はこの日も先発して鹿島は3連覇を成し遂げた。

「いつもフルスロットルじゃなくてもいいんだよ」

 痛みを我慢してでも、要請があれば、ピッチに立つ。

 内田の姿勢は、このころから変わらない。長いプロ生活の間ずっと、過密日程にも黙々と仕事を遂行してきたのだ。

「そんなにいつもエンジンをフルスロットルでふかしていなくてもいいんだよ」

 シャルケのスタッフにそう言葉をかけられた、と内田が話していたことがある。だからと言って、彼が自身の姿勢を変えることはなかった。

「こっちの監督は、選手に対して100%のコンディションを求める。でも、100%なんて絶対ないでしょ。多少どっか痛くても『行けるか?』って訊かれたら、『行きます』って俺はいつも言ってきたから」

 そういう“無理”が災いの種になったかどうかは、今はどうでもよい話だ。そうやってピッチの上で力を示し、実績を積み重ね、存在価値を証明してきたからこそ、内田篤人は内田篤人であるのだから。

鹿島でのリハビリは、本人にもプラスがあった。

 内田が日本へ帰国したのは2016年2月。当初は6カ月と言われていた治療期間を過ぎても、回復の兆候がなかった。きっと「うまく行っている」と実感できる瞬間もあっただろう。それでもまた、痛みがぶり返す。

 2016年5月からは、古巣鹿島アントラーズでのリハビリを開始した。

「篤人がそばにいるのは、若い選手たちに刺激になる」という鹿島の希望で、内田のリハビリはトップチームの練習と同じ時間に設定された。それは内田にとってもプラスになったはずだ。

 2016年6月には、鹿島のファーストステージ優勝が決まる大一番の前日練習に参加し、気持ちのこもったプレーでチームを鼓舞した。短い時間であっても、ボールを蹴るところまで回復しているのは朗報だった。

 しかし8月中旬、内田が再び日本へ帰国したことがドイツで報じられた。しかし9月上旬にはシャルケのチームドクターが「年内復帰の可能性」を示唆し、20日にはスポーツダイレクタ―が「10月4日に検査を行い、今後のリハビリの方針を決める」と発表。22日には内田自身がクラブ公式動画で「10月4日の検査はとても重要なもの」と語っている。

位置、骨の付き方が他の人と違う内田の脚。

 10月2日、ボルシアMG戦をスタンドで観戦していた内田が、現状について話してくれた。

「日本でリハビリをするなかで、MRIに映る(痛みの箇所を示す)白いのが小さくなった。だから、(鹿島の)優勝が決まる前日の練習で6対6までできるようになったんだけど、ドイツに来たら、また痛みが出てしまった。それもあって、ちょっと日本へ戻って様子を見てもらって、簡単な治療をすることになった。大したものではなかったんだけど、またやっちゃったみたいな報道がドイツで出てたよね」

 本当はひっそりと帰国し、ドイツへ戻りたかったと笑う。

「俺は、脚の位置、骨の付き方みたいなものが少し他の人とは違っているんですよ。それがわからず、一般的な位置に戻そうとしていたから、なかなか良くならなかったし、逆に悪くなるようなこともあった。だから、俺にとって正しい位置はどこかっていうのを探して、そこへ戻すようなリハビリを鹿島でやったら、良くなっていた。でもまたドイツでいわゆる一般的な位置に戻そうとしたから、痛みが再発してしまった」

日本人トレーナーも参加して、既にダッシュも可能に。

 そういう過程を経て、内田はクラブにある提案を行う。シャルケのクラブハウスには一般の人も利用するリハビリセンターが併設されていて、内田も日々そこでリハビリを行っている。

「俺の脚は普通にやっても治らない。そのことを熟知している人は日本にいる。その人じゃないと治せない。だから、その人とドイツにいる日本人トレーナーに連絡をとりあってもらって、リハビリを見てもらおうと。シャルケにお願いして、日本人トレーナーがメディコス(リハビリセンター)で仕事ができるように許可をもらったんです。そのトレーニングがすごく良くて、いい感触がつかめている」

 内田本来の位置に脚を戻す。その作業を本格的にドイツで行っている。その結果、すでに100メートルダッシュなど、スプリント系のメニューもこなせるようになった。

「今は、10月4日にMRIを撮るから、少し負荷をかけないトレーニングをやっている。実際痛みがないから、MRIを撮る必要もないかなって思うし、もしまだ白いのが映っても、痛みがないんだから大丈夫だと思うけど、チームスタッフを安心させなくちゃいけないからね。その検査を終えなくちゃ次のステップへ進めないから、俺は早く撮ってくれって思っている」

 軽快に話す内田の姿に、状況が好転していることが伝わってくる。しかし、それでも安心できるわけじゃない。これまでの長い時間が彼を慎重にさせる。

「俺の脚は、教科書に載っている骨とは違ったんだよね」

「今回は、俺本来の正しい位置に戻すリハビリをやっている。これで負荷に耐えていけるかはまだわからない。でも今のところはやれているから、これで行くしかない。痛みがぶり返さなければいいけれど、それは俺にもわからない。スゲー実験だったよね、この1、2年は。これは痛くないんじゃないか? こうやったほうが腫れが引くんじゃないか? その連続。正解がないから」

 人間の身体は人それぞれに違う。正しいと思う方向へ向かっていても、それが完治というゴールに到達しないことも当然ある。

「俺の脚は、教科書に載っているような骨とは違ったんだよね」

 ドイツと日本とで、様々なスタッフのもと試行錯誤を繰り返し、ひとつの明るい兆しがつかめた。

 しかし、試合に復帰し、プロサッカー選手、シャルケの一員として活躍するというゴールまでの道のりはまだまだ長いだろう。想像もつかない困難が待っているかもしれない。それでも先へ進む。それしか今は考えられない。

「痛みがなけりゃ、それでいいんだよ」

 そう言って階段を上り、出口へと向かう内田の後ろ姿を見送りながら、小さな一歩でも構わないから、前進できることを祈った。

文=寺野典子

photograph by AFLO