学生野球はナインが一堂に会する機会が少ない。キャンパスが異なるため、全員が顔をそろえる機会はめったにない。だから、大切なことは日曜日に伝えることにしている。先日もそうだった。埼玉・川越のグラウンドで、東洋大を率いる高橋昭雄監督は130人ほどの部員を前にして、30分ほど、とうとうと話した。

「福原も大学の時は、そこまで勝てていなかった。でも、チャンスはどこにでもあるんだよ。あきらめることなく、最後までやりきること。いつか、どこかで誰かが見ている。人生のチャンス。頑張れば、夢は広がっていくんだから」

 ほんの1日前は甲子園球場にいた。東都リーグ歴代1位の通算500勝以上を積み上げてきた名将も、思わず胸を詰まらせる。目の前で手塩にかけた教え子がマウンドに立っていた。

 阪神の福原忍が現役ラスト登板に臨み、巨人・立岡宗一郎と真っ向勝負する。143kmが外れ、141kmは外角いっぱいにストライク。3球目だ。142kmで左飛に詰まらせた。監督冥利に尽きる、ひとときだろう。指導者になってから45年がたつというのに、涙があふれた。

恩師が感じ取ったプロ生活18年間での成長。

 代名詞のストレートにこだわった引き際だったが、実は、高橋はかつての教え子が歩んだ「足跡」を別のシーンに感じ取っていた。本番直前、マウンドでの投球練習に目を凝らす。速球に変化球を交ぜるデモンストレーション。絶妙に球を曲げ、ストライクゾーンにすとんと収めていた。「ブレーキが効いた、いいスライダーを投げていたんだ。学生時代は、あんなスライダー、投げていなかった。速球だけでは、18年間もプロでやれない。研究して自分で身につけたものなんだろうね」と感心していた。

 分厚い胸板、地に根を張るようなどっしりした下半身……。視線の先にいた福原は、出会った頃のような細身のシルエットが消え、見違えるようにたくましくなっていた。幼木は、風雨に耐えて年輪を重ね、いつしか太く大きな幹となり、無数の葉をつける大木になっていく。22年前の夏、広島の広陵から練習会にやってきた若者は半袖シャツから右肘が見えていた。これが目に入り、弱々しさしか映らなかったと振り返る。

「高校の時に肘を手術して、良くなかった。あの傷を見たら、とてもプロ野球に入れると思わなかった。練習もあまりさせちゃいけないなと心配したし、大事に大事に、扱わないといけないなと思ったよ」

「何といっても、投手は真っすぐの力」

 だが、第一印象は裏切られる。細身から放たれる直球は、まさに剛速球。荒削りだったが、素材の高さに高橋自身が惚れ込んだ。指導者として信念がある。器を小さくしてしまわないこと。大きく育てること。短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心掛けていた。

「学生の時は細かいことは置いておくんだ。あの真っすぐがあったからね。だから、ほとんど、細かいことは言わなかった。何といっても、投手は真っすぐの力。野手は強いスイングで真っすぐを打ち返せるか」

 速球にこだわる福原の向こう気の強さにも感じ入った。高橋には印象深い試合がある。神宮第2球場での中大戦だ。高橋は目を細め「自分がどれだけ力があるか、試したかったんだろうな」と振り返る。勝負を挑んだ相手は、いまも巨人の主軸を張る阿部慎之助だ。渾身のストレートは、しかし、あっけなくフェンスの向こうに放り込まれた。悔しさを味わいながら、速球に生きる道を追い求める姿勢を理解し、後押しした。

わずか3球の投球練習でスカウトを魅了した。

 あの日が雨でなかったなら、あるいはプロへの道は開けなかったのかもしれない。'98年9月、阪神のスカウトがグラウンドに立ち寄った。折悪しく、雨が降りしきる。高橋は室内練習場で福原にブルペン投球させた。1球、2球……。わずか3球を投げただけで、運命は決まった。熱に浮かされたように、当時の横溝桂編成部長が話していたという。

「うちの球団を挙げて、福原を幸せにしたい」

 人づてに聞いた話だが、いまも鮮やかに脳裏に焼きつく記憶だ。高橋の述懐に戻ろう。

「とても素晴らしいことを言ってくれたと思った。あの時、室内練習場は湿気があって福原が投げると、とても、いい音が鳴っていたんだ。たった3球だよ。それで、阪神は決めたと言うんだから。もし、屋外で投げていたら、果たしてプロに行っていたのかな」

 視界が開けると、おのずと細かい技術も身についた。

 阪神スカウトの高評価を知りつつ、指摘する欠点も高橋の耳に入ってきた。当時の福原は投球直前に構えるとき、グラブから出た指が伸びたり、曲がったりする。「変化球だと指が伸びたまま。ストレートだと、さあ投げるぞと曲がる。プロは、さすがだな。あわててグラブにカバーをつけたよ」と、高橋は笑いながら振り返る。主戦投手としてチームを支えた。11月、当時は東都の2部に降格していたが入れ替え戦で立正大を下して1部復帰。原動力になったのが先発福原だ。

スライダーの投球技術に福原の「足跡」が。

 あれから、ずいぶんの時がたち、高橋は68歳になった。長らく野球を通じて学生と向き合い、愛情を注いできた。教え子の去り際に接し、最後の晴れ姿を見届けることほど、感慨深いものはないだろう。引退セレモニーを終えた福原と顔を合わせると「体もばらついていない。お前、もう1年くらいやれたんじゃないの」とねぎらいの言葉をかけた。そして、高橋はどうしても聞かずにいられないことが1つだけあった。

「あのスライダー、どうやって投げるんだ?」

 その場で教わったリリースのコツに、目から鱗が落ちる思いだった。

「いままで聞いたことがない投げ方なんだ。彼は最後、球を離す瞬間、人差し指でシュートをかけるように押し込んで投げていたんだ」

 スライダーは、通常、もっとも長い中指にウエートがかかる。そこから、添える人差し指の内側で最後のひと押しをかけることで、スピンが強くなるという。速球にこだわっていた教え子は、いつの間にか、果てしなく遠いところまで行っていた。

 名伯楽は埼玉の東洋大グラウンドで笑う。

「早速、学生に言って聞かせたよ。福原は、こんなふうに投げているぞって。今日もさ、ちゃんとできたか、聞かないといけないな」

 福原忍が18年間、夢中で駆け抜けた道は途絶えていない。後ろを振り返れば、かつての自分のように、後輩たちが追うように歩いていた。

文=酒井俊作