浦和レッズの5人目のキッカー、遠藤航のPKが決まった瞬間、ピッチの上ではさまざまな想いが交錯していた。

 ベンチの前でPK戦の行方を見守っていたミハイロ・ペトロビッチ監督の元に駆け寄り、飛びついたのは、森脇良太だった。

「人生でこんなにうれしいことはないんじゃないかっていうぐらいの感情をいだきました。素晴らしい監督であることは間違いないんですけど、タイトルを取れないことによって、それが若干薄れてしまうのが辛かった」

 森脇と同様、サンフレッチェ広島時代からペトロビッチ監督の指導を仰いでいる柏木陽介は監督ではなく、GK西川周作と最後のキッカー、遠藤を労いに行った。

「周ちゃんと航をほったらかしにしたら失礼やろ、と思って」

 キャプテンの阿部勇樹は……監督の元にも、西川と遠藤の元にも向かわなかった。彼がしたのは、PK戦が行なわれたのとは逆サイドのゴール裏のほうを向き、ガッツポーズを繰り返すことだった。

「2007年に移籍してきて、レッズで(国内の)タイトルを取ったことがなかったので、苦しい思いや辛い思いをさせてきたし、いろんな方が長く待っていたと思うので、あっちを向いて一緒に喜びたかった」

「あっち」というのは、言うまでもなく、真っ赤に染まったホームのゴール裏のことだ。阿部にとって真っ先にサポーターと喜びを分かち合うことに大きな意味があった。

何度も、何度もG大阪にタイトルを阻まれてきた。

 ナビスコカップから装いも新たにルヴァンカップとなった最初の決勝は、1−1の同点からPK戦へともつれ込み、浦和がガンバ大阪を下して初代王者に輝いた。

 浦和にとってタイトル獲得は、2007年のアジア・チャンピオンズリーグ優勝以来、国内に限れば2006年のリーグ制覇、天皇杯優勝以来となるタイトルだった。

 その2006年、浦和によってタイトル獲得を阻まれたのがG大阪だったが、近年では反対に、浦和にとってG大阪は“天敵”として存在している。勝てばリーグ優勝が決まった2014年11月の32節でも、昨年のチャンピオンシップ準決勝でも、今年元日の天皇杯決勝でも、浦和の前に立ち塞がったのは、G大阪だった。

2週間前の4−0大勝は、決していい兆候ではなかった。

 2週間前のリーグ戦で浦和はG大阪を4−0と完膚なきまでに叩きのめしたが、ルヴァンカップ決勝を考えたとき、それは、決して良い兆候とは言えなかった。

 敗れた側が敗因を洗い出し、修正を施してくるのは当然で、2試合続けて同じような内容・結果になるとは考えにくい。実際、浦和には嫌な過去がある。ナビスコカップ決勝に進んだ2013年、決勝の相手である柏レイソルに直前のリーグ戦で2−1と勝利したものの、決勝では返り討ちに遭って0−1で敗れたのだ。

 やはりと言うべきか、決勝でのG大阪は2週間前とは別のチームだった。そして17分、アデミウソンにドリブル突破を許し、浦和は痛恨の失点を喫してしまう。

 同点にしようと焦って攻め急ぎ、自滅する――。それが、これまでの浦和の敗戦によく見られる傾向だった。しかしこの日は、いつもと違った。

 落ち着いた大人のチーム。それが、変わった浦和の正体だった。

負けている状態での戦い方を変えた柏木。

「負けている状態で、うちらが攻めに行き過ぎなかったことが大きかったかな。1点取れるんじゃないかなっていう自信があったし」

 そう振り返ったのは、ボランチの柏木だ。焦ることなくゲームコントロールを心がけたプレーメーカーは、さらに続ける。

「いつもは急いでボールを奪われ、カウンターを食らうことが多かったから、タメを作ってみんなが上がる時間を作りながらやっていた。こういうところがチームとして成長したと思うし、個人的にもどんどん良くなっている」

 我慢しながらゲームを進めていた76分、その柏木のコーナーキックに投入されたばかりの李忠成が頭で合わせて追いついた浦和は、延長戦の末に突入したPK戦で5人全員がしっかりと決め、溜まりに溜まった喜びを爆発させた。

 表彰式が終わっておよそ30分後。G大阪の選手たちはすでに去り、浦和の選手たちによるペトロビッチ監督への感謝の言葉で溢れていたミックスゾーンで印象に残ったのは、阿部のこんな言葉だった。

「プレッシャーなんて、しょっちゅうですよ。レッズに来たときからプレッシャーは感じている」

レッズと戦っていた頃から阿部が感じていること。

 阿部がジェフ千葉から移籍してきたのは2007年1月、初のリーグ優勝と天皇杯の連覇を成し遂げた直後、まさにここからタイトルを積み重ね、黄金時代を築くことが期待された時期だった。

 ところが、その後に獲得できたのは、2007年のアジア王者の称号ただひとつ。阿部自身も南アフリカ・ワールドカップが終わった直後の2010年8月、イングランドのレスターへの移籍が決まり、浦和を離れることになった。

 1年半後、再び赤いユニホームに袖を通すことに決めたのは、自身同様イビチャ・オシムを師と仰ぐ「ミシャと一緒にプレーしたい」という思いと、「サポーターに何も返せていない」という思いがあったからだ。

 自身とチームへの期待の高さと、タイトルを獲れない責任の重さを誰よりも痛感しているから、阿部はプレッシャーに苛まれてきた。だが、そのプレッシャーこそが、自身を強くするものだと感じてきたという。

「その前の年にリーグ優勝していたから、そういう(タイトルをさらに獲るという)思いでレッズに来たし、プレッシャーが個人として強くしてくれている部分がある。レッズと対戦して、その雰囲気の中で毎試合プレッシャーを抱えていたら、強くなるんだろうなっていうのは思っていたので」

遠藤航がかけられた「タイトル頼むよ」という声。

 今季、湘南ベルマーレから加入して、「サポーターの皆さんから『タイトル頼むよ』とか、『年間チャンピオン取ろう』という声を掛けられてきた」という遠藤も、その責任とプレッシャーが自身の成長につながっていると感じている。

「ホームの声援って自分たちにとって大きくて、正直、最初の頃はプレッシャーになってもいたんですけど、今は何試合も経験したから慣れたし、試合後に僕の名前をコールしてもらえると自信を深められるし、少しは信頼してもらえているのかなって感じることができた。今年、メンタルの部分で成長したと思うんですけど、それはこのチームのサポーターの厳しい目のおかげかもしれないし、『遠藤コール』をもっとしてもらえるように、これからもいいプレーをしていきたい」

サポーターと選手は“親子のような関係”か。

 阿部と遠藤の話を聞いていて思い出したのは、セルジオ越後さんから以前に聞いたこんな話だった。

「ブラジルではサポーターって親のようなものって言われているんだ。なんでか分かる? 親は子どもが頑張ったときは褒めてあげるけど、甘やかしてばかりではダメで、悪いことをしたときには叱るでしょ。そうして子どもって成長していく。

 それと同じで、サポーターも選手がいいプレーをしたときは拍手してあげる。でも、悪いプレーをしたときは『そんなんじゃダメだ』ってちゃんと叱って、選手を育ててあげないといけない。選手だってそのブーイングに愛を感じれば、真摯に受け止めるし、ちゃんと反省するものだから」

 ブラジルで生まれ、名門コリンチャンスでプロになったセルジオ越後さんはサポーターのありがたみが身にしみて分かっているのだろう。

 浦和のサポーターと選手の関係が“親子のようなもの”なのかどうかは分からない。だが、10年という長い年月を掛けてようやく実現した今回の戴冠によって、その絆が深まったのは、確かだろう。

1つのタイトルがブレイクスルーになることは多い。

 この勝利の、このタイトル獲得の意義について、改めて阿部が言う。

「ここ数年、決勝まで行っても、なかなか結果が出ない中で(場内を)一周回るっていうのは、サポーターに対しても、一緒に戦って来たメンバーに対しても、申し訳なかった。サポーターの方とはぶつかることもあったけど、今日は笑顔で一周できて、あの瞬間っていうのは、ひとつの方向に向かって行っていることが実感できるものだった。この先のレッズを考えたとき、ともに進んでいくためにはタイトルが必要だったと思うから、一緒に笑顔で終われてよかったと思います」

 苦しみ抜いてタイトルを獲得したチームが、それによってブレイクスルーし、タイトルを積み重ねていくことがある。タイトルを獲得したという事実がさらなる自信を芽生えさせ、重圧から解き放たれたことでゲーム運びに一層の落ち着きと深みがもたらされる――。浦和にとってのライバル、鹿島とG大阪が、そうだった。

 '03年から4シーズン主要タイトル無冠に終わっていた鹿島は、'07年にリーグタイトルを獲得すると、それまでの苦しみが嘘のように直後の天皇杯で優勝し、リーグ3連覇を成し遂げた。

 '09年度の天皇杯優勝を最後にタイトルから見放され、'12年にはJ2に降格したG大阪もJ1に復帰した'14年のナビスコカップで優勝すると、そのシーズンに三冠を達成し、翌年、天皇杯を連覇した。

 リーグ屈指の選手層を誇り、この勝利で勝負弱さを克服し、ゴール裏からあれだけ強力なサポートを得られる浦和に、それと同じことが起きても不思議ではない。

文=飯尾篤史

photograph by J.LEAGUE.PHOTOS