不幸は蜜の味がする――。

 箱根駅伝の予選会、レースが終わって発表を待つ間、中央大学の集合場所にはマスコミがわんさか押しかけていた。私も含めて。

 予選を通過できたかどうかは微妙なところで、あたりには重苦しいムードが漂っていた。そして、結果発表。

 10位は日大。この瞬間、中大の箱根駅伝連続出場記録は途切れた。関係者にとっては、つらい瞬間だった。

 いまは予選会が終わると、監督や選手たちが関係者に挨拶をするのが習わしになっている。本戦に進めなかった大学の報告会は重たい。中大は1年生主将、舟津彰馬(福岡大附属大濠高)が挨拶に立った。

 舟津は7月から4年生に替わって、箱根駅伝までという条件付きで主将になった。初夏、学年ごとにまとめた改革案が藤原正和新監督に認められたからだ。

 その舟津が、関係者を前に最初は淡々と話し始めた。

「11位という本当にあと一歩の順位で、本当に申し訳ありませんでした」

 ここで、間が出来た。たぶん、感情がたかぶってきたのだと思う。舟津は続けた。

「外部から心ない声や、本当に今年は大丈夫なのかと、多くの声をいただきました。でも、自分たちはやれると思いながら、やってきました。それに対して、誰も文句は言えません。もし、先輩方に文句を言うような人がいたら、自分が受けて立ちます。自分にすべてぶつけてください。先輩に心ない声や、そんなことを言うような人がいたら、自分は許しません」

誰か、助けてやってくれと思いながらメモを取った。

 舟津の声をそばで聞きながら、心を揺さぶられた。主将になって3カ月、どれだけ重たいものを抱えながら走ってきたのだろう、と感じたからだ。

 しかも、舟津は9月25日に19歳になったばかりである。

 正直、19歳で口に出来る言葉ではない。主将という責務が、彼を人間として成長させたのは間違いないと感じた。

 しかしその一方で、「酷だな」とも思った。1年生は本来であれば矢面に立つ必要はない。誰か、助けてやってくれ。そうも感じながら、メモを取り続けた。

 舟津の後ろでこの挨拶を聞いていた藤原監督は、どんな気持ちだったのだろうか。

2013年箱根駅伝の途中棄権が全ての始まりだった。

 予選会の前から、「今年の中大は厳しい」という声があったのは確かだ。しかし、低迷の原因を今年にだけ求めては本質を見誤る。

 ここ数年、中大の夏合宿や箱根前にグラウンドに出向き、監督や選手たちの話に耳を傾けてきた。

 振り返ってみると、負の連鎖が始まったのは、2013年の箱根駅伝の5区で途中棄権した時に遡る。シード権が取れなかったのは1984年以来、29年ぶりのことだった。

 この結果を受け、様々な余波が出てきた。

 当時の浦田春生監督に進退問題が浮上し、最終的には続投となったが、その時点で高校2年生に対するリクルーティング(勧誘活動)の立ち上がりが遅れた。

 その結果、翌年の2014年に入学してきた現在の3年生部員の数が少なくなってしまった。いま、3年生は4人しか残っていない。

 それでも選手たちは必死にあがき、力を蓄えていた。正直彼らの姿を見ていると、なんとかシード権という定位置に戻ってきて欲しいという思いに駆られた。

4年生が意地を見せ、1年生も素質を見せたが……。

 実際、流れを変えるチャンスもあった。2015年の箱根駅伝では、10区途中までシード圏内を走っていたが、選手のアクシデントによって19位に終わった。この時、シード権を再獲得していれば流れも変わったはずだが、中大にとってはさらなる試練となってしまった。

 そして2016年、中大、ホンダで結果を残してきた藤原監督が就任し、改革が始まった。

 予選会の記録を見ると、チームの上位10人に4年生が6人入っており、中でもハチマキ姿がいつも鮮烈な町沢大雅は全体15位、相馬一生は33位と健闘を見せている。やはり、20kmとなると上級生の力が際立つのだ。

 1年生も二井康介がチーム5位、主将の舟津がチーム6位の成績。間違いなく、来季はより記録を伸ばしてくるだろう。

 しかし2、3年生が上位10名にひとりずつとあっては、やはり厳しかった。

待ってるぞ、中央大学。

 陸上長距離の立て直しは、一朝一夕にはいかない。高校生のリクルーティングから始まり(このエリアで中大はずっと苦戦している)、中長期で部としての生態系を考えていかなければならない。

 幸い、舟津の学年には準部員を含め14人の選手がいる。彼らが上級生になった時には、必ず箱根駅伝に戻ってくるだろう。それにしても、「C」の文字が箱根で見られないのは、やはり淋しい。

 舟津は挨拶の最後に、関係者を前に宣言した。

「ここでの敗北を忘れてしまうと、人間としても、選手としても成長できません。自分たちはこの日のことを忘れるわけにはいきません。忘れるつもりもありません」

 待ってるぞ、中央大学。

文=生島淳

photograph by Nanae Suzuki