たった1年での、日本帰還。オランダのフィテッセでプレーしていた日本代表DF太田宏介が、今冬古巣のFC東京に復帰することになった。

 今や、長年欧州でプレーする日本人選手は多く存在する。20代前半で海を飛び越え、そのまま本場の舞台で戦い続ける。サッカー選手にとって、1つの成功パターンである。

 太田は28歳とこの世界では決して若くはない年齢ながら、2015年冬にフィテッセからオファーを受けた。FC東京とも契約を残していたため、獲得には違約金も必要だった。しかし、彼は実力を評価され、4年契約という好条件で渡蘭したのだった。

 2017年1月初旬。太田はオランダでの戦いに終わりを告げ、東京・小平のFC東京練習場にいた。チームはまだオフシーズン。1年ぶりに帰ってきた慣れ親しんだ環境で1人、汗を流していた。

「この後、家の内見にも行かないといけなくて。バタバタです(笑)」

 サッカーファンにはお馴染みの、いつもの明るい太田だった。

当初は欧州に残る予定だった。しかし……。

 選手なら誰もが憧れる、欧州挑戦。その刺激的な環境に、彼は自ら終止符を打った。そこには、太田自身にしかわかり得ない理由が存在した。

 都心へ向かう道も、当然ながら走り慣れている。帰ってきた東京の街並みを見つめながら、車内で太田が本音を話していった。

「挫折感とかはまったくなくて。日本に帰ると聞いて、人は挑戦を諦めたとか、失敗に終わったとか思うかもしれない。正直、人がどう捉えようかはいいんですけど、1つ言えるのは僕は向こうではすごく充実していたということです。

 ただ一番は、やっぱりFC東京が僕をすごく必要としてくれた。僕はこれまで、どうしても海外でプレーしないといけないという欲を持った選手ではなかった。今回移籍して、オランダのレベルやスタイルを感じられた。ずっと日本でしかやってこなかったから、外を知ることができたのはすごく良かったです。きっと、東京や他のオファーがなかったら、間違いなくそのまま向こうでプレーし続けていた。最初は帰る気は全然なかったですから」

フィテッセは最後まで太田を引き止めていた。

 フィテッセは最後まで太田を引き止めていた。最終的に現地では『放出』という報道がされたようだが、実際は違った。太田が残留の意志を持っていたなら、そのままプレーし、試合に出ていた可能性が高い。

 一方、日本にも彼の才能を放っておけないクラブがあった。以前FC東京の監督を務め、太田を指導していたマッシモ・フィッカデンティ監督が指揮する鳥栖も、高額オファーをフィテッセ側に提示。さらに1年前に違約金を得て太田の移籍を容認したFC東京が、今度は太田を買い戻すために資金を準備し、熱心にアプローチしていった。

 どこからも、彼は求められていた。その中で下した決断だった。

「本当に必要としてくれるチームでプレーすることが、選手にとっていちばん大事なんだとあらためて感じた。1年前、僕はフィテッセに完全移籍した。しかも4年という長期契約を結ぶことができた。何より僕を評価してくれている証だったし、本当にうれしかったです。ただ、今回FC東京はもう一度僕にお金をかけて獲得しようとした。他のクラブも含めて、真剣に僕を必要としてくれていたので、悩みましたけどすごくありがたい悩みでもあった。その中で、再評価してもらって古巣に戻ることは、何も悪いことではないと思った。何より自分らしいプレーができるところはどこかと考えたら、やっぱりFC東京だった」

最後はFC東京の熱意と太田の決断にクラブが折れた。

 FC東京入りが決まったのは、2016年の年末だった。昨秋辺りから日本のクラブがフィテッセと交渉を続けた中で、フィテッセは12月に入ってからも「今冬に移籍させるつもりはない」というメッセージを提示し続けていた。最後はFC東京の条件と熱意、そして太田の決断に折れる形で、移籍を容認したのだった。

 フィテッセのクラブ、さらに強化スタッフらは、常に一貫して太田を評価し続けてきた。しかし、現場では様相が違った。

 太田は前監督のペーター・ボス氏に能力を高く買われ、それに強化スタッフも同意したことで、好条件でオランダに迎えられた。ただチーム合流直前、ボス氏が他クラブに引き抜かれてしまう。新たにやってきた監督は、オランダでは珍しい守備的なスタイルの指導者だった。

理由がわからず干されても、常にポジティブ。

 移籍当初は起用された太田だが、2016-17シーズンに入ると先発から外れていった。プレシーズンまでは不動の左サイドバックとしてプレーしながら、リーグ戦が開幕すると蚊帳の外へ。あまりにも極端な起用法に、彼も戸惑った。

「フィテッセのスタイルが守備的になって、サイドバックはオーバーラップもほぼNGになった。そして、僕も急に外されるようになった。監督に挨拶しても無視されたり、何しても相手にされなくなった。正直、何でそうされたのかは、今でも本当の理由はわからない。完全に干されてしまいました。

 僕はそんな状態が嫌だったので、『何でですか?』と直接聞きに行ったら、『言葉の問題だ』とだけ返された。だったら、誰が見てもわかるぐらいにたくさん話そうと思って、監督の目の前でもチームメートに英語で話しかけて、練習でも誰よりも頑張ってアピールしていった」

チーム内競争に勝って、胸を張ってFC東京に戻る。

 ある時から、気持ちが吹っ切れていったという。ポジティブな性格が、異国の地でも太田自身を支えていった。

「ここまで試合に出られない経験は、横浜FCでのプロ1年目以来でした。だから逆に割り切って、楽しんでやろうと思って。練習でのパフォーマンスは誰にも負けていない自信があった。左サイドバックの先発で出ていた選手は、本職はセンターバック。チームメートもその本人もみんな言ってくれていた。『なんで左サイドはオオタじゃないんだ』と。仲間から信頼されたり認められていたことは支えになった。

 腐らずにやり続けた結果、11月に入って出番が来た。シーズン序盤に比べれば監督も少しは柔軟にはなったけど、基本は攻撃参加もダメで。でも僕は試合のどこかでは必ずオーバーラップしていたし、日本にいる時よりも数は少ないけど、自分の前にいるウイングの選手にも『パス出せ!』と言い続けた。そして何より、僕が出た試合はチームの勝率が高かった。だから監督も僕のプレーに強くは言えなかったと思う。最後は手のひらを返したようにコロッと態度が変わって(笑)。少しケガをしても、『試合まで無理はするな』と気遣ってくれるようにまでなりました」

 チーム内競争にも勝ってみせた。もしかしたら、それができないまま日本に帰還していたら、余計に世間からは尻尾を巻いて逃げてきたように思われたかもしれない。

「最後は監督の信頼を勝ち取って、チームからも『残ってくれ』と言われた。でも、自分の中では海外でプレーすることにしがみつく必要もないという考えになった」

 太田が、胸を張ってFC東京への復帰の意志を固めた瞬間だった。

国内復帰は代表定着にはマイナス?

 1つだけ、懸念材料が頭に浮かんだ。ハリルジャパンである。

 ヴァイッド・ハリルホジッチ日本代表監督は、海外組の選手を重宝する傾向がある。『デュエル』というフレーズが周知されたように、球際での激しい戦いを重要視する指揮官にとって、屈強な体格の選手が揃う欧州の舞台で日本人選手がしのぎを削ることが望ましい。

 実際に太田もフィテッセ移籍の際に、ハリルホジッチ監督からこう告げられた。

「オランダで激しさを覚えてこい。常にプレーは見ているから」

「僕にとってのサッカーは代表が全てではない」

 今後の代表定着のことを考慮すると、欧州から日本への帰還は指揮官にとってネガティブに映りかねない。それは、太田も重々承知のことだった。

「この1年、何よりあたりの強い選手に慣れることができたのが大きかった。普段の練習から激しいし、オランダは極端に1対1の局面が多いサッカーだった。行った当初は『すげえ迫力だな』とか思っていたけど、それも慣れて対応できていったし、相手にぶっちぎられるようなこともなかった。Jリーグにはマッチアップした相手でガンガン仕掛ける選手が少なかったから、どこまで自分が守れるか未知数なところがあった。オランダでメチャクチャ速かったり、体が強かったりと何か一芸を持った選手と対峙できて慣れたことは財産です。

 もちろん、このままオランダでプレーしていたほうが、ハリルさんは好むと思う。僕も代表に入り続けて、試合に出続けるようになることがベストですし、それを望んでもいます。ただ、僕にとってのサッカーはそれが全てではない。代表のためにプレーしているかと言われれば、そうじゃないんです。代表のことをこれまでもインタビューなどで聞かれたけど、ポジティブな発言をしないといけない空気がどこかあるじゃないですか。僕も『代表のために』と言わないといけないと思っていた。でも、所属しているチームで、まずは自分らしいプレーをする。それは変わらず、常に自分の中で一番です。

 だから、こうやって日本に帰ってきたことは、代表のことだけを考えれば正直プラスではないかもしれない。ただそこに自分は怖れていないというか、それが一番重要な部分ではなかったです」

「FC東京が、僕の左足を一番必要としてくれた」

 自分らしいプレー。では太田にとって、それはどんな姿なのか。

 代名詞は、左足のキック。曲がりながら鋭く落ちるボールの軌道は、直接フリーキックではゴールの四隅を捉え、コーナーキックやクロスでは受け手の味方に吸い込まれるように届いていく。J1では2014年シーズンに10アシスト、2015年シーズンには13アシストを記録。アシストランキングには軒並みMFの選手が並ぶ中、堂々DFとして君臨していたのが太田だった。

 攻撃をほぼ封印されていたフィテッセでのプレー。何より苦しかったのが、最大の武器である『左』を、駆使できなかったところだった。

「そこの葛藤はありました。それでも、時間が解決してくれることだと信じ続けていました。ただ、FC東京でのプレーをイメージした時に、間違いなくそこで生かせる自信はある。オランダで僕の左足が錆びるわけではないだろうけど、今年で30歳を迎える選手にとって、やっぱり自分らしくやりがいを持ってプレーすることが大事という結論に至った。FC東京は間違いなく僕を、僕の左足を一番必要としてくれた。今回は誰にも相談することなく、自分で決めた移籍です。東京で待ってくれていたモリゲ(森重真人)や(東)慶悟も喜んで迎えてくれているし、ドイツに居るよっち(武藤嘉紀)も『コウちゃんが決めた道だから、それがベスト。東京を強くしてよ!』と言ってくれました」

1年前、オランダで見せたのに負けない笑顔で。

 車は内見先の駐車場に到着した。ちょうど1年前にも、フィテッセのホームタウン・アーネムでドライブをしていた。その時の太田は、初の海外挑戦に嬉々とした笑顔を見せていた。あれから、12カ月。都内を走る車内で、彼の横顔を見ることになるとは思ってもみなかった。今の太田は、アーネムで見せていたあの表情に負けないぐらいの笑顔である。

「FC東京でのプレー、楽しみでしかないですね。(大久保)嘉人さんや永井(謙佑)も入って、クラブがここまでの補強をしたことはこれまでなかったと思う。この1年、2年でタイトルを獲らないと。真剣になっている証拠です。

 僕も経験を積んで、プレーだけじゃなくて精神的にも周りを引っ張っていかないといけない立場。クラブからも期待されているところだから、自分が引っ張る、優勝に導くという気持ちがこれまで以上にある。欧州から帰ってくることは、それはそれでプレッシャーにもなる。下手なプレーはできない。ある意味、向こうでやり続けることよりもプレッシャーかもしれない。そこで結果を出せれば、自分の決断が間違っていなかったと証明できると思うんです」

 青赤に、笑顔のコウスケが帰ってきた。今冬、大型移籍をいくつも成立させてきたFC東京。ある意味、この男の帰還が最大の補強となるかもしれない。

文=西川結城

photograph by AFLO