本田圭佑はハーフタイムに1人、先んじてウォーミングアップを始めた。

 左右の足の間で感触を確かめるように、ボールを転がした。1点ビハインドで迎えた後半、他にアップをするチームメイトはいない。

 ミランの10番はダッシュする両脚に力を込めた。

 新年を迎えた本田の履歴書には、真新しいタイトルが1つ増えている。

 昨年のクリスマス前に、ミランがユベントスを破って、イタリア・スーパー杯を獲得したからだ。

 戦いの舞台となった中東ドーハで出場はならなかったが、ミランの10番は気合いの乗った好ゲームをベンチから支えた。

 砂漠の国での表彰式で、本田が見せた無邪気な笑顔が印象的だった。

コッパで“勝ちにいく”メンバーに本田の名は無し。

 ミランの指揮官モンテッラは、今年の初戦となった8日のセリエA19節カリアリ戦に辛勝すると、中3日で迎えたトリノとのコッパイタリア5回戦でスタメン5人を入れ替えた。先発の機会は、本田にも巡ってくるはずだった。

 ところが、出場停止のFWニアンの代役として3トップの左ウイングに指名されたのは、普段の2列目から引き上げられたMFボナベントゥーラだった。

 セリエA前半戦を終えた現在、来季のEL出場権にあたる5位以上を多くのライバルと争うミランにとって、コッパイタリアの重要度は高くなっている。

 今シーズンの最優先目標であるEL復帰のためには、後半戦の長丁場を戦いながら出場圏内を死守するより、この先最大5試合のコッパで優勝して本大会出場権を手に入れる方がはるかに効率がいい。

 昨年度の大会で決勝戦へ進んだ経験と手応え、そしてスーパー杯獲得で得た自信もある。今のミランにとって、コッパイタリアは“本気で勝ちにいく”大会なのだ。

トリノに先制点を奪われ、本田のアップに熱が入る。

 だが、試合開始とともに、ミランは呆気なく弱点を晒し出した。

 本田が今季唯一先発した昨秋のジェノア戦でも顕著だったが、スタメンを固定化することで結束力とプレー精度を保っているミランは、先発の半分を入れ替えたトリノ戦の序盤に組織的プレーの共有意識が薄れ、攻守のプレーバランスを欠いた。リーグ戦ではありえないほど、前半のミランにはキックミスも目立った。

 氷点下に霧雨が降っていた。寒さで動きが鈍る上に、湿るピッチで球が走らない。劣悪なコンディションだったのも確かだ。

 しかし、闘将ミハイロビッチ率いるトリノは、敵地にあたるサン・シーロで果敢に攻めてきた。昨年12月にクラブ創設110周年を祝ったばかりの彼らにも、“記念のシーズンにEL出場権を”という切実な理由があるのだ。

 27分、トリノのイタリア代表FWベロッティが高速カウンターから先制点を奪った。3分後にも、トリノは左サイドを攻略して追加点を狙った。

 試合の前半を終えたとき、劣勢のミランは大会敗退に片足を突っ込んでいた。何としてでも、まずは同点に追いつかねばならない。

 本田のアップに熱が入り始めたのは、そんな状況下だった。

あっという間の逆転劇は、本田投入の逆風に。

 後半開始から数分後、ミランFWラパドゥーラとトリノGKハートが交錯したアクシデントの影響でプレーが長く中断する間も、本田は黙々と体を温めた。

 10番投入はどのタイミングか、とベンチを凝視した矢先、ミランが同点に追いついた。61分だった。

 指揮官モンテッラが絶対の信頼を置くFWスソのドリブルシュートは、トリノの守護神GKハートに防がれた。だが、左サイドでこぼれ球を拾ったMFボナベントゥーラの低空クロスをMFクツカが蹴り込んだ。

 さらに3分後、再びFWスソがトリノのゴール前に迫った。ゴール前に放たれた弓なりの鋭いクロスの落ち際を、MFボナベントゥーラが右足で叩き込んだ。

 劇的なスーパーゴールは、チームの士気を飛躍的に高める。それが逆転弾であればなおさらだ。69分には、GKドンナルンマが相手FWベロッティとの1対1の場面を防いだ。

 ミランは試合への意欲と大会制覇への士気を完全に取り戻した。

“同点のための本田投入”という選択肢が消えた。

 ただし、3分間の逆転劇は、ウォーミングアップを続けていた本田が投入される条件を一変させてしまった。

 ほんの数分前まで存在したはずの“同点に追いつくために本田投入”という選択肢は、もはや指揮官の頭の中にはなかった。

 勝ち逃げを図るモンテッラは、79分に若手DFカラブリアとMFパシャリッチの2人を続けて投入した。故障上がりの主将アバーテも機動力が武器のMFクツカも、4日後のリーグ戦に向けて休養させねばならない。下げどきだった。

 試合終盤の88分、中盤をコントロールするために3人目の交代枠は、ボランチの主戦MFロカテッリに託された。

 その2分前に、本田はアップをやめていた。ベンチへ戻る彼は努めて無表情であろうとする。

本田の笑顔は、強ばっているように見えた。

 モンテッラの采配は冷徹でロジカルだった。

 40分以上を費やしてコンディションを仕上げたはずの本田の出番は、1分毎に変化する勝負の機微によって消失した。

 長めのロスタイムにFWラパドゥーラが2度の決定機を決め損ねたものの、ミランは2−1でコッパ5回戦の勝ち抜けを決めた。

 本田はタイムアップ後すぐにベンチを立つと、真っ先にロッカールームへと姿を消した。

 試合後、本田は何事もなかったように、笑顔すら浮かべながらミックスゾーンを通り過ぎた。

「お疲れさまです」と、日本の報道陣へ一言残すのが彼のルーティンになって久しい。

 しかし、その夜の笑顔は、チームの大会ベスト8を喜ぶ風でもあり、強ばっているようでもあった。

 トロフィーに触れながら、ドーハの表彰式で見せた純粋なそれとはちがっていた。

プレーヤー本田圭佑の2017年はまだ始まっていない。

 無念だろうと思う。

 プレーしたいのは、誰より当の本人にちがいないのだから。

 戦況を見事に読み切った指揮官モンテッラは、試合後上機嫌で会見に臨んだ。後半の挽回に満足し、ベテラン、若手を問わず主力を占めるイタリア人選手たちへ賛辞を惜しまなかった。

 特に逆転ゴールを決めたMFボナベントゥーラの名を上げ、「ずっと4-4-2のサイドでプレーしてきた選手なのに、(今夜のような左ウイングでもトップ下でも)あらゆるポジションで適応できる。つねに学ぼうとする姿勢を忘れない、かけがえのないユーティリティ・プレーヤーだ」と褒めちぎった。

 そして、補強について問われると「今のチームの体制のままでも構わない」と強気に言い放ったのだった。

 今冬移籍市場でのミランの動きはひっそりとしている。

 トリノ戦の前日、ガッリアーニCEOが国営放送RAIのインタビューで、現時点で唯一の獲得目標はスペイン人の若手FWデウロフェウ(エバートン)だと明かした。彼をリストアップしたのは「ニアンやスソ、ボナベントゥーラを休ませるために、控えのサイドアタッカーが要るからだ」とも述べている。

 今の本田圭佑は、ミランのバックアッパーだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 コッパイタリア準々決勝に駒を進めたミランは、今月25日にユベントスと激突する。

 本田がピッチ上で存在証明をするのはいつになるのか。

 サッカープレーヤー、本田圭佑の2017年はまだ始まっていない。

文=弓削高志

photograph by Getty Images