敗戦から27年を経て、沖縄は日本国憲法を獲得した。1972年5月15日。その日、本紙は1ページを使って憲法全文を掲載している。社説は憲法が宣言する「国民主権」に言及し、「日本国民として生きていくわれわれにとって重要なこと」だと訴えた。 一方、記者の多くは仕事をボイコットした。沖縄返還の「欺瞞(ぎまん)性」に抗議し、ストライキに入ったのだ。日本復帰を果たしても米軍基地は残る。沖縄が結果として戦争に加担させられる事実に変わりはない。手放しで喜べるはずなどなかった。記者である前に、ひとりのウチナーンチュとして、闘いの隊列に加わることを選択した。 沖縄の記者は問われていた。おまえは誰のために書くのか、そして、何者なのかと。 その姿を目にしながら、沖縄に派遣された全国紙の記者たちも揺れた。「平和憲法」を手にしたというのに、街に祝賀の気分は乏しい。小学校を取材した記者は「ふっきしても、アメリカ軍は出ていかない」と黒板に書かれているのを見て、「本土」との距離を思った。自らの立ち位置を考えた。 沖縄の“報道現場”は、彼らにも問うたのだ。それで、おまえ自身はどう思うのか−と。 本書の行間から響いてくるのは戦後の沖縄を取材し続けた記者たちの苦悶(くもん)と憤りである。それは同時に、日米両政府に翻弄(ほんろう)され続けた沖縄の慟哭(どうこく)でもあった。 憲法は「本土」の南端で立ち止まる。圏外に置かれた沖縄の心情を無視したまま、いま、その骨格すら変えようする動きがある。沖縄はまだ、その手触りすら実感していないというのに。 著者は沖縄での勤務経験を持つ。長きにわたり基地問題を追いかけながら、戦後沖縄を駆け抜けた先輩記者への聞き取りを進めてきた。それら証言を通し、「平和憲法」をどこよりも欲しながら、結局は憲法の番外地に押しやられてしまう沖縄の苦渋に満ち満ちた戦後史と、いまなお変わらぬ「基地の島」の現実を浮かび上がらせる。(安田浩一・ジャーナリスト)