実は1000年以上続く散骨。当時、散骨が志向された驚きの理由とは?死んだらどうなるか――それは死者のみぞ知ることである。ただ死後に関して様々に思いを巡らせることは可能だ。昨今の散骨、海洋葬、樹木葬、宇宙葬といった多様な供養は、こうした思いが一部で実現した産物ではないだろうか。では具体的に、新しい供養を望む人は、どのような思いを抱いているのだろう。「教えて!goo」に「死んだら、海へ散骨してほしいのは、間違い?」という質問が寄せられている。

■魂はどこに?

質問者と回答者の大きな話題は、死後の魂の存在である。質問者は、お墓に入れられては窮屈でかなわないと言う。これに対し回答者からは、骨と魂は別物であり、死後の魂は何かに縛られるものではないという意見があがった。

「魂の有無はともかくとして、骨と魂は別物です。例えれば魂は『運転手』、骨や肉体は『車』と思ってもいいかもしれません。壊れてしまった車は放置して錆びつかせるか業者に渡して解体してもらい運転手はさっさと別の車に乗り換えるだけです」(XR500さん)

「私の場合(魂があるとして)魂で大気圏を抜けるのは難しいので宇宙飛行士に乗り移って宇宙に行き、宇宙の果てを見てみたい」(kazuki895さん)

他にも、散骨を全面的に肯定せずに、残された方が故人を偲び、思いを寄せる方法との両立を模索する声もあった。

「自分の見積もりに行ったときに『手を合わす場所がないんですよね』と言われて、なるほどと思い、墓地の一角にある森林葬にした」(toshipeeさん)

他にも散骨を希望する理由は、承継される祭祀費用などの経済的な理由もあるだろう。煩雑な祭儀に遺族が悩まされることのないようにという配慮もある。しかし、散骨という開放的な供養形態は、お墓や法要といったしがらみから解放してくれるメタファーでもあるかもしれない。

■散骨は1000年以上前の天皇も希望していた!?

新しいと思われがちな「散骨」だが、実はその歴史は古く、平安時代から存在していた。しかし現代と違うのは、散骨を希望する理由や死後の魂に関する考え方にある。そこでこうした散骨の歴史について、心に残る家族葬を運営する葬儀アドバイザーに解説していただいた。

「中世の日本では、現代に比べ『故人の魂は、その人の遺体・遺骨や墓に宿り続ける』という考えが浸透していませんでした。実は、こうした考え方と前近代の支配者層に一部存在した『散骨』志向は、密接に結び付いています。そしてなぜ散骨を希望したかというと、魂が抜けた後の自分の遺体・遺骨や墓に、悪霊が宿ることを防ぐためと言われています。魂が抜けた後の遺体・遺骨や墓には、その遺体や墓の主である死者の魂だけでなく、悪霊(恨みを残した死者の魂など)が宿る可能性もあると信じられていたといいます」

歴史上の人物で実際に散骨を行ったとされている人物は、具体的に誰がいるのだろうか。

「840年に亡くなった淳和天皇は、自分の死後は葬儀・法要は質素にすること、そして自分の遺体は火葬し、墓を建てず散骨を命じました。天皇が散骨を強く望んだのは『死後、人の魂は天に帰るため、遺体・遺骨や墓は“空っぽ”になり、その後に自分の遺体や墓に、悪霊が宿らないようにする』という信仰からだったといいます。他にも1011年、公家の藤原行成は、彼の母及び母方祖父の遺体を火葬し、鴨川に散骨しています。行成の母と母方祖父は、その16年前の995年に亡くなり、霊廟に安置され恐らくミイラ化していました。これは行成の母方祖父が、娘(行成にとっては母)の遺体を火葬することを嫌ったからです。このことで、行成が母や祖父に不孝をしたと非難されることはなかったようです。この事例で彼が母と祖父の遺体を火葬・散骨したのも、肉親の遺体に悪霊が宿ることを防ぐためであったという可能性があります。そして周囲の人々も、それをよく理解していたということかもしれません」

現代となっては、遺体に悪霊が宿るという考え方は通用しない。しかし、散骨という供養形態は連綿と続いている。そこで求められるのは、散骨をする現代的な意義である。この意義が多様な葬儀サービスの提供や承継的な祭祀費用の削減といった現代社会の要請と一致して初めて、散骨が一般的な供養として受け入れられるのではないだろうか。

●専門家プロフィール:心に残る家族葬 葬儀アドバイザー

故人の家族と生前に親しかった方だけで行う家族葬こそが、故人との最後の時間を大切に過ごしたいという方に向いていると考え、従来の葬儀とは一線を画した、追加費用のかからない格安な家族葬を全国で執り行っている。

(ライター 樹木悠)

教えて!goo スタッフ(Oshiete Staff)