兄が橋本龍太郎氏(享年68)で、自身もNHK記者から高知県知事へと政治家の道を歩んだ橋本大二郎氏(69才)。現在、情報番組『ワイド!スクランブル』(テレビ朝日系、毎週月〜金曜、第1部10時半〜12時 ※一部地域をのぞく、第2部12時半〜13時45分)のメーンキャスターを務める彼に密着すると、人生のターニングポイントと、愛妻家という一面を持つ素顔を見た。

「ぼくにNGな質問はありませんから――」

 さすが、元NHK記者とあり、「聞きたいことにはなんでも答えますよ」という対応に、こちらが逆に身構えてしまうばかりだ。

 そんな橋本氏は、2014年4月から情報番組『ワイド!スクランブル』のメーンキャスターに就任。24年ぶりのキャスター復帰となり話題を呼んだが、もともとはマスコミ志望ではなかった。

「大学生の頃、最初経済学部にいたんですが、成績のAが非常に少なくて(成績順にA、B、C、Dとつく)。当時、就職の際、学校推薦があったんですが、Aが27個以上ないと金融だとか大手メーカーなどに出してもらえなくて、このままだとまずいと思い、法学部に移って、もう2年間大学生をやったんです」(橋本氏・以下「」内同)

 法学部に移ってからは、いつも遊んでいた経済学部の友人らが社会人として働き始めたため遊び相手がいなくなり、勉強する時間が増え、Aの数が増えた。しかし、橋本氏は一浪で大学に入学したため、就職の年齢制限にひっかかってしまった。そこで、年齢制限がなかったのが、証券会社とマスコミだった。

「当時、まだバブルが来る前ですから証券会社は大きな仕事になると思わなかったんです。そう思ったらマスコミを受けようと。で、これからは新聞よりもテレビだろうということで、NHKを受けたんです」

 こうして入局した橋本氏だが、性分があったのか、福岡放送局を皮切りに、大阪、東京の社会部と渡り歩き、昭和天皇の闘病、崩御と皇室報道で知名度が上がった。

「皇室・宮内庁の担当デスクをやっており、ぼくとしても、昭和天皇の最期にかかわることをずっと放送してきたのは、記者人生の中でのいちばんの思い出です」

 このまま社会部畑を歩き続けるかと思っていた橋本氏だが、一本の電話が彼の人生を変えた。

「高知に住んでいる高校時代の友人から、来年の高知県知事選挙に誰かいい人いないかね、という相談の電話がかかってきたんです」

 この話の流れから、橋本氏に白羽の矢が立ったという話がされたのだ。

「半分冗談の思いつきだと思って、ぼくの名前でよければ盛り上がってちょうだい、と電話を切ったんです」

 しかし、橋本氏を知事選挙に出そうという署名運動が始まり、5000人以上の署名が集まった。「そこまで言ってくれるなら」と知事選に出馬することを決意。1991年のこの選挙で初当選すると、4期(5選)の任期満了で高知県知事を退任した。

 政治家として16年も活動したが、彼の異母兄である橋本龍太郎氏も政治家である。そんな兄とのエピソードは兄弟思いのいい話ばかりだ。

「最初の選挙でぼくの相手は自民党推薦の元副知事だったんです。兄貴は自民党員だったんですが、一泊二日で応援に来てくれたんです。大変な盛り上がりだったな〜」

 他にも、妻・孝子さんとの結婚にも兄は手を貸してくれていた。

「女房の前の旦那さんは、2人子供をつくって病気で早くに亡くなってしまったんです。そういう経緯もあり、ぼくと結婚する時に、兄貴がお袋はすぐに“うん”とは言わないだろうから、自分が話して迎え入れるようにするからと言ってくれたんです。兄貴には人生の重要なポイントでお世話になりました」

 兄の尽力もあり、無事に孝子さんと結婚。今でも仲のいい夫妻で、取材を通して感じたのが、橋本氏はかなりの愛妻家であるということだ。

「女房はボケた話をして楽しませてくれるんです。去年、東京ドームでミック・ジャガーのコンサートがあったんですが、何を聞き間違えたのか、東京ドームで肉じゃがとか言って(笑い)。こういった話を講演会のつかみで、させていただいています。ぼくからしたら、橋本孝子ではなく、“ネタ元”孝子なんです(笑い)」

 こう笑う橋本氏だが、その表情は愛であふれていた。

撮影/浅野剛

※女性セブン2016年9月29日・10月6日号