アメリカ映画では、検閲制度「ヘイズコード」により、1930年代からシルエットで全裸が映ることさえ禁じられていたが、1960年代に入るとなし崩し的に解禁され、1968年に廃止された。

 同時期、フランスやイタリアを中心に世界で性表現が闊達になる。1968年の仏伊合作映画『バーバレラ』では、米女優のジェーン・フォンダが無重力の中で服を剥ぎ取られるシーンが話題を呼んだ。

 そして4年後、世界中に衝撃が走る。伊映画『ラストタンゴ・イン・パリ』が一般映画として初めてアナルセックスを表現。その過激さは物議を醸し、本国イタリアでは公開4日で上映禁止処分を受けてしまったが、性表現の拡大に一役買った。翌年には、伊映画『青い体験』でラウラ・アントネッリが年下の男の初体験相手を演じ、大ヒットとなった。

「衝撃的でしたね。やっぱり、外国人の体はたまらないと学校で話題になりましたよ」(映画評論家・秋本鉄次氏)

 極めつきは1974年の仏映画『エマニエル夫人』だった。日本では、女性向け作品の上映が目立った映画館、日比谷みゆき座で公開されたことで、女性が見に行きやすい環境ができあがり、社会現象に。自由な性表現の流れが世界各国に拡がっていった。

『エマニエル夫人』の大ヒットにより、当時無名だった主演のシルビア・クリステルが世界的な名声を得たことで、1980年代にヌードシーンはさらに活気づく。1981年、キャサリン・ターナーが映画デビュー作となる『白いドレスの女』で、男を翻弄する悪女役で非常に激しいセックスシーンを好演する。

「1970年代以前は男ありきの映画ばかりだったが、1980年代に入ると女性主導の作品が目立つようになった」(秋本氏)

 また、1980年に15歳のブルック・シールズが『青い珊瑚礁』で性に目覚める少女を演じ、興行収入が5885万ドルを超える大ヒット。1983年には21歳のマリエル・ヘミングウェイが『スター80』で鮮烈なヌードを披露。ヌードの若年化も顕著になる。

 一方で、アメリカでは『E.T.』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が大ヒット。女優たちの活躍の場が少ない大作ブームは、彼女たちの役者魂に火をつけた。存在感を示そうと、トップ女優も脱ぎ始めるようになったのだ。

 子役時代から人気のあったナスターシャ・キンスキーは1984年の『マリアの恋人』で一皮むけた姿を見せ、13歳の時の『ラ・ブーム』で一躍売れっ子となったソフィー・マルソーも1986年の『地獄に堕ちて』でスタイルの良さを見せつけた。1980年代、ヌードはステップアップの条件となっていった。

 1990年代になると、ヌードの披露はもはや女優人生に欠かせないものになる。1992年、シャロン・ストーンは『氷の微笑』でリアルな濡れ場を演じ、全世界で3億5000万ドルを超える興行収入を生み、確固たる地位を築いた。

「脱ぐことで女優としての息が長くなり、一度限りではなく複数回、裸体を晒す女優が増えました。完全に自己表現の一つとして認められた」(秋本氏)

 アンジェリーナ・ジョリーは1998年にテレビ映画『ジーア/悲劇のスーパーモデル』でゴールデングローブ賞主演女優賞を獲得した後も、2001年の『ポワゾン』や2004年の『テイキング・ライブス』などで裸になった。アイドルのイメージの強かったアン・ハサウェイは2005年に『アン・ハサウェイ/裸の天使』、『ブロークバック・マウンテン』で立て続けにヌードを披露し大人の女優へ脱皮すると、2010年の『ラブ&ドラッグ』でも肉体美を見せてくれた。有名女優がなかなか肌を見せない日本と違い、なぜアメリカではヌードが当たり前の状況になっているのだろうか。

「監督やプロデューサーが女優と直にやり取りができ、芸能プロダクションやスポンサーといった障壁がないことも大きい」(秋本氏)

 これからも洋画女優は裸になることを厭わない。

※週刊ポスト2016年10月7日号