小麦色の肌と真っ白な歯のコントラスト──。斉藤慶子が屈託のない笑顔と健康的なビキニ姿を披露した写真は、1982年、女子大生時代にJAL沖縄キャンペーンガールとして撮影されたものだ。

「熊本大学1年生の時に、地元の百貨店でショッピングをしていたら“うちの広告モデルをやらないか?”と声をかけられたんです。軽いアルバイトのつもりで引き受けました」(斉藤。以下「」内同)

 その時の広告写真が芸能事務所の目に留まり、キャンペーンガールのオーディションを受けてほしいと依頼される。

「当時は芸能界に特に興味はなく、スチュワーデスになるのが夢でした。JALのキャンペーンガールになれば夢が叶うかもと本気で思ってオーディションを受けたんです」

 水着審査で胸が大きく見えるようパット入りの水着を用意するも、指定の水着に着替えさせられた。そんなハプニングも乗り越え、見事に合格。こんがり焼けた肌を作るために撮影の数日前から現地入りした。

「スタイリストの女性から“水着から白い肌がはみ出ているとおかしいから、全裸で焼いてね”と言われ、沖縄のビルの屋上で裸になって焼きました。みんなこうするんだろうなあと思っていたので、恥ずかしくはなかったですね」

 水着の写真が世に出ると、本人の思いとは裏腹にグラビアやCM、ドラマなど次々と芸能の仕事が舞い込むようになる。当時は空前の“女子大生ブーム”であり“キャンギャルブーム”だったのだ。

 斉藤の知名度を一気に高めたのは、宮崎美子の後任として1983年から出演した『クイズダービー』(TBS系)だった。

「当時JAL便は熊本空港に就航していなかったこともあり、熊本では誰にも知られていないようでしたが、大人気番組のクイズダービーに出演するようになってから、地元でも声をかけられるようになりました」

 いつかは大学に復学するつもりだったが、22歳を迎えたある日、芸能活動を理由にこれ以上の休学は認められないと大学側から通告を受ける。「この時に芸能界で生きていく覚悟を決めた」と語る斉藤は、女優として本格的に活動を始める。

 1994年に出演した映画『東雲楼 女の乱』では第18回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞するなど、演技派女優としての地位を確立し、豊富な知識と軽妙な話術でバラエティ番組にも出演するなど幅広く活躍してきた。間もなくデビュー35周年を迎える。

「いま思うとデビュー当時は本当に恵まれていました。でも、当時は芸能界に執着がなかったので、流されるまま仕事をこなしていたような気がします。ですから当時の写真はほとんど手元に残ってないので、このような企画で昔の写真を見られるのは本当に嬉しい。あまりに昔の自分が可愛くて、スマホの待ち受けにしていたら、友達から呆れられちゃいました(笑い)」

◆斉藤慶子(さいとう・けいこ):1961年7月14日生まれ。宮崎県出身。1982年、JAL沖縄キャンペーンガールに選ばれ芸能界入り。以後、女優として活躍し、映画『東雲楼 女の乱』では日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞したほか、NHK大河ドラマ『秀吉』、連続テレビ小説『わかば』などに出演する。

※週刊ポスト2016年10月14・21日号