映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、現在公開中の映画『グッドモーニングショー』にも主演する中井貴一の言葉から、父と俳優デビューについて語った言葉をお届けする。

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 中井貴一の父親は往年の映画スター・佐田啓二だ。佐田は1964年に交通事故で死去、中井がまだ二歳の時のことだった。

「家には祖母と母と姉がいましたが、キャッチボールをする相手がいなかったり、男というものの存在が分かりませんでした。それでも家長として教育されて、物心ついた時は親父が座っていた席に僕が座らされていました。

 父親の映画をガキの頃から観に行きましたが、役者としては観ていませんでした。あくまで親父として、でした。それだけに、同じことをやるなんてことは絶対にあり得ないと思って育ってきました。嫌悪していたわけではないのですが、無理だと思っていました。自分の将来を考えた時、最も遠い商売でした。

 芸能界の方とのお付きあいもほとんどありませんでしたが、父の命日には、笠智衆さんと三井弘次さんは必ず来てくれました。僕は役者にならないと言ってる割にはガキの頃から刀が好きで。親父が撮影現場の小道具から持ってきた竹光があるのですが、これが宝物でした。

 その竹光を抜くと、その斬られ役は笠さんですからね。『ああ、このおじさん、すごく上手く死んでくれる』とか思ったりして。『国定忠治』ごっこをした時は、僕が忠治になって『赤城の山も今宵限り』ってやる時に笠さんと三井さんが子分役で隣に座ってくれて。『かわいい子分のお前たち』って言って竹光を渡したら笠さんが懐から紙を取り出して、拭いてくれました(笑)」

 そんな中井だったが、大学在学中の二十歳の時に、松林宗恵監督の映画『連合艦隊』で俳優としてデビューしている。

「親父の十七回忌に、僕はテニスの試合で遅れたんですよ。それでお墓に行ったら、真っ黒に日焼けした僕を見て松林さんが『君や!』といきなり言ってきて。その夜に母から『監督が青年将校役で出てほしいと言っている。ここから先はあなたの人生だから自分で決めなさい』と。

『親父ってどんな人だったんだろう。役者やっていて、どんな気持ちだったんだろう』って初めて考えるようになりました。大人になる、社会に出るという時、きっと男の子って知らないうちに父親の背中を判断材料にすると思うんですが、僕にはその判断材料がなかった。

 それで監督に会うことになったのですが、その時点では断るつもりでした。ところが、監督に『ワシはどうしてもあんたが必要なんだ。答えを出してくれ』と言われた時、何かに押されるように『分かりました。やります』と答えてしまったんです。今から思いだしても、なんでそう言ったのかは分かりません。あの時押したのは、親父しかいないような気がしています。

 映画の現場で嬉しかったのは、当時のスタッフから親父の話を聞けたことです。早く亡くなった人は英雄になるので、子供の頃から父のいい話しか聞けなかったのですが、彼らから『お父さん、綺麗な女性が好きでね』とか聞けて。それが嬉しかった。

 なぜかカメラ前に立つのは平気でした。大学に戻って授業で指されれば赤くなるのに。自分で自分が分からなかったです」

●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。

◆撮影/五十嵐美弥

※週刊ポスト2016年10月14・21日号