競馬で馬場に出た馬は、どんな走り方をするのか、騎手との呼吸は合っているのか。数々の名馬を世に送り出した調教師・角居勝彦氏による週刊ポストでの連載「競馬はもっともっと面白い 感性の法則」から、「返し馬」の見方についてお届けする。

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 2017年の競馬が始まりました。ファンの中には金杯の結果で一年を占うという方もいるようですが、馬についていえば、縁起のいいのが「左馬」。「馬」が左右反転した将棋の飾り駒で、逆さ読みの「まう」が上昇運を期待できるそうです。人は必ず左から馬に跨がるので、競馬にもゲンがいいといわれています。

 さて、パドックを出た競走馬は地下馬道を抜け、本馬場に入って「返し馬」を行ないます。ときに馬場を逆行する返し馬は、どこか左馬を思わせるところが……。返し馬をしっかりと見れば馬券的な幸福(?)をもたらしてくれるのかもしれません。

 本馬場に足を踏み入れると、馬は本番モードに入って心拍数が上がります。

 とはいえ、「スタンドに人が大勢いて気合いが入る」とは思わない。歓声にもネガティブに反応し、拍手に応えるとか、スポットライトを浴びる快感とか、そういう感慨は馬にはありません。特にGIでは、馬の心身はピークで極度に神経質になっています。

 だからこそ走り出す。不安になると本能として走りたくなる。馬は走っていると落ち着くのです。騎手は馬の特性や心情を考え、それぞれの流儀で返し馬をする。

 本番のように鞍に座ってスッと走らせる騎手、モンキーで乗る騎手、いろいろです。昔と違って今はほとんど騎手任せです。新馬戦でよく見られる「合わせ返し馬」は、ほぼジョッキー同士の取り決めでしょう。

 ただし、場合によって調教師は騎手に指示を出す。「できるだけ気を乗せて」と、「かかりグセがあるから、ポンと下ろさずに落ち着けて」。私の場合はこの2通りだけです。

 さて、返し馬でいつまでたっても走り出さない馬がいますね。あれは我慢がきいているということかも知れません。さまざまな不安をぐっと内側に蓄めているような。こういう馬は平常心でゲートに入れそうです。

 ヨーロッパの大きなレースでは必ず馬番順に整列して、馬場に出たらゴール板を並足で通過することが義務付けられていますが、日本では順番通りでないこともあります。

 パドックで最後の周回をせず、番号順を無視して先に馬道に向かう馬が時折います。あれは許可を得ての「先出し」です。じっと我慢して周回していた馬が、ジョッキーが跨がった途端に我慢がきかなくなって、きちんと歩けなくなる。走り出したくなる。実際、本馬場へ向かう馬道で走り出す馬もいます。それで、危険性を考慮して真っ先にパドックを出て、最初に返し馬をするわけです。

 逆に、若い番号なのに最後尾を周回する馬もいる。返し馬を最後に下ろしたいという意図です。馬場に出るときに前の馬の影響を受けて引っ掛かることを案じ、ゆっくりとキャンターに下ろしたいわけです。

 本馬場に出れば、レースは馬と騎手のもの。私たちが寄り添えるのはそこまで。感性を研ぎ澄ませて、やれることはすべてやる。勝ち負けはその向こう側にあります。

●すみい・かつひこ:1964年石川県生まれ。中尾謙太郎厩舎、松田国英厩舎の調教助手を経て2000年に調教師免許取得。2001年に開業、以後15年で中央GI勝利数23は歴代3位、現役では2位(2016年12月18日終了時点)。ヴィクトワールピサでドバイワールドカップ、シーザリオでアメリカンオークスを勝つなど海外でも活躍。引退馬のセカンドキャリア支援、障害者乗馬などにも尽力している。引退した管理馬はほかにカネヒキリ、ウオッカ、エピファネイア、サンビスタなど。

※週刊ポスト2017年1月13・20日号