2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月であることを自覚している医師・僧侶の田中雅博氏による『週刊ポスト』での連載「いのちの苦しみが消える古典のことば」から、「般若理趣経」の「性の快楽も清浄、是れが菩薩の立場です」という言葉の解釈を紹介する。

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 前回は菩薩行の密教経典『大日経』の本文の最初にある有名な三句について書きました。今回はヨーガの密教経典『般若理趣経』から、これも有名な言葉「いわゆる妙適清浄の句、是れ菩薩の位なり」を紹介します。この言葉も、経典本文の最初にあります。

 ここで、「いわゆる妙適」というのは、「蘇ラ(ラは口編に羅)多」と音写された梵語(サンスクリット語)で、男女の性交を意味しています。そして「句」と「位」は同じ梵語「鉢曇」の漢訳で、基本的には「一歩」を意味し、立場・句義・地位・境地など広い意味があります。

 この文の全体は「性の快楽は清浄という立場、是れ菩薩の境地なり」という意味になります。経は続けて性の快楽を16に分けて同様に清浄であると説き、次に理由が説かれます。

 その理由を説いた元の梵文には「それは何故か。すべての物事(一切諸法)の自性は空性だから般若波羅蜜多の清浄を持つのです」と書いてあります。ここで用いた「自性」、「空性」および「般若波羅蜜多」という言葉を、前に書いた般若心経を使って説明します。

「自性」は、「五蘊皆空」という言葉の梵文に含まれており、「つくられたものではないもの」を意味します。現代語で言えば「実体(サブスタンス)」に近い言葉です。「空性」は「色即是空」で「空」と略されている言葉で、「自己執着が空っぽの存在」という意味です。「般若波羅蜜多」は「知恵の完成」という意味で、「筏の譬喩」を使って説かれる「完全に自己執着を捨てた状態」です。

 ヨーガの知恵が完成し、完全に自己執着を捨てた存在こそが清浄であり、それが一切の物事の実体なのです。従って一切の物事の本来の姿は清浄であり、性の快楽も清浄なのです。

 般若理趣経の解釈には、最澄への貸出を空海が拒否した『理趣釈(理趣経の訳者・不空による解説)』を用いることになっています。そこには「無縁の大悲を以って、安楽利益を得せしめんと願って、自他平等にして無二なり。故に蘇ラ(ラは口へんに羅)多と名づく」と書かれています。

「無縁の大悲」というのは「知恵の完成」における「悲」です。「悲」は慈悲の悲で「他人の苦を抜く」という意味です。完全に自己執着を捨てた状態を「捨」と言いますが、この状態での悲が「無縁の大悲」です。

 お釈迦様も慈・悲・喜・捨の四無量心を説きました。「無量」は文字通り「無限であること」です。「慈」は「楽を与えること」、「喜」は「他者の幸せを喜ぶこと」です。「捨」を実践する菩薩は、自分が救ったという思いも捨てるのです。「安楽利益を得せしめんと願って」というのは「慈」です。「自他平等にして無二」は「捨」です。

 利己心が消えた状態では性の快楽も含め、一切が清浄だと説いているのです。

●たなか・まさひろ/1946年、栃木県益子町の西明寺に生まれる。東京慈恵医科大学卒業後、国立がんセンターで研究所室長・病院内科医として勤務。1990年に西明寺境内に入院・緩和ケアも行なう普門院診療所を建設、内科医、僧侶として患者と向き合う。2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月と自覚している。

※週刊ポスト2016年10月14・21日号