PRESIDENT 2016年3月14日号 掲載

銀行員からベンチャー企業を興し、わずか3年2カ月で株式を上場。さらに、42歳で国会の赤絨毯を踏む。松田公太氏の足跡は誰もが羨むほどだ。しかし、その道は決して平坦ではなかった。

「私は常に、より困難な道を選んできました。なぜなら、茨の道を行くほうが人間は成長できるからです。そこにこそ価値が生まれ、それを子供たちや社会に還元していくことが、自分の使命だと思っています」

日本でのタリーズコーヒー起業は、まさにこの言葉の実現にほかならない。友人の結婚式のために訪れたボストンで飲んだ一杯のスペシャルティコーヒー。その味にビジネスチャンスを感じ、みずから発祥の地であるシアトルに出向いて調査。「タリーズ」を交渉相手に定める。

「まず銀行を退行して、私一人だけの会社を立ち上げました。CEOのトム・オキーフ氏に会うためにアポなしでシアトルに飛びましたが会えません。そこで、帰国後もメールで日本の喫茶店業界分析や事業計画を送り続けました。やがて、タリーズの幹部から返信が届くようになり、トムが日本出張中に帝国ホテルで面会できたのです」

これが突破口となり、日本での営業権を獲得。松田氏は、持ち前の行動力で開業に漕ぎ着け、10年間で300店舗という金字塔を打ち立てた。

とはいえ、ビジネスは生き馬の目を抜く世界。松田氏のタリーズもベンチャーキャピタルからの敵対的買収の標的にされる。最終的には経営理念を守るため伊藤園に持ち株のすべてを譲渡し、新たなビジネスを展開する。

「2010年、参院選に出馬したのは、そんな時期です。立候補の打診を受けたとき、最初は固辞しました。しかし、再挑戦の場として選んだシンガポールで見えてきたのは、沈みゆく船のような日本の姿でした。それなら、起業家としての経験を生かして、日本を元気にできないかと考えたのです」

松田氏が代表を務める日本を元気にする会は、与党会派の引き抜きによりメンバーが離脱。会の存続が危ぶまれる状況だ。「未来に希望が持てれば日本企業にも活力が出る」。そんな松田氏の素人っぽい生真面目さを、しがらみに囚われた政治家たちは「愚か者」と笑った。だが彼は、その愚直さが社会を動かすことを信じて疑わない。

(岡村繁雄=文 永井 浩=撮影)