市民団体・宮崎県日中友好運動懇談会が企画した「歴史を反省して未来と向き合う――日本宮崎県日中友好活動写真展」が18日午後、河北師範大学で開幕した。日本日中友好協会の理事で、今回の日本代表団の団長を務める来住新平(らいじゅう・しんぺい、86)氏は、「日中両国の国民は、協力して戦争に反対し、同じような侵略戦争が起こることを絶対に許してはならない」と訴えている。中国新聞網が伝えた。

「九・一八事変(満州事変)」が起きて丸85年となった今月18日、来住氏は日中友好使者9人と共に河北省を訪問。同写真展の開会セレモニーに参加した。セレモニーの約1時間前、白髪の来住氏は代表団と共に写真展を見学し、写真を見ながら代表団のメンバーに当時の出来事について説明した。写真展では200点以上が展示されており、見学者は激しい戦闘が繰り広げられた85年前の様子を脳裏に思い浮かべることができる。

1940年8月から12月にかけ山西省・河北省周辺一帯において、中国共産党軍と大日本帝国陸軍の間で「百団大戦(ひゃくだんたいせん)」が勃発。その激しい戦闘の中、8月に中国共産党の部隊である八路軍の兵士が河北井ケイ駅で日本人姉妹である美穂子さんと溜美子さんを保護し、晋察冀軍区の司令員・聶栄臻(じょう・えいしん)氏がいる指揮部へと連れていった。そして、戦闘が収まるのを待ち、聶氏は2人を日本の陣営に護送するよう手配した。

美穂子さんらの故郷である宮崎県では、来住氏らが筆頭となり、日中友好活動が少しずつ発展して来た。美穂子さんが救出された詳しい過程をはっきりさせるため、来住氏は井ケイや平山などを22回訪問して実地調査を進め、宮崎県と聶氏の故郷である重慶市江津区の友好提携を推進してきた。井ケイ洪河漕村には記念館が設立され、一方の日本では、沙飛研究会が発足し、沙飛写真巡回展も開催された。宮崎県は今や日中友好活動が最も活発な地域の一つとなっている。

その他、宮崎県にある三菱の槇峰鉱山で強制労働を強いられていた中国人労働者の日本政府や財閥を相手にした訴訟をサポートし、日本の世界征服の野心を反省・批判する「八紘一宇」の塔を考える会、いわゆる「治安維持法」に違反したとされた犠牲者の日本政府を相手にした訴訟などをサポートする活動も宮崎県で活発に展開されている。今回の写真展は、宮崎県で30年以上にわたって行われて来た日中友好活動の生き生きとした記録でもある。

日中友好活動に20年以上力を入れている来住氏は、「以前、同じような写真展が開催されたこともあったが、テーマが一つだけの写真展ばかりだった。一方、今回はテーマが5つ。写真展を通して、若者と触れ合うことができ、若者に対する教育という点で大きな意義がある。今回大学を選んだのもそういった理由があったからだ。若者には、歴史を忘れずに、日本友好団体と協力して日中友好事業を続けてもらいたい」と語った。

また、9月18日という日を選んだ理由について、「日本の中国侵略戦争を、中国人に知ってもらうと同時に、日本人にももっと知ってもらわなければならないため」と説明した。今年9〜11月には、日本でも同様の展示会が開催されるという。

日本日中友好協会の岩切正一常任理事は、「日本の教科書が、旧日本軍が中国を侵略した歴史にあまり触れていないというのは許されない。日本は敗戦後、小学校6年生の教科書で聶氏が美穂子さんを救出したエピソードを紹介していた。近年、両国の若者にも友好交流が見られる。両国の若者の友好交流はたいへん重要だ」との見方を示した。

開会セレモニー終了後、日本代表団は、「忘れない9・18! 許さない戦争法!」と書かれた横断幕を取りだし、中国側の代表と記念撮影を行った。(提供/人民網日本語版・編集KN)