天皇陛下が「生前退位」の強いご意向を8月に表明され、次期天皇・皇太子徳仁親王・浩宮さまがクローズアップされている。筆者は浩宮さまの英オックスフォード大学留学時代(1983〜85年)に通信社のロンドン特派員として、浩宮さまを担当。度々同大学に訪ねて取材したほか、英国王室との交流やヨーロッパ王族を訪ねる旅行や登山にも同行した。将来の天皇の若き日の素顔とお考えを紹介したい。『<次期天皇・浩宮さまの素顔(上)>英国留学時代に育まれた平和友好主義―思いやり精神にあふれる』から続く。

ある時、英国の大学と日本の大学の違いを質問したら、「こちらの大学のゼミのやり取りは面白いです。日本では女子学生はおとなしくあまり発言しませんが、こちらでは元気でどんどん発言し、論破されてしまいます。いいですねえ」と目を輝かした。この時、筆者は「学習院大では、あなたのお妃候補になりたいお嬢さんが多いので論破など恐れ多いと思っているからでしょう。日本の大学でも今は女子の方が元気がいいですよ」と説明したことを覚えている。

実は浩宮さまには憧れていたクラスメイトがいた。ノルウェーの聡明な人。浩宮さまが「パーティの誘いの手紙を出したら、行ってくれると返事があった」と嬉しそうにおっしゃっていたことを思い出す。当時は英国では書簡でやり取りする時代だった。

しかし、天皇になる身であることをよく自覚されており、この淡い思いは封印されたようだ。聡明で論破してくれる女性のイメージは雅子さまに引き継がれたのではなかろうか。
30歳までに結婚したいと明かしたこともあった。1985年2月、25歳の誕生日記者会見で理想のお妃像を聞いたところ、「ティファニーであれやこれやと買物する人では困ります」ときっぱり。ここでも奢侈に流れないインテリ女性のイメージが浮かび上がる。

浩宮さまにとって英国留学は得難いご経験だったようだ。世界の多くの若者と交流し、協調と平和友好の精神を学ばれた。お酒もたしなみ、パブや寮の食堂などで本音ベースで学友と話すことも多かったようだ。欧州各地を旅行し、多くの民族との交流を通じて多様性を尊重すべきであることも改めて認識されたように思う。

音楽好きの浩宮さまはオックスフォード大管弦楽団に所属、ビオラ奏者として様々な演奏会に参加していた。ある時、NHKや民放のロンドン特派員から「是非日本の視聴者にニュース映像を送りたい」との要望があった。筆者のヴァイオリンより数段ご上手なのに、宮内庁が「音は前例がないので困る」と音声の放送を拒否。そこで「音無しのオーケストラでは意味がない。浩宮さまはプロ級なので大丈夫」と掛け合った結果、最終的に音入りで放映され多くの音楽ファンの共感を呼んだ。この背景には浩宮さまのご意向もあったと思う。

浩宮さまの留学時代の3年間、当時の皇太子夫妻(現天皇・皇后)が公務で世界各国に行かれた帰途、ロンドンに毎年立ち寄り、浩宮さまも交えて記者会見した。ご夫妻はアフリカや北欧などの印象を語り、「相互交流と平和友好の尊さ」を強調し、浩宮さまも全面的な賛意を示していた。

その後、筆者は東京で皇后になられた美智子さまと、あるパーティで話したことがある。浩宮さまとの英国時代の思い出をちょっと披露したら、「もっと聞かせてほしい」とおっしゃり、15分以上も耳を傾けてくださった。「世界の人々により添い平和を願う」お気持ちも伝わってきた。美智子さまのようなヒューマニズム精神にあふれた温かい母親の下で、浩宮さまの資質やお考えも育まれたのだろう。

留学時代の浩宮さまは、利発なのに謙虚。とても思慮深く、博識で、日本や世界のことに深い思いを巡らせていた。開明的な国際派でもあり、現地特派員や外交官らと「将来の天皇として相応しい」と話したことを覚えている。

天皇、皇后両陛下や皇太子殿下のお言葉を聞いて、いつも感じるのは「平和友好」へのお志しである。天皇は「戦争を2度としてはならない」との思いを常に抱かれ、戦没者慰霊の旅を重ねられた。広島、長崎、沖縄、サイパン、パラオ、フィリッピンなど内外各地を訪れ、被災者に心を寄せられた。天皇として史上初の中国訪問も実現された。天皇陛下は後顧の憂いなく、国際標準の「帝王学」を身につけられた浩宮さまに引き継がれることと思う。(八牧浩行)
<完>