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現在、転職市場においては、採用ニーズに対して人材が足りない「売り手市場」が続いているが、中でも深刻な人手不足に悩まされているのが介護業界。

実は、介護業界に入職する人は年間23.7万人にも上るが、一方で22.4万人が離職しているという。そのうち、13.4万人は他業界に転職。つまり、せっかく介護業界を志して入職したにもかかわらず、多くの人が1年程度で介護業界に見切りをつけてしまったことになる。

この問題に対応すべくいち早く組織改革を進め、人材の定着に成功している介護事業者がある。今回は、2つの介護事業者、そして介護業界の人材不足解消に力を注ぐ1つの自治体の取り組み内容を、具体的にご紹介したい。

産休後の復職率ほぼ100%、働く女性への手厚い制度で人材定着

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兵庫県西宮市に本社を構える社会福祉法人甲山福祉センター。1970年に開設された特別養護老人ホーム「甲寿園」では、業界に先駆け、30年も前から女性が働きやすい環境整備に力を入れている。産前産後休暇は8週間、つわり休暇、生理休暇、子どもが病気になった時に休める制度などを以前から取り入れているほか、男性の育児休暇取得も推奨している。制度の充実を受け、産休・育休後の職場復帰率はほぼ100%、長い人では30年以上も同園で働いているという。

子育てをしながら働く行 早苗さんは、「甲寿園」に約12年勤務する介護職員のエキスパート。出産時のことを振り返り、次のように話してくれた。

「昔から産休・育休はしっかり取れるので、子どもができたからと言って辞める人は少ないですね。ロールモデルになる女性の先輩がたくさんいたので、私自身、子どもができた時も辞めようとは思いませんでした。つわりで辛かった時、つわり休暇の制度があるのはとても心強かったですね。そして何より、『休んでいいよ』と周りが言ってくれる雰囲気に支えられ、励まされました。そして産休・育休はそれぞれ8週間ずつしっかり取得。職場復帰後はしばらく夜勤なしにしていただきましたし、日勤も1時間の時短勤務ができました」

また、同園では7年ほど前から研修の強化にも力を入れている。重視しているのは、新人職員のフォローアップ研修。事前に仕事や職場環境に関するアンケートを実施し、その内容をもとに意見交換を行うという研修を、入職3カ月目、6カ月目に行っている。

日本の介護ビジネスに関わる人々を応援するプロジェクト「HELPMAN JAPAN」が行った「離職傾向者の潜在的心理状態」の調査によると、入職後3カ月に差し掛かるころから、仕事に対するモチベーションがガクンとダウンするという。入職直後は、「早く仕事を覚えて一人前になりたい」「入居者の方々との会話が楽しい」など、モチベーション高く過ごせるものの、3カ月後ぐらいから夜勤シフトが始まったり、入居者の看取りなど精神的に厳しい場面に直面する機会が増え、気持ちが大きく沈んでしまう。多くの介護施設では、入職6カ月目以降に介護職員として独り立ちするが、その時点でもモチベーションが戻らず、そのまま離職を選んでしまうケースが多いのだという。

「甲寿園」では、この「3カ月目・6カ月目危機」を無くすべく、フォローアップ研修で思いのたけを自由に語ってもらったうえで、適切で親身なアドバイスを行い、職員同士の絆をも深めている。

また、新人には教育担当の職員が付き、仕事の不安や悩みにも対応。入職1年目の西海 優佳さんは、新人時代を振り返り「初めは戸惑うことも多かったけれど、1つ上の先輩に何でも相談できたので、不安が軽減しました」と話してくれた。

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▲西海優佳さん(左)は、1年上の先輩になんでも相談できている

そのほか、技術研修、分野別研修、他施設との合同実践研修、新任役職者研修、役職者研修など、年間を通して各階層向けにさまざまな研修を実施。どの研修も少人数で行い、感想をみんなの前で共有し合うのが特徴だ。「周りも同じように悩んでいる。自分一人が辛いわけじゃない」と励まされたり、「みんな前向きに頑張っている」と刺激を得られたりする効果も大きいという。

これらの取り組みにより、同園の離職率はとても低い。甲山福祉センターにおいては、新卒3年後の離職率は4.8%と、21人中1人のみに留まっている。

研修の充実、コミュニケーションの積極化で離職率が18%→4%に大幅改善

兵庫県内で介護福祉施設を運営する、社会福祉法人あかね。同法人が目指すのは、「介護にイノベーションを」。「介護業界の底上げを図らないことには、高齢化に伴う厳しい人材不足で施設運営は立ち行かなくなる」と危機感を持ち、「自分たちが先駆者となり、業界全体を変えたい」と積極的に改革を推し進めている。

同法人が展開する施設は、どれも高級マンションのような外観。従来の介護施設のイメージは全くない。「おしゃれできれいじゃないと、入居者の方々も働く職員も楽しくない」との考え方からだ。

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▲まるで高級マンション。従来の介護施設のイメージはない。

そして、人材定着、人材育成のために現在最も注力しているのは、「研修制度の充実」と「職員同士のコミュニケーション」。中心になって取り組んでいるのは、異業界出身の施設長、若林浩司さんと、人事マネージャーの中尾公則さんだ。

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▲若林浩司さん

2人が入職した2年ほど前、「介護にイノベーションを」という理念はすでに掲げていたものの、働くスタッフはどこか元気がなく、不満や不安を抱えているような印象を受けた。

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▲ 中尾公則さん

「すぐに気づいたのは、研修が絶対的に少ないということ。すでに実施されている研修についても、人事担当者と現場スタッフの接点が少ないために現場のニーズとマッチしておらず、有益に働いていませんでした」(中尾さん)

「職場に対する不満は、介護業界に限った話ではありません。一般的な人材育成の視点から職場を見渡して課題のありかを探り、社員一人ひとりに施設の理念が伝わっていないことに気づかされました。研修の強化に加え、管理職層のコミュニケーション能力の強化も必要不可欠であると感じました」(若林さん)

介護業界の離職理由というと、待遇面の悪さや業務内容の厳しさなどを想像する人が多いかもしれないが、介護労働安全センターの「平成27年度介護労働実態調査」によると、実は離職理由の1位は「職場の人間関係」。その背景には、現場でのコミュニケーションの機会が少なく、わからないことがあっても先輩に聞きづらい、研修制度が整っておらず、相談できる場も相手もいない、といった状況がある。若林さん、中尾さんは、「組織の最大の問題点はここにある」とすぐに見抜いたのだ。

そして、昨年6月から改革を実施。まず現状を把握するために、社員、パート含めスタッフ全員へのヒアリング・カウンセリングを行い、その後も定期的に実施。新人スタッフには月1回の研修と、個別のコーチングを取り入れて、現場とのコミュニケーション強化、仕事に関する不安や不満、悩みの解消につなげた。

そのほか、2〜5年目のスタッフには、6カ月後の目標達成を目指し、毎月個人で課題に取り組むことで自分自身を見つめ直す「ルーキーSEE研修」、若手管理職向けに上級管理職がマンツーマンで取り組む「次世代リーダー研修」など、階層ごとに研修制度を設けることで、各階層のメンバーにおけるコミュニケーション強化やステップアップへの意欲を造成した。

また、各フロアにおいてフロアリーダーを決め、リーダーによるフロアスタッフへのコミュニケーション強化を徹底。通常業務に加えて「チームで問題解決できる体制づくり」をミッションに置いた。狙いは、問題が起きた時に個人で解決しようとするのではなく、チームで解決しようという意識を持ってもらうこと。介護の現場ではチームでの助け合いが不可欠。チームみんなで考え、解消に動くことで、絆の強化、コミュニケーションの円滑化につなげ、「自分は認めてもらえている」との思いを持ってもらえるようにした。

フロアリーダーを任された森本 栄史さんは、「初めは自分軸で考えてばかりいましたが、若林さんからのアドバイスで、相手の立場になって考える、チームの立場になって考えることを意識しました。その結果、メンバーとコミュニケーションをとったり、議論を交わしたりする機会が増加。今の状況を何とかしたい!と考えているメンバーの多さにも気づかされましたね。気づけば、『辛い』『辞めたい』などのマイナスな言葉が聞かれなくなりました」と話す。

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▲森本栄史さん

「これらに取り組む前の社員離職率は約18%でしたが、この2年で4%にまで改善。パートスタッフの離職率も24%から14%に改善しました。コミュニケーションの機会を増やし、スタッフの承認欲求を満たしたこと、そして『自分は一人ではない、見守られている』とスタッフに思ってもらえたことが、やる気につながったのだと思っています」(中尾さん)

「多くの介護事業者は、メンバーに向き合う時間がないと言いますが、『人を育てたい』『長く働いてもらいたい』という思いさえあれば、時間は必ず作れるはず。努力や手間をおろそかにしているだけではないでしょうか。これからもコミュニケーションを重視し、現場の声を大事にすることで、スタッフのモチベーション向上、定着に注力し続けたいと思っています」(若林さん)

自治体が先導役となって事業者を巻き込み、介護業界の底上げを図る

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自治体でも、地域を挙げて介護業界の底上げに取り組んでいるところがある。

介護業界の人材確保に課題感を持っていた大阪府堺市では、市内の介護事業者の魅力と課題を洗い出すため、各介護事業者の現場職員に対してやりがい、ストレス、コミュニケーションなどについてのアンケート調査を実施。その結果、職員の多くは、入職前のイメージと、入った後のギャップの大きさを感じており、ストレスやコミュニケーション不足と相まって辞めやすい状況にあることがわかった。

また、介護事業者に対するアンケートからは、離職率が低い事業者は、「理念が浸透している」「相談体制や研修が充実している」から職員が定着すると感じており、離職率が高い事業者は「介護業界は給料が低く、きつい仕事だから仕方ない」とあきらめている様子が見えてきた。

「職員が定着するためには、まずは介護事業者が職場環境を自己点検し、課題を明確にすることが必要と考えています。そして、現場が抱えている課題を解決するためには、入職前から経営理念をしっかり伝えて現場をじっくり見てもらうこと、入職後は理念共有や縦横のコミュニケーションを積極的にとり、きめ細かい研修を実施するなど働きやすい職場づくりに取り組むことが重要。そのような意識を各介護事業者に持ってもらうことに注力しています」(堺市介護保険課長・三井節子さん)

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▲三井節子さん

堺市が取り組んでいるのは、モデルとなる介護事業者による職場改善事例の共有会とディスカッション、職場環境自己点検ツールの実施と課題解決のためのワークショップ、さまざまな介護事業者の新人職員が集まって仕事の振り返りや目標設定、そして他事業所の職員と交流を行う「新規職員1年目研修」など。

事例共有会では「事例の内容を自らの職場で活用できる」と回答した事業者が9割を超えており、改善に向けた取り組みの一助になっている。また、新規職員1年目研修では、「研修に参加してよかった」との回答が4.8点(5点満点)と非常に高く、同じ悩みを参加者と共有できたこと、事業所を超えた交流ができたことを評価する声が多かった。

また、先のアンケート調査をもとに、人材が定着しやすい組織、しにくい組織の特徴を項目立てて「見える化」し、広く公表。より多くの改善事例を生み出すために、働きやすい職場づくりに取り組む介護事業者をPRすることを検討している。

「介護事業者の意識が変わり、互いに切磋琢磨することで、業界全体の底上げを目指しています。そしてゆくゆくは、『堺市には質のよい介護サービスを提供する事業者が多いから移り住みたい』と思ってもらえるように、これからも民間の介護事業者と一枚岩となって、介護人材の量・質ともに向上できるよう努力し続けたいですね」(三井さん)

一般的に見れば、介護業界はきつい、大変というイメージがまだ強いかもしれない。ただ、個々に努力や工夫を重ね、業界全体を変えたいとの思いに燃える介護事業者や自治体は多く、その動きは全国に広がっている。

「超高齢化」が進む中、介護分野は日本における数少ない成長分野であることは確か。もし介護業界に興味を持ったならば、上で紹介した2事業者のような取り組みができているかどうか、個社ごとの取り組み内容を実際に現場で見て、判断してほしい。介護業界に持っていたイメージががらりと変わる事業者と、きっと出会えるはずだ。

EDIT&WRITING:伊藤理子