河内と大和を結ぶ古道、竹内(たけのうち)街道を大阪側から上って行く。峠の少し手前から左に分かれ、二上山山頂への登山道に入る。進むこと数分。平坦な場所に出る。そこに高さ6メートル程の十三重の石塔が立っている。鹿谷寺(ろくたんじ)跡との説明板がある。近寄って各層の重なる部分を見ても全く隙間がない。それもそのはずで、この石塔は各層を重ねたのではなく、山の岩から掘り出したもの。この塔のてっぺんと、左右の岩壁の上端を結んだ高さが、塔を掘り出す前のもとの地形である。

 ここ二上山で産する凝灰岩(ぎょうかいがん)は、古墳時代には石の棺(ひつぎ)の材料として、奈良時代になると寺の礎石(そせき)や、基壇の化粧石として用いられた。塔の近辺から土器や奈良時代の和同開珎(わどうかいちん)が見つかっているので、この石塔も奈良時代のものと考えられている。

 寺を建立するための石材を採掘するだけではなく、石材を採掘しながら計画的に塔を掘り残していったのである。周囲が下がっていくにつれ、筍(たけのこ)が伸びていくように、だんだんと塔が成長? していったのである。それにしても、ただ岩盤を掘るのではなく、必要とする石材を確保しながら6メートル近い岩盤を掘り下げる。当然ながら全て手作業。考えるだけで気の遠くなる作業である。

 必要とする石材を得るだけでなく、採掘場に仏塔を掘り出すという二重の仕事。でも現代の私たちと違い、昔の石工(いしく)は案外嬉々として仕事に当たっていたかもしれない。(伊藤純・大阪歴史博物館)