「皆さん、誕生日が来るのは楽しみですか」。昨年12月8日、神戸市立塩屋北小(垂水区)で行われた出前授業。真剣なまなざしを向ける児童に、神戸学院大法学部4年の中村翼さん(21)は、静かに語りかけた。「阪神大震災が起きた日に生まれた僕は、素直に喜べませんでした」

 22年前の平成7年1月17日午後6時21分、地震で混乱する神戸の病院で生まれた。ただ、記憶は全くない。学校の授業で教わった覚えはあるが、幼い頃に「1・17」を意識したことはほとんどなかった。

 小学5年で父の転勤のため岐阜市へ引っ越し、震災のことを考える機会はほとんどなくなった。だが中学3年のときに神戸へ戻ると、「震災当日に生まれた少年」という理由で取材を受けるようになった。

 そのたびに「1・17」に生まれた意味を自問した。

 でも、いくら考えても答えは見つからなかった。あるとき、記者から将来の夢を聞かれたが、「震災で家族や友人を亡くした人が、このインタビューを見たらどう思うだろう」と不安が頭の中をよぎり、思わず口をつぐんだ。毎年、喜ばしいはずの誕生日が近づくにつれ、気持ちは沈んだ。「何かやらないと」と、焦りにも似た思いを持つ一方で、震災のことを知らないことも事実だった。

 大学に進学し、防災や被災地支援を学ぶプログラム「防災・社会貢献ユニット」を選択した。そこで、ある教授の言葉にハッとさせられた。

 「あなたが話すことで勇気づけられる人もいる」

 長年抱えていた心のもやもやが消えた気がした。それ以降、誕生日を聞かれても、胸を張って「震災があった日」と答えられるようになり、大学では災害時の身の守り方などの研究に取り組んだ。東日本大震災の被災地でボランティア活動も行い、災害に向き合ってきた。

 塩屋北小で「1・17生まれ」をテーマにした出前授業を開くことになり、初めて両親に、自分が生まれたときの様子を尋ねた。

 「父さんがかぶさっておなかの翼を守った」「知らない人が母さんを介抱してくれた」「停電する病院でお医者さんが力を尽くしてくれた」…。知らなかった“あの日”に触れ、人の優しさに感謝する気持ちがわき起こり、自分が生まれたことは「奇跡」と思った。

 22歳になる誕生日当日、母校の神戸市立明親小(兵庫区)で開かれる追悼集会に参加し、自分が生きている意味を児童に語るつもりだ。「『1・17』は感謝や助け合いの大事さを感じられる誇らしい日。子供たちに少しでも自分の思いが伝われば」。その目にもう迷いはない。