5月19日により行われるG7広島サミットを盛り上げようと、参加各国の食材や食文化をいかした7種類のお好み焼きが完成した。これを共同開発したのが、お好み焼き用ウスターソースで有名なオタフクソース株式会社。同社には世界に類を見ない「お好み焼課」なる部署があるのだが、いったいどんな仕事をしているのか?

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アメリカのハンバーガー、
イタリアのカルボナーラをお好み焼きに融合


オタフクソースが運営する「Wood Egg お好み焼館」


広島駅から南西に10キロほど離れた、広島市西区商工センターにそびえ立つ「Wood Egg お好み焼館」。地上5階建て、高さ29メートルの黒茶色の建物内には、お好み焼きに関するミュージアムや、キッチンスタジオ、調理の研修センターなどがある。

この場所で2023年3月上旬、一風変わったお好み焼きメニューが披露された。Wood Egg お好み焼館の運営元であるオタフクソースが、一般財団法人の「お好み焼アカデミー」と連携して、主要7カ国首脳会議(G7広島サミット)の参加国をイメージしたオリジナルお好み焼きを開発。

例えば、米国ならハンバーガー、イタリアならカルボナーラを融合させたお好み焼きといった具合である。これらはG7サミット関連行事などで提供されるほか、広島県内のお好み焼き店でもアレンジして販売される予定だ。


米国をイメージしたお好み焼き(写真提供:オタフクソース)


このように、オタフクソースは調味料メーカーであると同時に、食文化としてのお好み焼きの普及にも力を入れてきた。具体的にそれを推進するのが「お好み焼課」だ。これは社内サークルなどではなく、れっきとした社内部署として1998年に設立。組織図にも明記されており、売り上げなどの数値目標もきちんと存在する。

メンバーはアルバイトなどを含めて約35人。そのリーダーを務める春名陽介課長は、99年に新卒入社して以来、ずっとこの部署に在籍する、いわば生き字引である。世界でも類を見ないお好み焼課とは一体何か。その実態をインタビューした。


「お好み焼課」に課せられたミッション


「もともとは営業のサポート部門で、オタフクソースの主力である『お好みソース』のシェアをさらに増やすために、営業のフォローをすることが目的でした。会社としてお好み焼きに力を入れていきたいという社長の思いの下、お好み焼課の新設によって、お好み焼き店への積極的な営業活動を行い、特にシェアの低いエリアの店へアプローチしていくと、当時の社内資料にも書かれています」

春名さんは部署設立の背景をこう説明する。そして、毎日のようにお好み焼き店に足を運んでは、店の状況をリサーチしたり、店主との関係性を構築したりするのが、春名さんらお好み焼課メンバーのミッションだった。

「まだスマホなどないので、地図を片手に夜の7〜8時くらいにお店を回っては、そこで見聞きした情報を営業に伝えていました。店の方と仲良くなることもあれば、追い出されたこともあります」と春名さんは苦笑いする。


オタフクソース お好み焼課の春名陽介課長


お好み焼課では他方、店を新規開業する人たちを支援する研修もスタートさせた。これには次のような狙いがあった。

「新しくオープンする店にどうやったらうちのお好みソースを使ってもらえるかを考えた時に、『うちのソースはおいしいですよ』と言うだけではなくて、お好み焼きの焼き方や、商売が成功するノウハウなどを伝えて、一緒に店を作っていくことが大事だと思いました。オタフクソースに行ったら安心して店が開ける、いろいろとサポートしてもらえるという意識を醸成し、そこから商品導入にもつなげていこうと」

開業支援の研修は現在も継続していて、これまでに累計1万人ほどを指導。そのうち1000人以上が出店にこぎつけている。そして、そうした店の多くが開業当初からオタフクソースの商品を使い続けているそうだ。


「納豆の会社ですか?」と言われたことも…


お好み焼課の転換期となったのは2000年。全国に「オタフクソース=お好み焼き」という企業イメージを浸透させることがミッションとなった。その当時、広島県外での同社の知名度はまだ低かったことに加えて、広島のお好み焼き自体も全国に広まっていなかった。

「昔は、関東の方からは『足袋の会社ですか』とか、『納豆の会社ですか』とか言われました。オタフクの顔を見たらお好み焼きを想起してもらうことが大切だと痛感しました。私たちもそれまではお好み焼き店でのシェアを広げることばかりを考えていましたが、そこからは、そもそもお好み焼きを日本中に普及させるにはどうすればいいのかと、発想が変わりました」


広島市西区にあるオタフクソースの本社


とはいえ、部署のメンバーは5人程度。人海戦術は使えない。地道に全国を回るしか方法はなかった。さらには老若男女にアプローチしたいという思いもあったため、春名さんらは事前に各地の福祉施設や学校、スーパーマーケットなどに電話をしてアポイントを取り、キャラバンカーに鉄板と材料を積み込んで、広島から現地へと向かった。

「札幌や仙台などお好み焼きがあまり食べられていない地域にもクルマで行って、集まった人たちに試食してもらいました。東京で開催されたフード関係の大型イベントにも出展しましたね」

そうした草の根活動を続けていると、次第に「うちにも来てくれ」という声がかかるようになり、徐々に広島のお好み焼きとオタフクソースの認知も広まっていった。


キャラバンの様子(写真提供:オタフクソース)


もちろん、オタフクソース一社だけでお好み焼きという食文化を普及させることはできない。タイミング良く、2000年代以降、広島から県外に進出するお好み焼き店がちらほらと出てきたのだ。

「お好み焼きって、もともとはご年配の方がメインでやっていた商売でしたが、若い人たちが『これは面白いから一生の仕事にしたい』と、チェーン展開する動きが出てきました。そうなると広島だけではなくて、東京など人が大勢いるところに行って商売しようとするわけです」

県外に出ていった店の中には、オタフクソースの研修で腕を磨いたオーナーも多い。

「教える人がいないと、物事は広まりません。お好み焼きがこれだけ広まったのは、私たちの力だけでなく、いろいろな店主が寛大だったからだと思います。自分のところだけでノウハウを閉じるのではなく、皆に焼き方を教えたり、売り方をアドバイスしたり。私たちもその一端を担えたのは良かったです。
ありがたいことに、『わしもお好み焼き屋さんをしたいんじゃけど』という人に対して、『それじゃあ、オタフクさんに行ったらええ』と、うちを紹介してくださるお店の方もいらっしゃいます」


社として“最もおいしい”レシピを考案


全国を駆けずり回ってお好み焼きの普及に尽力していた一方で、社内に目を向けると課題があった。社員それぞれのお好み焼きのレシピがバラバラだったのだ。

「もともと業務用のレシピ、家庭用のレシピはあったのですが、営業マンは『オレはこれがいい』、『オレはこうした方がおいしい』という独自のレシピを皆持っていて、もうグチャグチャでした」

営業マンは客先で調理することが多く、実際、人によって異なるお好み焼きが出来上がっていた。これはオタフクソースのブランドに関わる事案であり、早急に全社でレシピを統一すべきだと、お好み焼課は考えた。とはいえ、ベテラン社員などは長年そうした調理方法でやってきたわけで、一筋縄ではいかないのは明白だった。

そこで春名さんらは先手を打って、オタフクソースとして最もおいしいと思われるレシピを考案することにした。そのために、広島に根付くお好み焼き店にアドバイスをもらったり、自分たちで材料の配合や調理手順などを事細かく分析し、実証実験を繰り返したりした。

「うちのレシピはこれだというものを決めました。ただ、決めるとなると、それに対する理由やエビデンスが必要ですよね。ここをしっかり研究して作り上げました」


春名さんが調理した広島のお好み焼き


2008年4月、半年ほどかけて広島のお好み焼きと、焼きそばのレシピが完成。例えば、お好み焼きのレシピには、鉄板の温度や具材の分量はもちろんのこと、キャベツの切り方や、天かすの配置、麺の載せ方なども記載するほどの徹底ぶりだ。説得力を持ったレシピは無事に経営会議で承認され、全社でのレシピ統一が図られることになった。

レシピを作っても社員に浸透しなければ意味がない。時は前後するが、06年1月に「お好み焼士」という社内資格制度を立ち上げていたため、これをうまく活用して浸透を図った。お好み焼士の資格は筆記と実技からなる試験で、年に1度だけ受験可能。基本的にはインストラクター(初級)とコーディネーター(中級)に分かれていて、後者はお好み焼き店を開業する人たちの講師役が務まるようなレベルが求められる。合格率は約2割と難易度は高い。

現在はインストラクターが392人、コーディネーターが152人と、全社員のおよそ6割がお好み焼士の資格を持つ。なお、これは昇格にも関係し、ある程度のポジションになるには資格取得が求められる。

こうした取り組みによって、社員間でお好み焼きの調理方法にばらつきがなくなっただけでなく、会社全体のお好み焼きに対する知識や技術の底上げにもつながっている。


海外でも「まずい」と言われたことがない


お好み焼課にとってもう一つの転機となったのは、08年6月にWood Egg お好み焼館が開館し、情報発信拠点ができたことである。

「それまでは、何かあるとお客さんの元に訪問していましたが、シンボリックな建物ができたことで、お客さんのほうから足を運んでもらえるようになり、社内の意識も変わりました」


Wood Egg お好み焼館の中にはショップもある


その後は、17年4月に野菜焼きそば専門店「vege Love it(ベジラビット)」を本社近くに、18年10月にはお好み焼き体験スタジオ「OKOSTA(オコスタ)」を広島駅にオープンしたほか、一般の人たちに向けたお好み焼き教室を広島と東京で月に何度も開催するようになった。これらの施策を通じて顧客接点を増やし、よりオタフクソースが身近な存在になるよう力を注いだ。

お好み焼課の活動は国内にとどまらない。海外にもお好み焼きの魅力をアピールする。

「今回のG7サミットも大きなチャンスですが、海外からの引き合いが増えています。先月も韓国やドイツから商談の話がありました。お好み焼きはどこでも手に入る材料を使うし、例えば、肉を食べられない国なら、肉を入れなくても成立する“引き算”の食べ物です。あと、鉄板で焼くというのは、世界中どこにでもある調理方法ですよね。広まる素地は十分にあります」

そして何よりも、おいしさが強みになっているという。これまで春名さんは何度も海外でお好み焼きを調理しては食べてもらったが、どの国でも「まずい」と言われた記憶がないそうだ。


「閉店の際にいただく電話が一番嬉しい」


オタフクソースに入社して24年、一貫してお好み焼きの普及に携わってきた春名さん。これまでのキャリアを振り返り、特に印象に残っていることは何だろうか。

「かつて開業支援の研修を受けた方から、店を閉める時に電話をいただくことがあります。『長い間お世話になりました。ありがとうございました』と。それが一番嬉しくて。

店がオープンする時には皆お礼を口にしますけど、そこから15年くらい経って、店を閉めることになった際に、『オタフクさんのおかげでここまでやってくることができました』と、わざわざ連絡してもらえるなんて、ジーンと来ますよね。むしろ、ずっと商品を使ってもらっていたわけですから、こちらこそありがとうございますという気持ちです」

そうした深い関係性を築ける顧客を増やすためにも、お好み焼課としてやるべきことはまだまだある。春名さんが常に部署のメンバーにも伝えているのは、「世界中でお好み焼きが必要とされるメニューになる」ということだ。


新入社員を指導する春名さん


「未来永劫、お好み焼きに廃れてほしくはありません。であれば、お好み焼きを社会にとってなくてはならないものにする必要があり、そのために私たちオタフクソースがどう行動するかが大きなテーマです。お好み焼きの魅力発信はもとより、社会の変化にも対応しなければ駄目です。

例えば、今だったら、全員が英語でお好み焼きをきちんと説明できるようにならないと、海外の人には伝わりません。もしかしたら10年後にはキャベツがなくなるかもしれない。そうなったら、キャベツを使わないレシピを考えないといけません」

お好み焼きという食文化を決して絶やさないように、世の中の動きを常にキャッチアップすることが不可欠だと春名さんは強調する。

加えて、同じような思いを持った人を社会に増やさないといけないとも考えている。そのためには「小さい頃からお好み焼きを食べたり、触れたりする機会をもっと作らねば」と力を込める。既に小学校などで食育の授業を行っているが、その取り組みを加速させていく。

お好み焼きの未来を熱く、真剣な顔つきで語る春名さん。
後編では、広島お好み焼きのおいしい焼き方を、実演を交えて解説してもらう。

取材・文・写真/伏見学


【秘伝レシピも公開】オタフクソースの「お好み焼士マイスター」に学ぶ、お好み焼きを自分でおいしく焼くためにいちばん重要なこと はこちら