武器。
 
 サッカーというスポーツでは、しばしばその重要性が語られる。例えば、圧倒的なスピードであったり、走行距離を走れるスタミナであったり、長身で大柄な体躯だったりするだろう。ドリブルやヘディングやシュート力という一芸だったりもする。
 
 とくに誰にでも分かるプレーは、スペクタクルと解釈されやすい。自然、そういうプレーヤーは人気を集めることになる。
 
 日本サッカー界では、「武器はなにか?」 という問いかけが習慣化している。「武器がなかったら、世界では通用しない」と、専門家までがしたり顔で言う。
 
 しかし、これは真実なのか?
 
「分かりやすく伝わるもの、それは対処できるもの」。それがサッカー先進国、スペインで識者の間で語られる現実である。
 
 すぐに伝わる速さや強さという武器は、世界ではまったく通用しない。「ウサイン・ボルトのように速い選手なら走らせなければいい」。それだけのことである。スペースを与えない、走る前に駆け引きをして小突く、もしくは間を取ったポジションをする、後ろから潰す、その対処が「戦術」である。そして戦術を駆使することによって、スピードの利点を封じられる。
 
 大事なのは、持っている武器を十全に使い、相手の武器を使わせない賢さを持っているか、だ。武器を持っているか、ではない。武器そのものにこだわるから、「日本サッカーは戦術に欠ける」と指摘され続ける。
 
 近年のJリーグでは宇佐美貴史(当時・ガンバ大阪)が、左サイドからカットインしてのゴールをいくつも決めていた。華やかで才能を感じさせるプレーだ。
 
 しかし、欧州トップレベルのディフェンダーは、その武器の性能を読み、対処してくる。戦術を発動させるのだ。それ故、武器にこだわる宇佐美はヨーロッパでJリーグと同じような活躍ができない。「いいものは持っているのに」、ということになる。
 
 実際、宇佐美はかつてバイエルンとホッフェンハイムで大きなインパクトを残せず、今夏に移籍したアウクスブルクでもここまでほとんど出番を得られていない。
 
 また、リーガ・エスパニョーラのアラベスには「世界で1、2を争うアウトサイドキックの名手」と言われるイバイ・ゴメスというアタッカーがいる。左サイドから右足アウトで蹴るキックは、左インサイドで蹴ったような軌道で、リズムを外して蹴られるため、独特の間合いがある。芸術性を帯び、そのキックだけで一驚の選手だが、自ら技をこじらせやすく、研究されやすい対象でもある。
 
 だからイバイは、誰もが認める一芸を持ちながら、なかなかブレイクしきれない。
 武器はなにか。
 
 その視点だけで語ると、良質なフットボーラーを見逃すことになる。リオネル・メッシの武器はなにか? アンドレア・イニエスタの武器はなにか? その問いに、一言で答えられる人はいない。単純なフィジカル能力やボールテクニックではないからだ。
 
 変幻。
 
 あえて言えば、それこそがトップレベルのサッカー選手の武器になり得る。
 
 サッカーで一番大事なのは、おそらくタイミングだろう。敵と味方とボール、スペースと限られた時間の中、どこで、いつ、どのような選択を下すのか。高い強度の中でもスキルを出せるように力を高める、同時にその精度を高める。さらに連係することで技量を倍加できる。
 
 逆説すれば、タイミングをつかめば相手の技も封じられる。そこに戦術の応酬があるわけだ。
 
 そうした適応力のある選手だけが、トップステージに立てる。
 
 武器はなにか――。それが簡単に伝わる選手は二流の域を出ない。
 
 サッカーというスポーツは常に局面が動き、変わり続ける。一瞬、自らが止まるだけで相手の動きを逆手に取り、スピードアップすることができるし、その逆も然りだろう。単純であるべきだが、突き詰めればどこまでも複雑なスポーツで、だからこそ「武器はなにか」という定型の視点を持つべきではない。わかりやすい武器は、常に足かせや諸刃ともなり得る。
 
 武器は持っているか、ではない。状況を切り拓く技術や判断力によって、「用いているか」。そこに基準が置かれるべきである。
 
文:小宮良之
 
【著者プロフィール】
小宮良之(こみや・よしゆき)/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『おれは最後に笑う』(東邦出版)など多数の書籍を出版しており、2016年2月にはヘスス・スアレス氏との共著『「戦術」への挑戦状 フットボールなで斬り論』(東邦出版)を上梓した。