今夏、ロイ・ホジソンの後を受けてイングランド代表監督に就任したサム・アラダイスが、新聞のおとり取材に対して、規則で禁じられている選手の第三者保有を認める発言の他、ロイ・ホジソン前監督や英国王室を中傷したことが報じられ、サッカー協会から契約を解除された。
 
 代表監督としてわずか67日(もちろん歴代最短)、スロバキアとのロシア・ワールドカップ欧州予選(1-0で勝利)1試合を戦っただけで、アラダイス政権は幕を閉じたのだった。
 
 これはイングランド・サッカーを揺るがす一大事となり、多くの有識者が軽率な言動で代表監督としてのキャリアを棒に振ったアラダイスを批判している。
 
 当分のあいだ、代表チームはU-21代表監督のガレス・サウスゲートが代行することになるが、次期監督探しは急務であり、すでにアラン・パーデュー(現クリスタル・パレス監督)、エディ・ハウ(現ボーンマス監督)、スティーブ・ブルース(元ハル監督)らの名が候補として挙がっている。
 
 また外国人では、前マンチェスター・U監督のルイス・ファン・ハール、現アメリカ代表監督のユルゲン・クリンスマン(本人は就任の可能性を否定)といったビッグネームも、メディアによる監督候補にリストアップされている。
 
 果たして、この騒動はどのように収束するのだろうか。
 
 さて、思わぬかたちで崩壊したアラダイス政権だが、ではこれまでのイングラン代表監督は、どのような理由で、どのようなかたちでそのキャリアの終焉を迎えたのか。アラダイスのようなスキャンダラスのものは?
 
 暫定&代行監督を除く、戦後の歴代指揮官の「辞め方」を振り返ってみよう。
 
ロイ・ホジソン 辞任
指揮期間:2012年〜16年(33勝15分け8敗)
主要大会:EURO2012(ベスト8)、2014年W杯(グループステージ敗退)、EURO2016(ラウンド16敗退)
 14年W杯でグループステージ敗退を喫するも続投し、EURO2016では戦前に優勝候補にも挙げられたが、グループステージでは不安定な内容で1勝2分け、2位で駒を進めた決勝トーナメントでは1回戦で伏兵アイスランドに1-2の敗北を喫し、大会後に責任を取って辞任した。
 
ファビオ・カペッロ 辞任
指揮期間:2008年〜12年(28勝8分け6敗)
主要大会:2010年W杯(ラウンド16敗退)
 イングランド代表史上2人目となる外国人監督。クラブレベルでは優勝請負人として輝かしいタイトル歴を誇っていたイタリア人智将は、サッカー協会が勝手にジョン・テリーをキャプテンから外したことに抗議し、EURO2012本大会の開幕4か月前に辞任した。
 
スティーブ・マクラーレン 解任
指揮期間:2006年〜07年(9勝4分け5敗)
 EURO2008予選、クロアチア、ロシアの後塵を拝して本大会行きを逃す。1994年W杯以来のメジャー大会予選敗退を喫したことで解任された。
スベン・ゴラン・エリクソン 契約満了
指揮期間:2001年〜06年(40勝17分け10敗)
主要大会:2002年W杯(ベスト8)、EURO2004(ベスト8)、06年W杯(ベスト8)
 イングランド代表史上初の外国人監督として招聘されたスウェーデン出身の経験豊富な名将は、出場した3つの大会で安定した成績を収め、2006年W杯、準々決勝でポルトガルにPK戦で敗れた後、契約満了でその座を退いた。
 
ケビン・キーガン 辞任
指揮期間:1999年〜2000年(7勝7分け4敗)
主要大会:EURO2000(グループステージ敗退)
 かつてのイングランドを代表するスター選手は、EURO2000でドイツとともにグループステージ敗退(勝ち抜いたのはポルトガルとルーマニア)を喫しながらも続投したが、同年10月7日のW杯予選でドイツに敗れた後に辞任した。
 
グレン・ホドル 解任
指揮期間:1996年〜99年(17勝6分け5敗)
主要大会:1998年W杯(ラウンド16敗退)
 イングランド代表史上最年少の38歳で監督に就任し、98年W杯は決勝トーナメントの1回戦でアルゼンチンにPK戦の末に敗れたものの、可能性を感じさせる内容で続投。しかし99年1月、新聞社のインタビューで身体障害者に対する侮辱発言を行なったことが問題視され、数日後に解任された。
 
テリー・ベナブルス 契約満了
指揮期間:1994年〜96年(11勝11分け1敗)
主要大会:EURO96(ベスト4)
 自国開催のEUROに向けて好チームを作り上げ、本大会では準決勝まで駒を進めるも、ドイツにPK戦で敗れ、ここで契約満了となった。大会前、ホドルの監督就任を望んだサッカー協会から、契約を延長しないことを通達されていた。
 
グラハム・テイラー 辞任
指揮期間:1990年〜93年(18勝13分け7敗)
 EURO92本大会でグループステージ最下位に沈むも続投。しかし、94年W杯予選ではノルウェー、オランダの後塵を拝し、一縷の望みを持って最終戦でサンマリノを7-1で破ったものの、オランダが勝ったことで敗退が決定。16年ぶりにW杯本大会行きを逃し、辞任を余儀なくされた。
 
ボビー・ロブソン 契約満了
指揮期間:1982年〜90年(47勝30分け18敗)
主要大会:1986年W杯(ベスト8)、EURO88(グループステージ敗退)、90年W杯(4位)
 代表監督として3度目のメジャー大会となった90年W杯、優秀なタレントを多く擁して勝ち進み、準決勝では優勝する西ドイツ(当時)をあと一歩まで追い詰めたが、PK戦の末に敗北。3位決定戦で開催国イタリアと好勝負を演じた後、契約満了で長く務めた代表監督の座を辞した。契約を延長しなかったのは、PSVを指揮することが決まっていたからだ。
ロン・グリーンウッド 引退
指揮期間:1977年〜82年(33勝12分け10敗)
主要大会:EURO80(グループステージ敗退)、1982年W杯(2次リーグ敗退)
 ウェストハムを13シーズンにわたって指揮し、多くのタイトルをもたらした経歴を持つ名将は、3大会ぶりにイングランドをW杯本大会へ導き、1次リーグはフランスを抑えて首位通過。しかし2次リーグ、勝利が絶対条件の開催国スペイン戦でゴールを奪えず万事休す……。大会後に代表監督の座を自ら退くとともに、指導者からも引退した。
 
ドン・レビー 辞任
指揮期間:1974年〜77年(14勝8分け7敗)
 13シーズン指揮を執ったリーズでは、リーグ、FAカップを複数回制しただけでなく、チャンピオンズ・カップ(現リーグ)決勝にも進出するなど、イングランドを代表する名将のひとりである。EURO76で予選敗退を喫した後も続投したが、77年、W杯予選の最中に辞任。UAE代表監督に就任するためで、サッカー協会(FA)と揉め、10年間の国内活動禁止処分を受けた。
 
ジョー・マーサー 契約満了
指揮期間:1974年(3勝3分け1敗)
 暫定での就任ながら、ホームインターナショナル選手権(かつて定期的に行なわれていた英国4協会による対抗戦)を含めた7試合で好内容のサッカーを見せたことにより、サッカー協会が一度は長期間のオファーを出したが、後にレビーの招聘に方向転換したことで、続投はならなかった。
 
アルフ・ラムゼー 解任
指揮期間:1963年〜74年(69勝27分け17敗)
主要大会:1966年W杯(優勝)、EURO68(3位)、70年W杯(ベスト8)
 自国開催の66年W杯、サッカーの母国にとって現時点で唯一のビッグタイトルである、世界一の勲章をもたらした歴史的名将。しかし74年W杯予選、ウェンブリーでポーランドに引き分けたことで衝撃的な敗退を喫し、解任された。このサッカー協会の人事については、「(協会の)悪意や恨みが偉人を追い出した」「英国サッカー史上、最も信じられない出来事」等、有識者から非難が集中した。
 
ウォルター・ウィンターボトム 引退
指揮期間:1946年〜62年(78勝33分け28敗)
主要大会:1950年W杯(1次リーグ敗退)、54年W杯(ベスト8)、58年W杯(グループステージ敗退)、62年W杯(ベスト8)
 1870年にスコットランドと世界初の国際試合を行なったイングランド。サッカーの母国=世界最強の誇りから、W杯参加も長く見合わせてきたが、50年大会で初めて歴史的な一歩を刻んだ。この黎明期に代表監督を務めたレジェンドは、50年にはアメリカに大恥をかかされる羽目となったが、以降、3度の大会に母国を導き、62年大会後、指導者のキャリアを終え、それまで兼任していたサッカー協会のディレクター職に専念した。