東京都知事が小池さんになって、時代も少し変わるかもしれない。
 
「出る杭は打たれる」
「臭いものには蓋をしろ」
 こんな時代から真実はひとつ、という時代。
 
 新しい都知事の誕生も元をただせば、舛添さんが政治資金問題で都知事を辞職したことがきっかけ。僕の住む富山では富山市市議会議員が11人辞職した。政治もいろんな部分で襟を正す時。富山市での議員辞職は、舛添さんの辞職の影響が大きいと言う地元の人も多い。
 
 僕の知人が言っていた。兵庫の市会議員が泣きながら記者会見をした日、ほとんどの人が笑っていた。
 
 あの時に「これは氷山の一角だ」と、コメントしたコメンテーターはいなかったと……。
 
 小池さんが東京都知事となり、蓮舫さんが民主党代表になった。トップが変わることで、またはリーダーが変わることで、間違いが正しくなり、正しかったことが誤りになることがある。
 
 これはサッカーの世界でも起こり得ることでもある。
 
 そしてプロスポーツは政治より分かりやすいかもしれない。オーナーが変わる。GMが変わる。監督が変わる……。
 
 ぬるま湯でなんとか周りを誤魔化し、緩い環境で学ぶこともせずに生き延びてきた人間にとって、楽に稼げる仕事がプロ組織だったとしたら。その場に身を置き、クラブに居心地良く、居座れる人間がいたとしたら。
 
 そんな人間はリーダーが変わるごとに胸をドキドキさせ、バレはしないかと、違うリーダーを探し、自分を正当化する。自分の実力のなさを見透かされていると思えば協力をせず、そのリーダーを面白く思っていない人間、自分を守ってくれる上についていく。
 
 そんなことがプロ組織で起こっては、プロの精神、魅力は半減どころかプロと呼ぶ資格もなくなってしまう。ただ人間の弱さなのか、こうしたことは、どの世界でも起こっていることなのかもしれない。
 
 最近の世の中では、東京都知事選以降、豊洲問題やオリンピックの大幅な超過費用の問題などが大きく報道されている。詳しいことはもちろん分からないが、きっと世の中が変わっていく最初の一歩なのかもしれない。
 
 何が正しくて、何が間違っているか――。そうしたことを、正しい目で見極めることが求められているようだ。
 サッカーはチャンピオンズ・リーグがスタートし、世界のトップレベルの試合がCS放送などで見られるようになった。
 
 もちろんニュースであれば、有料チャンネルに入っていない人も見る機会が増える。オリンピックもパラリンピックも世界に流れ、数多くの感動を呼んだ。
 
「スポーツに政治を絡めてはいけない」
というが、政治が世の中を動かしているのだとすれば、スポーツはその一部でもある。
 
 政治もスポーツも、人間が作り人間が実践・実行するものだから、どちらも「人を幸せ」にするものでなければいけないはずだ。
 
 ところが、僕は正直、「選挙」が好きではない(笑)。何故か。それは人を悪く言うからだ。国会議員が集まり何か言い合うNHKの放送も、見ていて気分の良いものではない。
 
 もちろんテレビ(ニュース)では、世間に良いことよりも悪いことを流しがちであることも知っている。それはインパクトも強いし、見る側も興味を持つ。
 
 日本であれば与党が野党を、野党が与党を、そして今のアメリカ大統領選ではヒラリーがトランプを、トランプがヒラリーを批判する。
 
 こんな世界だ……。
 
 スポーツの世界は少し違う。もちろん格闘技など駆け引きの中で相手を罵るようなことはあるが、サッカーを含め、相手をリスペクトすることは忘れていない。もちろん綺麗事ばかりではないが、政治とは少し違う。
 
 それが世界を感動させるスポーツマンシップだ。スポーツに政治を絡めてはいけないかもしれない。だが、政治に「スポーツマンシップ」を取り入れることは良いことなのでは……。もちろん僕個人の、無知な人間の言葉として聞いてもらいたい。
 
 お互いの政策を認め、たとえ異なる意見であっても人として否定せず、相手を尊重したうえで、もっとこういうやり方がある、こうしたほうがよりいい、といったような建設的な議論ができる心を持つべきだ。
 
 政治とスポーツの関係で言えば、お互いに利用し合うのではなく、お互いが良い国を作るための「言葉」を使い、前進していく。そうであるべきだ。
 
 しかし人は「政治はこういうものだ」と言う。一生変わらないと。歴史がそう示していると。
 
 本当なのであろうか? 政治が相手を尊重しない態度で、時に攻撃に走ることは、サッカーが手でボールを触れないというルールと同じなのであろうか?
 
 話は変わるが、昔の(僕が小学生の頃)サッカーは、ボールをキープしてはいけなかった。前へ蹴らないと怒られた。ひとりでドリブルをしてはいけなかった。いわゆる「キック・アンド・ラッシュ」が基本で、ボールをつないではいけなかった。速く攻めることしか許されていなかったのだ。ほとんどの指導者がそうであり、一部の指導者に僕は個人技を中心とする指導を受けた。
 
 それが今ではどうだろう。日本のサッカーが変わったのは、誰もが分かることだ。
 
 だからこそ言いたい。日本の政治も変われるのでは?
 
 スポーツマン精神は、何にでも応用が利くはずだ。そして地球をまとめる力がある。大きい小さいも関係ない。高い、低いも関係ない。暑い、寒いも、強い、弱いも。お金がある、ない。知名度がある、ない……もだ。
 
 相手の心を思いやり、理解を示したうえで、相手とは違う自分自身の拘りを主張していく。お互いがお互いを思いやるが、自身が強く成長していく。これは人も国もいかなる組織も同じだ。
 
 僕はサッカーを通し、そんなチーム、クラブにしていけたらと思う。最近、よく目にするニュースからふとそんなことを感じた。
 
2016年10月3日
三浦泰年