昨年3月、ひとつの悲報を伝え聞いた。イラクの五輪代表候補になっていたDFマフディ・アブドゥル・ザフラ(当時19歳)が爆弾テロに巻き込まれ、死亡したというものだった。日本も参加した2013年のU-17ワールドカップに出場し、その後U-19代表、そして五輪代表候補へとステップアップしてきたタレントを失うというニュースに衝撃を覚えないはずもない。
 
 ただ、悲しいことに爆弾テロはイラクにおける非日常ではなく、サッカーのスタジアムや少年サッカーの会場がターゲットになった悲劇はいくつも起きている。国内最大の人気スポーツであり、国民が愛してやまない場だからこそ、卑劣なテロリズムの標的にもなってしまう、なんとも言えない構図がそこにはある。
 
 知っての通り、1991年の湾岸戦争、そして2003年から実質9年近くに渡ったイラク戦争によって同国の国家体制は一度崩壊。現在に至ってなお安定とは言いがたい状況が続いているわけだが、しかしそれでもイラクのサッカーは命脈を保ち続けるどころか、むしろ力強い輝きを維持している。
 
 21世紀に入っても、彼らはアジアの列強であり続けた。2004年のアテネ五輪4強という快挙を筆頭に、2008年のアジアカップ制覇、2013年のU-20ワールドカップ4強などなど、各大会で好成績を記録。日本とも年代別の大会でしばしば激突してきたが、どうにも分が悪かったのは否めない。特にリオ五輪世代は、2012年のU-19アジア選手権準々決勝などでイラクに苦杯をなめさせられることが多かった。
 
 戦火の中でもサッカーへの情熱を失わず、新たなタレントを育て続けているイラクの在野に数多くいるであろう指導者たちには頭が下がる思いだ。もともと1993年の“ドーハの悲劇”でそうだったように、劣勢でも諦めず、最後まで食らい付いていくのがイラクのスタイルである。
 
 今年1月のリオ五輪予選を兼ねたU-23アジア選手権でも、準決勝で日本に惜敗しながら、3位決定戦ではメンタル的に立て直し、開催地のカタールを向こうに回しての死闘を制して最後の出場切符を手にしてみせた。その勇戦ぶりとサポーター含めた試合後の歓喜は、彼らが背負っているものの大きさをあらためて教えてくれるものだった。
 
 U-23アジア選手権で、イラクの陣容はベストメンバーからほど遠かった。協会の組織力、財力の問題もあるのだろう。そもそも公式大会のホームゲーム開催をFIFAから治安上の理由から禁じられている立場なのだから、財政基盤が脆くなるのも無理はない。
 
 2014年のアジア競技大会では、大会が始まってから徐々にメンバーが合流していくという難しい状況にあることに驚かされたが(それでもグループリーグで日本を破り、最終的には銅メダル)、しばしば「不屈」と評されるイラクのタフさを思い知らされた。そしてリオ五輪本大会では最強チームのブラジル相手に粘りのドローゲームを演じてみせた。
 
 9月に行なわれたU-16アジア選手権を制したのもイラクだったが、これも納得の優勝だった。準決勝の相手は日本。ともに世界切符を獲得した後の戦いであり、日本代表スタッフの事前の見立ては「どうしても準決勝は各国ともにパフォーマンスが落ちる」というもので(確かに過去の大会はしばしばそういうものだったのだが)、メンバーを固定してきたイラクはフィジカルコンディションの部分でも問題が出るのではと思われていた。
 
 だが、結果は4-2でイラクの勝利。「相手とのテンションの差を、試合が終わった時に改めて感じた」と振り返ったのはFW宮代大聖だが、実は筆者も同じだった。さすがに決勝は疲れ切ってパフォーマンスが落ちたが、それでも最後はPK戦で競り勝ち、喜び爆発。タレントがいるのは確かだが、なによりタフに戦う不屈の姿勢はアラブ諸国の中でも明らかに異色である。
 
 先のワールドカップ・アジア最終予選でも、イラクはやはり手強かった。ホームゲームを一切できないというのはこの予選方式では致命的とも言えるハンディキャップなのだが、それでも彼らはきっと誇り高く戦い抜くのだろう。
 
 アジアのライバル国と言えば、韓国やオーストラリアの名前が挙がるものだが、個人的にはイラクの名前もそこに追加しておきたい。過酷な状況をものともせず、何度も立ち上がってくる不屈のチームとの戦いは今後も各年代で繰り返されるだろうし、日本の選手たちがそこから得る刺激も、決して小さなものではあるまい。
 
文:川端暁彦(フリーライター)