【我満晴朗のこう見えても新人類】1991年に何があったか、覚えていますか?

 答えは人によりさまざまだろう。当然だ。年齢にもよる。まだ生まれていない人だっている。悔しいことにわが部署にもそれに該当する人物が一人いる。だからどうした。

 冒頭の質問に対し、アマノジャクの筆者は「広島」の優勝、と胸を張って答える。全然ひねってないって?「広島」とカッコでくくっているのが実は苦しいのだが、プロ野球のカープではなく広島の自動車メーカー、マツダのこと。オレンジとグリーンの派手なカラーリングに身を包んだ「マツダ787B」が、伝統のルマン24時間耐久レース(フランス)を日本車として初めて制したのが91年だった。あの衝撃は四半世紀を経た今も忘れられない。

 この年のルマン、優勝候補の筆頭は後のF1王者ミハエル・シューマッハを擁するメルセデスC11だった。対抗はトム・ウオーキンショー率いる前年覇者ジャガーXJR―12。耐久レースで数々の実績を誇るポルシェ962Cも有力プライベーターにより多数エントリーされ上位をうかがっていた。日本メーカーで参戦したのはマツダだけ。こちらは頑張って完走し、5位前後に入れば上々…という見立てが正直なところだったと思う。

 事実、予選でのマツダ55号車は18位と目立たなかった。だがレースでは違った。メルセデス対ジャガー一騎打ちの予定調和に粘り強く絡んでいく。予想を上回る快走を見て上位2強も動揺したのだろう。想定外のペースアップを余儀なくされ、次々とトラブルに見舞われた。焦りまくるライバルを尻目にマツダは13時間経過時で2位へと浮上。それでも1位・メルセデスとは4周の差があった。会場のサルテ・サーキットは当時1周13・6キロ。つまり首位のマシンはマツダより50キロ以上も先行していたことになる。普通に考えれば、逆転はかなり難しい。

 ゴールまで3時間、信じられないことが起きた。快調に走行を重ねていたメルセデスが急きょピットイン。オーバーヒートだ。メカニックは総力を挙げて修復に努めたが、マシンはピクリとも動かない。その間にトップに立ったのはもちろんマツダだった。あとは栄光のゴール目指して一直線。チェッカーフラッグが振られる前に興奮したファンがコースになだれ込んだ。マツダは群衆の波をかき分けてピットロードに凱旋(がいせん)帰還。この時ステアリングを握っていたジョニー・ハーバートは脱水症状で歩くことができず、表彰台に立てなかったというエピソードはつとに有名だ。

 あれから、もう25年たったんだ…。カープ優勝に刺激され、当時の感激を再び思い出すことができた。V候補が主力選手の故障などで脱落したのとは対照的に、トラブルにさほど見舞われることなく、「神ってる」逆転でゴールに達した展開が、どことなく似ているし。

 でもルマンではその後、日本車は一度も勝っていない。今年、もしトヨタが残り1周で止まっていなかったら、こちらも「25年ぶりの快挙」だったのにね。後付けだけど。(専門委員)

 ◆我満 晴朗(がまん・はるお)1962年、東京都生まれ。ジョン・ボンジョビと同い年。64年東京五輪は全く記憶にない。スポニチでは運動部などで夏冬の五輪競技を中心に広く浅く取材し、現在は文化社会部でレジャー面などを担当。たまに将棋の王将戦にも出没し「何の専門ですか?」と尋ねられて答えに窮する。愛車はジオス・コンパクトプロとピナレロ・クアトロ。