【鈴木誠治の我田引用】Jリーグ・横浜Fマリノスの中村俊輔選手が、ジュビロ磐田に完全移籍した。1997年に入団後、海外移籍していた期間を除いて、チームの象徴として活躍してきた。マリノスの10番といえば、中村俊輔だった。

 「マリノスを離れるなんて、考えたことがなかった」と言う中村選手の移籍は、クラブと資本提携した海外企業のチーム編成方針が関係しているといわれる。サッカー観が違うモンバエルツ監督の続投や、若返りの方針で不信感を募らせ、クラブの慰留を蹴って移籍を決断したようだ。

 牡丹花は咲き定まりて静かなり 花の占めたる位置のたしかさ

 木下利玄氏の歌は、ごく自然ながら、確かな存在感を放つ牡丹を詠んでいる。他者も認める自分の居場所。中村選手とサポーターにとって、それは、10番を背負ったトリコロールのユニホームだった。その場所から中村選手は、「選手として信頼を感じなかった」との不信感とともに去ることになった。

 「マリノスといえば俊輔っていうくらい存在感があったのに、寂しい去り方になったね」

 女勝負師のスゥちゃんに話し掛けた。

 「まあ、チームの方針を決めるのはクラブだからね。プロである以上、仕方がないと思うし、移籍を決めたのも本人なんだから、移籍先で頑張ってほしいわね」

 中村選手は「完全燃焼し、サッカーと向き合える場所を考えたとき、ここではなかった」とも話した。プロ選手の移籍では、サッカーに限らず、フロントや監督への不満や怒りでプイと飛び出していくケースも見受けられる。中村選手の「完全燃焼」が、何を意味するのかは、わからないが、熟慮のうえでの決断であっと思いたい。

 「チームへの愛着は大事だけど、最後は1人の選手として引退するんだから。大事なのは、移籍してから何ができるか、だと思うわ」

 スゥちゃんは話した。

 ジュビロは昨季、J1残留争いで苦しんだ再建途上の名門だ。クラブが中村選手に求めるのは、1からチームをつくり直す課程での、ベテランとしての役割だろう。優勝を目指すマリノスでの役割とは、違う。「骨をうずめる」と言う覚悟の移籍。1月13日の会見では「身を削って貢献したい」と話した。38歳。技術だけでなく、経験と実績と、何より大きな存在感を持つ中村選手は、マリノス一筋ではできなかったことが、ジュビロではできるはずだ。

 ちりてのち おもかげに立つ ぼたん哉

 同じ牡丹を題材とした与謝蕪村の句は、散ってもなお、面影を残す花の存在感を表現する。匂いなのか、あるいは既視感か。中村選手が完全燃焼できたとき、これまでマリノスに残してきた存在感、これからジュビロでつくり上げる存在感、二つの違う面影を残して引退できれば、選手として、とても幸せなことではないだろうか。

 幾重も花びらを重ね、堂々と咲く牡丹には、「風格」という花言葉がある。

 ◆鈴木 誠治(すずき・せいじ)1966年、静岡県浜松市生まれ。中村俊輔選手を初めて取材したのは、桐光学園高時代。2000年シドニー五輪も特派員として取材した。サッカー記者時は浦和、FC東京を担当していたため、ライバルチームの嫌なやつだった。